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帝国の地術士  作者: 玉梓
第2章 蠢動
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少年編 24

 シュバルツラント獣王国。

 深い森の中にあるその国の住人は当然ながらほぼ全ては獣人であり、その町並みは森の中に点在する石造りの集落だ。人とよく似た似姿だが体の大半を覆う体毛、そして動物と同じ耳と尻尾を持つ事が最大の特徴だろう。

 祖先である動物の特徴を受け継ぎ、五感、あるいは身体能力において人を上回り、特に力の強い七部族の長がそれぞれの能力を活かし、国政を分割して運営している。

 建築物の多くは石製でコケや蔦に覆われたものも多く、部族の長が集まる議事堂は他の建物よりはるかに古い。巨大な円卓とそれを囲む無骨な石柱。岩盤が屋根として横たわるそれは、単純に大量に人が居れば作れるというものではない。

 人の力では創りえない議事堂でフォーリアを迎えた金狐族はその通り金色の体毛に狐の耳と豊かな尻尾を持つ一族である。精悍な顔つきの青年男性、とも見えるが獣人の年齢はわかり辛い。六年ほどで人の二十歳近い外見まで成長したあとは、寿命まで殆ど外見が変わらないのだ。

「遥々よぅ来てくださった国母殿。相変わらずお美しい」

「久しぶりですね。金狐の長。貴方も三年前とまったく変わらない様子」

「はっはっは。まだまだ十年は変わりませんぞ」

 彼等が始祖から受け継いだのは魔力。マナが希薄したこの大陸で産まれながらに大量の魔力を持つ。それはつまり終末戦争以前の精霊魔法を含む魔法の伝承者であり使い手でもあることを意味していた。

 魔法による戦闘に優れ、過去において統一帝の正妻にも迎えられた金狐族は、帝国との交渉窓口として他の六部族の取りまとめる代表という立場にあった。

「しかし、今南天は少々不穏だと聞くが大丈夫だったかね?」

「ええ。餌を撒いてみましたが、大した大物はいませんでしたよ」

「国母殿にくらい付くような大物がいては大陸がひっくり返ってしまうなぁ」

 獣人と、国母はひとしきり笑うと、部屋の空気が変わる。

「それで、龍人族が動いたと聞きましたが」

「うむ。龍人族の占星師が両国の凶事を告げた。ご足労をかけて申し訳なく思うが……」

「いえ、彼等の占星は外れた事がありません。となれば私達の間に僅かな齟齬が合っても許されないでしょう」

 七部族――否。獣人の中でも最も異質な、動物ですらない龍人族。始祖から受け継いだ目で星々から吉凶を占う彼等は、自然のままに生きる獣人らしくその結果をあまり口にしない。その彼等が、宮を構える山を降りてきた。

「そう言ってくれると助かる。こちらも、イロイロ話さねばならぬ」

「それは輝石についても、よね?」

 フォーリアの片眼鏡(モノクル)の下で、眼光が鋭く光る。獣人の長は険しい顔で頷いた。

「すでにご存知なのだな。なら話が早い。獣人族は他種族との交流を断ち、このシュバルツラントを封鎖する」

 

 国賓クラスの使節に解放される貴賓館は獣王国には珍しい木造の建物になる。それも何層もの高い屋根は棟の端に行くほどせり上がり、七部族の祖である聖獣を象った鬼瓦が守護者の様に四方を睨み、威圧感すら感じるほどである。

「フォーリア様!」

 獣王国について三日目。

 昼に騎士達を此処へ残し、議事堂での会議から戻ったフォーリアを一人の女騎士が迎えに出た。が、その様子がおかしい。特に女性には淑やかに、と教育するフォーリアの側近には思えないほどに慌てている。

「何事ですセリエ? 貴女がそんなに慌てるなんて」

「あ゛あああ゛あうああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 背後から聞こえる獣じみた声は若い男の物だが、とてもではないがまともな状態で出せる声ではない。フォーリアの目が細まるが、その心情を察する事は出来なかった。

