少年編 25
空気が悪い。
匂いや新鮮さという意味ではなく、金髪の騎士が訪ねて来たきり何も言わずにただ無言で仁王立ち、一応の部屋の主であるマイスを凝視しているせいである。
マイスとファウとミューリはフォーリアの保護という形で貴賓館の空き室を与えられていた。十五歳ともなれば大人扱いなのだが、だからといって二人の扶養家族、それも一人は自力で動けない障害者を養う事は出来まいという彼女なりの配慮であった。
もちろん随伴する騎士達もまだまだ未熟な三人をほぼ無一文で異国に放置する気になるわけがなく、特にミューリは愛らしさもあって女騎士達に人気である。特に自力で動けない為、部屋の移動の為に誰が抱っこするかで白熱した議論が交わされていた。気まぐれだが子犬のようなファウは、ミューリとペアで一緒になって世話をされていたが。
マイス自身も目覚めて間もない体は以前の様には動いてくれず、何をするにも重く、思い通りに動いてくれない。
その上に、もう長い事こうして彼に睨まれていた。
(何か、悪いことをしただろうか……)
内心汗をかきながらも、失礼がないようにと彼に椅子を進めたりもしたのだが、頑として彼は動かない。
手持ち無沙汰に、十字架のぶら下がるネックレスを弄ると、彼は益々顔の険を増してしまった。知らないうちに身に着けられていたものだが、鎖から小さな十字架まで青銅で出来たそれは不思議と体の一部のように馴染み、無意識に触れてしまう、
「ルデリック。ルデリック・ネル・ジェノア。帝国宮廷騎士だ。此度フォーリア・ヴァン・ティアリスローザ卿の護衛隊長を仰せつかっている」
やっと口を開いたかと思うと、言葉の端々がどこか刺々しい。
ますますもってマイスは彼が何故こんな態度なのかがわからなかった。
「明日からお前を連れて獣人の斡旋所で仕事を請ける。王国の中心とはいえ、ほぼ森の中だ。討伐依頼は山ほどあるぞ」
カーロンと再会出来なかった以上、これからの事も考えなければならなかったし、何より世話になりっぱなしでいられるほど神経は太くない。
何か出来る事はないか、と考えていたマイスにとっては渡りに船の提案だった。
「国母殿がお前を鍛えるように、と仰るので面倒を見てやる。二人掛りとはいえ羆に勝てるのなら問題ないだろう」
「はい。よろしくお願いします」
羆の話はミューリがしていたらしい。そういえばよく顔を出す女騎士達もそんな事をいっていたなと思いながらも、マイスはこの男に従う事にする。
ルデリックは思ったよりも素直な反応を見せるマイスに毒気を抜かれたように溜息をついた。
「今日は無理をしない程度に散歩でもして来い。鈍った体の感覚を戻すか、それに慣れておかないと戦闘で死ぬぞ」
もともと、裏表の無い直情的なルデリックだけに、宮廷の腹黒い貴族や官僚とは比べ物にならない素直な少年へ、傲岸な態度を取り続けられないと悟ったのだ。
逆にマイスはというとその大柄な体付きと金髪が親友に似て、どこか親近感を覚えていた。
「まだ体が起き切ってないでしょうから、ゆっくり食べてくださいねぇ」
マーシャという銀髪の女性の騎士が用意してくれた軽い朝食を摂り、マイスは初めて獣人族の住むシュバルツラントの大地を踏んだ。
丘から見下ろすその国は、森の中に石造りの集落が点在していた。丘陵地帯の中央に議事堂。その周囲には特に大きな集落が六つ。その外側に多様な集落が幾つも散在しており、その一つ一つが獣人の部族の村だとファウが教える。
「家族。部族毎ニ暮らす。チカクの村、六部族の」
「ファウの家族もあそこ?」
「知らナイ。親イナイ」
ファウは特に感慨もなさそうに眼下の光景を見下ろしていた。あぁここにも居たのか、とマイスはいたたまれなくなった。この掴み所のない獣人の、その原因の一端を見た気がした。
同じ親の居ない自分にどこか惹かれる所があるんだろうか? だが自分になにが出来るだろうかと悩む。
「マーシャさんの料理はすっごく美味しいんだよ!」
ミューリは弁当を膝の上に抱いて早くも昼食が待ち遠しい様子だった。足をパタパタと揺らし、林道の景色や時折聞こえる物音に興味津々に反応していた。
石畳を車椅子がコロコロとミューリを乗せて進む。それを押すマイス自身、初めての異国の花や動物に目を奪われながらゆっくりと貴賓館を回る。
「お兄ちゃんが起きるの待ってて良かったぁ! セリエさんが誘ってくれたけど断ったんだからね!」
それは確か赤髪の女性だったはず、とマイスが思い出していると
