少年編 20
マイスが山を降りて七日が過ぎた頃。彼は大森林を抜けて大河へと辿り着いていた。
シュバルツラントへは一度帝国側へ戻って街道を通る必要があったからだ。カーロンの馬車は積荷が繊細な為速度が非常にゆったりとしている。その為マイスはせめて故郷を、と一足先に村へ急いでいたのだが。
見覚えのある川。一部川が浅くなったそこは勢いはあるものの対岸へ渡るには丁度良く、中洲もあって子供達の遊び場に丁度良いところだった。もう少しで帰れる。マイスは久しぶりの故郷に、無意識に足早に歩いていた。
暫く見ないうちに、中洲には見覚えの無い物が建っていた。
低く、みすぼらしく。四つの丸太を柱に細木を渡し、隙間だらけの櫓のような物。
近付くごとに腐臭と血生臭い。それに糞尿と獣の匂いがそれに混じって漂っていた。
「う……っぇぁ……!」
はっきりとそれを見てとり、何かを認めた脳が拒絶するかのようにマイスは胃の中の物を吐き散らした。
(こんなのは! 人の考えることじゃないっ!)
足の腱を斬られた子供達が、軽く手の届く櫓の上段で餓鬼の如く痩せ細って折り重なり、体には隙間から獣達によって掻き出されようとして幾つもの爪牙の傷跡が刻まれていた。
その下で、我が子の血を浴びた母親達が柱の根元に鎖に繋がれ、獣の餌食となっていた。一部に獣の物でない切り傷があるのは、血を流して獣を集める為か。
畑を手伝ったお礼にと、ご飯をくれた女性がいた。看病をした子供がいた。剣を教えた子供もいた。
変わり果てた姿に成すべき事もわからず、膝を突き笑いが漏れた。ファウは不思議そうに見詰めていた。
蚊の鳴くような小さな声が、彼を現実につなぎ止めた。
櫓が燃える。
腐敗と損傷が激しく一人一人を埋葬する事は出来なかった。
ただ一人生き残った少女を抱え、川の辺で夜を過ごした三人は翌日――炎に包まれる村を見ることになる。
「マリオン! しっかりしろ!」
「戸板を持って来い! 担架だ!」
フィズが金髪の少年を血の海から掬い出す。力の抜けた体は扱いにくい。。
呆然と引き摺られて遠ざかる世界に親友が居た。はっきりと見える距離にいるのに、まるで届かない距離に思える。彼が見つめる先は、銀髪銀眼の幼馴染。その銀が夕焼けと村を焼く炎と、怒りに赤く揺れていた。
「これは……お前達がやったのかっ!」
少女を抱いて、少年は叫ぶ。
その影に隠れるように、狼の耳をした少女が顔を覗かせていた。
(獣人!?)
ざわりと嫌悪と奇異の視線が突き刺さる。汚物を見るような視線が集中する。それを特別な鼻で察知したファウはフン、と鼻を鳴らすと、まるで興味をなくしたように顔を背けてマイスの影に下がる。
建物は焼け、幾つもの死体と首が転がり、血溜まりが広がる。それが、たった数ヶ月離れた故郷の光景だった。マリオンとミューリ、そしてマイスを残して全員が逝ってしまった。
(これが騎士か)
鉄の鎧に白銀が一つと、青が二つ。
親友が憧れ、羨望してやまない理想の姿がそこにあるというのに。
マイスは不思議と何も感じず、無感動にその姿を映していた。
「お母さん!」
「駄目だミューリ。危ないから」
「やだあああおかあさぁああん!」
手の中で暴れるミューリは初めて村に来た時よりも痩せ細っていた。だが力は無いものの、暴れられるとどうしても少年のバランスを崩してしまう。
「邪魔カ?」
ファウの問いにマイスは小さく頷く。
「カーロンの所で」
自分の半分以上もある子供を横抱きにする獣人は、輝士にも並ぶ速さでその場から走り去る。
村へ踏み込んだ少年の前に、銀色の輝士が立ち塞がった。
「止まれ。少年。この村の者達は罪を犯し、我々を襲撃した。それ故に法の下に罰せられたのだ」
シャロンは剣を収めていた。少なくとも敵意が無い事を表したかったのだが、輝石の武装は解こうとしても、まるで反対するように輝石の反応が鈍かった。
その横へフィズとグランが同じ様に青銅を纏ったまま並び立つ。
「黙れよ……お前達が、皆を殺した事に違いはないんだ」
姉を。子供達を。村を。コレから先も奪われ続けるのか?