「当て身すら効かずルデリック殿が抑えていますが、無茶苦茶です。関節が外れるのも構わず暴れて……あれでは手に負えません」

 セリエと呼ばれた女騎士の額には赤い波打つ髪が張り付き、彼女の苦労が窺える。しかし、

「なんっだよこの力はぁったく!」

 痛みというものは本来体を守る為にも意味がある。重い物を持ち上げるのも、硬い物を殴るのも、痛みを感じるからこそ自分自身を守る為に力を制限しているのだ。

 だが彼はその痛みを感じず、ただ体の引き出せうる全ての力で手当たり次第に四肢をぶつけ、自他共に破壊しつくそうと暴れ続けた。

 その為、ただ上から押さえても暴れて四肢を外しかねずルデリックは少年を羽交い絞めにしていた。そのルデリックは一回りも小さいはずの少年を押さえ込むのに、輝士としての力を僅かに借りなければならなかった。

「お兄ちゃん! 元に戻ってよぉ!」

 フォーリアが部屋に入ったとき、幼い少女が女騎士に抱かれながら少年に向かって必死に腕を伸ばしていた。だが、少年はまるで聞こえていない様子だ。その隣で狼の獣人がこちらもどうしたらいいか判らない様子でうろたえていた。

「ルデリック。そのままで」

「国母殿! 危険です!」

 備え付けの家具が壊された部屋にフォーリアは一瞬困った顔をしたが、少年の下まで近付くとその顎をついと持ち上げると

「ぉ――!」

「あ」

 可憐な唇を少年の口に被せた。

 ふわり、とフォーリアの纏う衣服が揺れて背中に光の翼が広がった。風はなく、ただ神々しいばかりのその翼からこぼれる燐光は重なる二人の顔近くを通って少年の体へと吸い込まれていく。

 同時に少年の体からは力が抜け、ズルリ、とルデリックの腕から少年の体が床に落ちた。

「魔力の欠乏から来る暴走でしょう。私の魔力を分け与えたので直に目を覚ます……なんという顔をしているのです?」

 翼が消え、ハンカチで口を拭うフォーリアは、自分に向けられる視線に気付く。

 呆然として口を開く女騎士が二人。

 半分涙、半分怒りのこもった恨みがましい少女の視線が二つと、声にならない叫びをあげて頭を抱える騎士が一人。

 当の本人はそれに疑問を感じながらも、少年の体を軽々と抱き上げるとベッドへと寝かしつけた後、傍の椅子に腰を下ろした。

「今夜は私が番をしましょう。皆は休みなさい?」

 労いの笑顔は少女のように華やかであった。


 ――炎。

 触れた物を、触れられた物を、見慣れた景色の全てを赤く焼き尽くす炎が、視界一杯に広がっていた。

 逃げ惑う見知った顔が炎に追いつかれて全身を焦がす。

 顔を恐怖に歪めて踊り狂うように回り、回りながら体を灰にして首だけが地面に落ちる。

 男も女も。大人も子供も。生まれ育った風景の中に、首だけが転がり、その全てが、こちらを見ていた。

 見開いた目。震える口は今にも怨嗟の言葉を吐き出しそうで。

 恐怖に耐え切れずに……転がる首を払い、潰すしかなかった――


 パラリ。

「――!」

 パラリ。

 静寂に本のページを捲る紙の音だけが静かに鳴る。

 柔らかな蝋燭の炎に、人の影が弱々しく揺れていた。

 見覚えの無い部屋。蝋燭の光と、まるで世界がそこだけしかないような静寂。

「起きましたか」

 影を追って視線を動かすと、ベッドの傍には椅子に座る銀髪の女性がいた。シャツの上からコートを羽織り、暗い部屋で片眼鏡(モノクル)をかける彼女は本から視線を離さず、手を休める事無く言葉だけを紡ぐ。その足元に敷かれた蒲団には獣人と少女が寝息を立てていた。