「護ってくれるんだよね?」
唐突に、ミューリはそれまでの賑やかさを失った。
「……あぁ」
マイスは応える。
「ずっと一緒?」
「そうだよ」
「うん……うんうん。お兄ちゃんとずっと一緒なら、大丈夫」
少女は幼心に理解していたのだろう。帰る場所が無いということを。マイスは車椅子を押す手に力を込める。コロコロと、再び心地よい音が響き始めた。
(この二人を護ろう。僕の力の限り)
夕食。
パンと蒸し魚と果物のサラダに根菜のスープ。フォーリア達騎士の食卓に招かれたマイスは、長く洞窟にいたせいで久しぶりの暖かく、水気の多い食事に喜んだ。
商家の娘だけに慣れているのかミューリが器用にナイフとフォークを使って食べている。逆にファウはスプーンを握り締めて食事を口に運び、時折こぼしては指で拾っていた。
騎士の食卓に似つかわしくないファウを注意するべきか。しかし自分のマナーなど七才のミューリより少し上手い位ではないのか。そう思うと彼の手は次第に重くなっていき、その様を見て取ったフォーリアは「食事は楽しむものです。気にせず食べなさい」そういって優しく微笑んで見せるのだった。
「明日からの訓練ですが……」
食事が片付いた後、湯気立つ紅茶の香りが爽やかに立ち込める卓には、フォーリアとマイス達三人だけが座る。
三人の前に置かれた細長い木箱を開くと、四つの宝石が並んで収められていた。
真紅。紺碧。黄色。虹色。マイスが廃坑でカーロンから譲られたものだ。
「ルデリックについて、まずは輝石の力に慣れる所から始めなさい」
扱う輝石は一日一個。それぞれの特性と能力をよく把握して立ち回る事。消耗と回復を意識すること――。
「国母殿……」
幾つかの注意を与え、彼らが退室した後にルデリックは口を開いた。その顔は神妙に、口調は戸惑っていた。
「問題ありません。あの輝石は、人では扱えません」
「やはり輝石、なのですか」
宝石の輝石など聞いた事もない。ルデリックとその場にいた二人の女騎士――セリエとマーシャ――は顔を見合わせた。人には扱えないのであれば、彼は何者なのか、と。
「えぇ。ルデリック。貴方の役目はわかっていますね?」
「――は。その可能性と危険性を見極める為、監視します」
「そう。でも、そうですね。とりあえずは彼を育てなさい。彼を一人前の、一流の輝士に育て上げなさい」
どこか笑顔を浮かべながらフォーリアは紅茶を口に運ぶ。
自分の発言を肯定されながらも、ルデリックは益々もって判らなくなった。輝士の技術と知識を素性もわからぬ子供に教えろと? 帝国に迎えるにしても尚早ではないか?
「危険では……」
「彼が長じ、その力を帝国に向けることがあれば――」
自分が倒れている間に、騎士達はミューリとファウを手厚くもてなしていたようだ。特に二人の女騎士にはミューリが自分から話しかけたり、明るく受け答えする様子は村に来たばかりの弱気な少女ではなかった。
ファウにしても特に遠慮する事無く自由にしている。警戒心が強く気まぐれな獣人が自分から彼等に近づくという事は、それだけ彼等が敵意を向けないからだろう。
騎士というものはもっと尊大で、堅苦しいものだと思っていた。
ミューリとファウがベッドでじゃれあってるのを自分のベッドに座って眺めながら、マイスは彼らのことを思い出していた。
フォーリアを筆頭にルデリックや、ミューリの世話を焼く女騎士達。フォーリアは威厳を感じさせながらも優しく寛容で、ルデリックも粗雑のように見えて細かい気配りのある人物だった。女騎士達も恩を着せるような態度や無理強いする事も無い。
そして村を焼いた騎士達を思い出す。どちらが本当の姿なのか。
「また歩けるようになるの!?」
「獣人ノ職人。器用。手足のカワリ作れる」
ファウはルデリックとの訓練に同行する。その間、ミューリは獣人族の細工師に装具を作ってもらう事になった。それにもセリエやマーシャが同行してくれるという。
(認めてしまえば楽になるんだろうな……)
どんなに優しい言葉を掛けられても、どこかで距離をとろうとしている自分。
親友にどこか似た雰囲気を持つルデリック。
(こういう時、すぐに打ち解ける君が羨ましいよ……マリオン……)
「帝国にとって害を齎すものならば――私が殺します」
フォーリアは笑顔を崩さずに、紅茶に角砂糖を落とした。
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