少年編 18
そして二日後。
出発の朝。シャロンはいつになく真剣な顔で彼等の前に現れた。連れてきた騎士達も鎧兜にマントを羽織り、完全武装で主の後ろに並ぶ。
二人の重騎士はここ子爵領で二頭引き戦車を調達して列に加わり、シャロンと老騎士カイン、それに二人の騎士も馬の左右に予備の盾を掛けての重武装である。
彼女の前には三十の新人騎兵と輜重車が整然と並ぶ。支給された揃いの革鎧は騎士達の鎧に似せて作られ、胴だけでなく腰周りや小手、脛当てまで揃っていた。内部に金属を挟んでいるらしい厚い拵えは見た目にも頼りなさを感じさせず、ちょっとした騎士気分に心が湧き立つが、ここではしゃぐ様な者はいない。
「これより任地までの行軍訓練を行う!」
シャロン率いるロンバルディア領の騎士九名と輜重車含む新人三十名。総勢四十の騎兵がオールズ領を南下していく。
通常シュバルツラント国境まで馬で五日。今回拠点とする中間の宿場までは三日はかかる。その距離を一日半で踏破し、一日の休息。その後二週間、国境を中心に帝国側とシュバルツラント側の最寄の宿場までを往復して警備と周辺捜索。第二陣と交代し、子爵領へ帰還。そして再度警備を繰り返す予定だ。その途中、帝都から北天騎士団が合流すればそのまま国母と共にシュバルツラント国境を抜ける。
国母の出立日時は通達されず、任期がいつまでになるかは未定である。
その第一隊に、マリオンはいた。村で乗馬の経験など無いが、拙い技術を体力で補って何とか、ではあるが強行軍についていけていた。
(野宿……もう二ヶ月経つのか。マイス……)
パチパチと薪が鳴き、マリオンは炎の中にかつての光景を見た。初めて羆を二人で倒した宴会で、馬鹿みたいに騒いだのも遠く懐かしい。二ヶ月前の最後に親友と焚火を囲んだあの日の昼の訓練では、彼に負けた。いつになったら勝てるようになるのだろうか。
「勝ち逃げは無しだぜマイス……くそっ」
痛い尻をさする。隣に彼がいたら、彼は笑うだろうか。と、苦笑いが浮かぶマリオン。
(いなくて正解か……いや)
絶対アイツも同じ思いをしてるに違いない。負けず嫌いの少年はそう確信して毛布に包まった。
翌日。
昼の大休憩の時間が昨日より長い事に何事かとざわめき始めた頃、シャロンは地図の前に居た。
「地図に無い村、ですか」
「隠田ですかな」
「それにしては堂々としすぎているが……どこの領だ?」
オールズ子爵領の南東。斥侯に出た銃士の、畑を有する小さな集落があるという報告は見逃せないものだった。
帝国の食料庫でもあるダイスでは隠田は重罪である。背後関係を徹底的に洗い出し、村人の全ての首が晒され首謀者は全ての財産を没収された上で厳罰を課せられた後に処刑。かつて『賢聖』とまで称えられたダイスが作った法の中で最も厳しく、重い罰が待っている。
「この先に道が隠されていました」
林の中のごく普通の一本道に見えて、僅かに茂みの成長が遅く、枝が不自然に曲がった木が生えた場所があった。言われなければ素通りしてしまいそうなほど目立たず、人が一人やっと通れそうな幅の小道は入って暫く蛇行が続くらしい。
背景の木々に溶け込み、違和感を感じさせないように錯覚させる巧妙さ。自分なら絶対に気付かないな、とマリオンは感心する。
「小隊編成。四人一組で警戒を厳に。賊の拠点からもしれない」
訓練通り、即座に騎士一人に新兵を三人つけての小隊が編成される。カインに手招きされ、マリオンはローランとカインと共にシャロンの小隊に組み込まれた。
シャロンの他、騎士と銃士が三隊ずつ。七小隊二十八人が探索に。残りは重騎士の指揮で輜重隊の護衛にあたる。
「ふむ。フィズ、グラン。盾を下ろせ。馬は置いていくぞ」
カインと二人の騎士が馬から予備の盾を下ろし、その包み布を解く。中にあったのは青く、磨かれた銅の盾。
それまで普通の騎士としか見ていなかったマリオンは、それに大きく驚いていた。
いかに輝士といえど輝石の発動は心身の疲労を伴う為、常に青銅を纏っているわけではない。
それは輝石で操らなければ単純な青銅の防具でしかないし、広く鉄製武具が広まった大陸で、青銅の武具はけして優秀とはいえない装備である。
とすれば当然持ち運びに適した形状にして携行するのは適当といえる。そして騎士という立場上、最も好まれたのが盾という形状だ。木漏れ日を受けて反射する光は、喜んでいるかのように踊った。
「マリオン。これを持って儂の反対に立て」
カインが姫騎士の馬から盾を下ろす。上半身が隠れるほどのそれは、銀色に輝いていた。