「本来マナを取り込むことのできない人類が魔法を使うには、守護精霊の存在が不可欠でした……五百年の時が経っても、世界には未だマナが満ちていません」

 世界。魔力。守護精霊。女性の単語を反芻する度に、意識が覚醒していく。

「輝石の力を引き出すのも魔法技術の一つ。体内の魔力が無くなれば、飢餓から魔力を求めて暴走してしまう……貴方はその状態になるまで、精霊を酷使し続けたのです」

 初めて聞く話のはずなのに、起き出した頭は彼女の言葉を自分で理解できる言葉に高速で処理していく。

 人は自力で魔力を作れず、精霊は大気のマナを魔力として取り入れてくれる。

 輝石の精霊が体内の魔力をエネルギーに力を貸してくれる。

 大気の魔力は少なく、輝石の力を使い続けるには魔力の回復が追いつかない。

 体内の魔力が尽きたら、精霊は力と存在を維持できずに消えてしまわないよう、魔力を求める……。

 それはさながら溺れるか窒息しかけて酸素を求めるように。

「大気にマナが満ちていた時代なら、回復できましたが……それが希薄した今の時代では暴走中に死んでしまう事も珍しくありません。いえ、守護精霊がいなければ、魔力として取り込むことすら出来ないのです。人は精霊の助力なくして魔法を使うことは出来ないのですよ? もう少し、精霊への感謝と敬意を持ちなさい?」

 本を閉じる音。

 初めて正面から見た彼女は穏やかで、そして優しい笑みを浮かべていた。

 母親が寝静まった子供の部屋でそうするように、少年に毛布を掛けなおす。

 小さな金属音が胸元で鳴り、それを確かめようとしたが体が思うとおりに動かなかった。

 額に当てられた手が柔らかく、ゆっくりと下に降りて視界を塞いだ。

「四日も眠り続けたのですから、まだ動けませんよ。さぁ、朝まで寝なさい。貴方には少し、輝士としての教育をしてあげましょう」

 暗闇で囁く様な優しい声で語りかけられ、マイスはその通りに意識を失った。


 遠く、帝国の地で一人の金髪の少年が目を覚ます。

「起きたか」

 見慣れた兵舎の自室。窓からは眩しい日差しが差込み、光を背にシャロンが微笑んだ。降ろした髪が肩まで届き、風に揺れている。

 マリオンにはそれがいつもの凛々しい顔と違い、角が取れたような優しい笑みに映っていた。

「無理をするな。『あれ』から五日眠り続けたんだ」

「俺は……そうだ! 試験――!」

 彼女の忠告を無視して起き上がろうとしたマリオンは、背中の痛みに硬直する。溜息をついて呆れた顔をするシャロンだが、それがすぐに苦笑いに変わる。

「まったく。お前という男は……ほら、うつ伏せになって背中を見せろ」

 教官として師事している時とはまるで人が変わったような印象だが、これが平時の彼女なのだろうか、と手を借りながらも今度は大人しくその言に従う。

 背中には大きな斜め十字傷が痛々しい。すでにカサブタも取れて傷痕しか残っていないが、その下はまだ完全には治っていないのは先の反応を見ても明らかだ。

 大きな背中にのせた自分の手はあまりに小さくみえた。

「……俺……自分はどうなります?」

 村での戦闘では何の手柄も上げていない。

 それに背中の傷は決して自慢に出来るものではない。『敵に背中を見せた』不名誉の傷だ。

 もう、騎士になれないのでは。まして輝士になどなれるはずがない、とマリオンは思い始めていた。

「その前に一つ答えろ。マリオン。お前は騎士になってどうする」

 治癒の力が働いて背中全体に暖かさが広がっていく。じんわりとした熱。それはマリオンの中の情熱のようにも似ていた。

「マイス……親友や仲間を護りたい。彼等を傷つけないように。彼等が人を傷つけることのないように……手の届く限りの人を同じ様に護りたい」

 熱く、そして固い決意。シャロンはその答えに、公爵家で話した父の言葉を思い出していた。

(家の権力も財も全て、お前の好きなように使いなさい)

 言葉少なくあまり雑談もしない父親だが、迷っている自分を励まし、背中を押してくれていた。

「……伯爵以上の爵位家には、地方騎士の推薦権がある」

 シャロンは滅多にしないことだが、と付け加えて

「ロンバルディア家はお前をダイスの騎士に推薦する。だから――」

 この少年を騎士。いや、輝士になるまで育て上げる事を決意した。

 自分のそれより大きな掌を開かせると、瞳ほどの青い玉を置いて握らせる。

「秋まで私が鍛えてやろう。私の推薦を無駄にして、当家に泥を塗ってくれるなよ?」

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