少年の中の怒りは、鎮める事が出来ないほど猛り狂っていた。本人ですらかつて無い激情をどう抑えて良いか判ないそれは、刻一刻と。迷いや、恐怖といったその他の感情を焼き尽くして広がっていく。
「だとしてどうする? 罪人を庇うならお前も罰を免れんぞ」
「マリオンはどうなる? 彼が死んだら、僕はこれまで僕と一緒にあった全部が無くなる。なら、僕はどこまでも抵抗する」
「それは、法に委ねられるだろう」
――これ以上奪われてたまるか。
そうして、少年の中は怒りという感情一色に染め上がった。
風向きが変わる。
ユラリ、と少年の姿が陽炎に包まれたように揺らいだ。
全身を虹色の淡い光が覆い、キラキラと燐光が舞い降りていく。
何も無い指先から生まれた真紅の炎が両腕を包み、黄色い風がそれを螺旋に巻く。
深く。深く息を吐く彼の息に呼応するかのように、赤と黄色に煌く半透明の小手は微かな光を明滅させていた。
「なんだそれは……?」
シャロンの問いに少年は答えない。ただ、睨みつけるような視線だけを返してきた。
「……敵意ありと認める」
未知への恐怖が無い訳ではない。だが、その存在は危険すぎると、彼女は無意識に警戒していた。
シャロンが剣を抜く。マイスには磨かれた鉄の剣が、炎と夕日で禍々しい赤色に見えた。
「姫、一番槍の栄誉、譲ってくださいよ」
「そうそう。もしもの事があったらカイン様の拳骨じゃすみませんからね」
――後に『隠レ里ニテ輝士ト交戦セリ』と記録される、大陸最初となる輝士同士の闘いが始まる。
二つの青、地面を滑る。一つは直線を。一つは緩急をつけた曲線を描いて。
「おおおおおお!」
「あああああ!」
一直線に距離を詰めるグランの咆哮。上段に構えた剣の間合いに入った瞬間、彼の胸元が爆ぜた。
「速いなぁ!」
上半身を包む爆発に、同僚の体が吹き飛ばされるのを横目に、フィズはそれでも止まらずに未知の敵に向かう。速さにおいて敵は同等以上と見た彼は、最高速で、本来の間合い外から攻撃切りかかる。
本来なら、グランへの対応で出来た隙をフィズが無力化するという連携の筈だった。
だが彼はグランの攻撃を受け止めるでもなく、避けるでもなく。グランより先んじてそれを制し余裕をもってフィズを迎える。
(――速い。私とほぼ同等か……)
その動きに、シャロンが瞠目する。そして感謝した。二人の輝士がそれを見せる為に先に挑んだことに。
二つの影が交差し、血が舞う。絶叫はフィズの口からのみであった。
肘から切断された腕が剣を持ったまま地に落ちる。
(こいつは――お嬢……すいません)
まるで一本線の上をすれ違う様な交錯で、フィズは自分の腕が少年の手刀によって切り落とされたのを見ていた。
すれ違い、背中合わせの敵に、残った腕で拳を叩き付けるために振り返る。それよりも早く、マイスの足がその腹を蹴り抜いた。蹴られた場所から青い光と共に衝撃が全身へ広がる感覚を受け、輝士の体は宙を舞う。
赤い滴を撒き散らしながら、フィズの体はシャロンの頭上を越え、マリオン達の前へ転がった。一瞬の静寂。そして二人の輝士の体から青銅が輝きを失い剥がれ落ちた。
コロリ。フィズの懐から青銅の輝石の核が転がり出て、まるで別れを惜しむように激しく明滅するとやがてただの珠になってしまう。
(あれは……魔法か――)
炎を生み、鋭利な風を纏う。
(蹴った時の青い光も恐らく何か作用してるだろうが――)
一瞬の逡巡の間に、部下は恐怖から彼女の指揮を離れた。恐慌した新兵達は保身の為の逃走より攻撃を選んだ。
「うっぅう撃て! 殺されるぞ!」
「やめろ!!」
制止の声は二つだったか。しまった、と思うまもなくシャロンの横を矢が疾る。だが少年は焦る様子も無く、軽く持ち上げた足で地面を踏みつけた。
(卑怯者め! 皆壊してやる! あの子達と同じ目にあわせてやる!)
少年の心は押し潰されんばかりに慟哭し、それを怒りが滾らせていた。暴走する牛。あるいは理性を失ったモンスター。とても十五歳の少年の瞳ではなかった。
矢は彼の前に突如突き出た石壁に阻まれていた。役目を果たして矢と共にガラガラと崩れる石壁の向うにあるその銀の瞳に、シャロンは目を伏せた。
「少年……君の怒りは正しい。だがその目は、寂しいな」
恐らく、マリオンとこの少年と先ほどの少女は子の村で育ち、男達の思惑も知らずに育てられたのだろう。彼等にとっては罪人達もよい親代わりだったのかもしれない。でなければこうも真っ直ぐに育つまい。やるせない思いを噛み締め、シャロンは騎士としての勤めを果すべく顔を上げた。
「だが、私達にも騎士としての勤めがある。許せとは言わん。今後もし、互いの罪の為に出来る事があるなら」
「ぅぅうう……ああああああああ!」
空気を振るわせる咆哮に、殺気が乗っていた。少年が歩を進める。その目から怒りは消えていない。もはや誰の言葉も彼には届きそうに無いようだと、シャロンは剣を少年に向ける。
「身命を惜しまないことを輝石と剣と名にかけて誓おう」
掲げた剣型の銀飾りを握り、その左手に銀の盾を。剣を握る右手に力が籠る。
「シャロン・ロンバルディア。推して参る」