それもやはり単なる銀製の盾でしかない。シャロンが操らない限りは。だがいつかは。いつかは! とマリオンの中にそれを身にまとう将来を思わずにいられない魅力。やがて聞こえた「出発」の号令に、マリオンは現実に戻ると林へと踏み入った。
「正面は隊長が。お前達は左右、それから上に分担して警戒せい。後衛は上より後ろを注意せよ」
長銃を構える銃士を先頭に、念入りに隠された道を四方と頭上に意識を向けながら歩くこと暫くして、道が太く、拓けた。
「二小隊残って街道へ茂みを切り開け。合流後は馬をこちらに届けい。戦車と輜重隊は街道で指示あるまで待機じゃ」
地図を囲むシャロンに変わり、老騎士がてきぱきと指示を出す。銃士と輝士でない方の騎士の一隊ずつが残り作業を始めるなか、マリオンは木陰の冷たい空気に空を見上げた。
(この道は……どこかで……)
見上げるほどに高い林。差し込む煌くような木漏れ日。雰囲気だけでなく、どこか懐かしい。走る子供のはしゃぐ声と足音、それを追う姉の声が聞こえてきそうな、静かな風がそよぐ。
太陽が、山に近付きつつあった。
畑は青々と風に波打ち、薪と干草を作る作業に口ずさむ歌が何処からともなく聞こえてきそうな村。
林が途切れ、突然開けた視界に広い畑が広がる光景に二十人は唖然とする。ただ一人、マリオンだけは口元に笑顔を綻ばせた。
「おぉ。マリオンじゃないか!」
「親父さん!」
「知り合いか?」
「おれ……自分が育った村です!」
老騎士がほぉ、と目を細めた。
「出来ますな……」
呟く老騎士がふと風に乗る何かを嗅ぎつけ、眉間の皺が深みを増した。マリオンが再開の挨拶を交わす間に、カインは主の耳に口を寄せる。
「帰ってきた、わけじゃぁなさそうだな」
数ヶ月ぶりの村の景色は、畑の成長意外殆ど何も変わっていなかった。懐かしい父親代わりの大人達。少し違和感を感じるとしたら、どこか寂れたような静けさが漂う空気だろうか。
女性と、弟妹達の声が聞こえない。いつもは村中を賑やかに走り回っていたはずなのに。
「失礼。この村の長にお会いしたい。我々はダイスの騎士です」
「あぁ、今なら真ん中の広場の方にいるな。ちょっと問題があって」
「ふむ……一応問題と言うのも聞いておきましょう。マリオン、貴方の村ならその広場まで先導を」
「銃士小隊は入り口で待機じゃ。後続を待ってこちらへ合流せい」
二小隊を入り口に置き、村へはシャロンと二人の青銅輝士、三小隊十二人だけが入ることになった。
すぐそこの家を曲がったところですよ、とマリオンは前を歩く。その後ろでざわめきが起こった。
「実は食人鬼が出たのです」
「オーガ!?」
「賊だけじゃなくそんな奴までいるのか!?」
オーガは大の大人を見下ろす巨大な体と並外れた筋力を持つモンスターである。頭部に角を生やした鬼族の中でもかなり上位におり、道具を使って集団で狩りをする知能をも持っている。悪食で特に人間の肉を好む為、食人鬼の異名で恐れられていた。オーガ一匹でも討伐には熟練の戦士が十人近く必要になり、小さな村は壊滅の危機に陥る程の脅威なのだ。青銅輝士でも一対一では無傷で勝てないだろう。
これには流石のシャロンも驚きを隠せず、しかし頭の中ではすでに模擬戦を始めていた。
(問題は数か……)
「『お待ちしておりました』。ロンバルディアの騎士様方」
長は白髪交じりの頭を下げて一行を迎えた。広場に集まった二十人ほどの中年から壮年の男達。その全員が腰に剣を差していた。中には数人、杖のような物を数本布で包んで担いでいる。
部下を待機させ、カインだけを従えてシャロンは村長と対面する。
「はじめまして。村長。オーガが近くに?」
「えぇ。女子供達が襲われて犠牲になってしまいました……ですがそんな事はたいした問題じゃありません」
「犠牲って……村長!」
思わず詰め寄ろうとしたマリオンの肩を一人の村人が掴む。やれやれと首を振ると彼はマリオンを引き摺るように輪の中心から離れさせた。
「おいおいマリオン。長同士の会話に割り込むのは不敬って習わなかったか?」
「でも!」
「近くここは引き払います」
(引き払う? 村を捨てるって言うのか!?)
引っ張られて後ずさるマリオンの背中を、白い光が駆け上がった。僅かに遅れて赤い飛沫が舞う。
「悪いがお前は連れて行けないんだよ」
焼けるような激痛に、マリオンは口は開けども声を出せずに膝をついた。
「お前達を皆殺しにしてからな。殺れ!」




