少年編 17
街道警備の第一隊が出発まで三日後まで迫り、兵舎は興奮と緊張、そしてモノで溢れていた。
必需品のリストと荷物を確認するマリオンの部屋へ、友人が人目を気にしながら入ってきたのはそんな折だった。
「マリオン。支度金幾ら残ってる?」
「やぁローラン。残りは金貨が一枚と銀貨が……四枚だったかな」
「なんだよ全然使ってないじゃないか」
金貨一枚あれば、大人二人が一ヶ月は十分に食べれる価値があった。といっても村から出たことの無いマリオンにはその価値が殆どわからず、買い物も友人達と一緒にまとめてだったので吹っかけられずに済んだのだった。
「どんな箱から出てきたんだか。まあいいや。じゃあ決まりな。夕方出かけようぜ」
ローランはそばかすの浮いた頬を緩ませると「どこに?」と疑問を顔に出したマリオンの首に腕を掛ける。
耳を寄せた友人は、廊下に誰もいないのを確認して、そんな用心の意味が無くなるほどの声量で言う。
「娼館だよ娼館!」
「警備っつったって死ぬかもしれないんだ。お前だって良い思いしとけよ」
薔薇の園。薔薇の看板は南天の大通りに堂々と掲げられていた。戦闘で夫を失った未亡人。貧しい農村の娘。あるいは借金のカタに入れられた人質。およそ自ら進んでその店に入る女性のいない店。
そこへ少年達は連れ立って扉をくぐる。
高級宿のような綺麗に整った壁。所々に美術品がおかれ、カウンターには淡い色のドレスを着た三十代ほどの受付が一人。彼らを笑顔で迎えた。
「ようこそ旦那様方。本日はどの子をご用命でしょう」
「コイツ初めてだからさ、教えてやってくれないか。あ、俺はまたリーナちゃんで」
マリオンも此処へは彼等とは違った意味で興味はあった。
忘れろ、と言われたのに。
その前に出て行ってよいものかと迷っていたが為にずっと躊躇していたが、奥の部屋から出てきた女性と二階に上がるローラン達を見て、マリオンは意を決する。
「セルビアさん、はいますか?」
「セルビア、ですか。当店にそのような名前の者はおりませんが……どちらでお知りに」
受付嬢の視線が少年の視線を真正面から捉える。その価値を値踏みするように。しかしそれを気付かれないよう、目と唇には巧妙に笑みを浮かべていた。
「――で、看板と同じだけど青銅の薔薇を付けてて――」
記憶の中の女性像を何とか伝える。その出会いや会話の覚えている限りを必死に紡いでいるのだろう少年に、女性は小まめに相槌をうち、その仕草に微笑を浮かべた。
一区切りついたところで、成程、そうでございましたか。と受付嬢は奥に向かって手を叩く。
「お客様を奥の間へ。ショーラ!」
「はいはーい? あ、か~わいいー」
彼女と同じ青銅の薔薇を胸に飾った賑やかな女性が奥から現れ、その腕を絡めると柔らかな双丘を押付けながら廊下の奥へと促した。
「兵隊さんかー。やー金髪カッコイイねー」
一階の奥の部屋に連れ込まれたマリオンはその豪華さに言葉を失った。
キラキラと光る――宝石をちりばめられた――彫刻。幾つものクッションが置かれた厚いソファ。特に巨大なベッドは細かな装飾が浮き彫りにされた白い支柱が聳え、薄いレースは何重にも掛かっているのにその中が薄く透けている。
「さぁさぁ。楽になさって?」
初めての光景に立ち尽くすマリオン。その手を引くショーラは足取り軽くベッドに向かうと、絡み合うように倒れこんだ。
「あはははは。ここは何しても良いんだよー?可ー愛――」
慌てふためく少年が可愛らしく、抱きついたショーラはそのまま唇を近付けるが、それが重なる直前に扉がノックとともに開かれた。
「ありゃ残念。次は指名してね?」
舌先が軽く頬を舐め、絡めた足と手は少年を座るように誘導する。
現れたのは長身の美女であった。まるで陶器の人形のような白い肌。レースをあしらった純白のドレスに身を包み、同色の波打つ豊かな髪は艶やかな光沢に揺らめき、淡い瞳に蝋燭の赤が濡れ光っていた。
流れるような動作で開いた胸元を押さえると、片手でスカートを持ち上げて深くその頭を下げた。
「初めましてご主人様。当ノワゼット支店長を務めます『銀花』のファレンと申します」
こぼれんばかりの胸元にセルビアと色違いの、銀の薔薇が光っていた。
『本日はサービスとさせて頂きます。アレも今宵もすべて夢の一時とお忘れになられませ……主に相応しくなられるその時まで』
ファレンの穏やかな声を霞がかった頭の中で途切れ途切れに反芻する。
(アレとは何のことだろうか……ご主人様と言っていたような……何をサービスされたんだろう……か? あの人達はどんな顔をしていた……?)
何かが、頭の中から抜け落ちてしまったような感覚に、必死に思い出そうとすればするほど現実が遠く感じていく。
「どうしたんだ? マリオンの奴」
「アレだ。初めてで銅花なんて選んじまったもんだから骨抜きにされちまったんだよ」
銅花――容姿に秀でて男の扱いに慣れた上級娼婦。指名料金貨一枚。その上の銀花となると貴族しか相手にしないとか。
「ははは。しっかりしろよぉ? 明後日には出発だぞ」
「そうそう。いい思いしても死んじゃぁ意味がな――」
「そこ! 黙って立ってろ!」
生半可な鍛え方では少し歩くだけでバテてしまうほどに重い、重騎士用の全身鎧と大盾を身につけた三人の新兵が訓練場の入り口に立っていた。
シャロンの怒声にビシリと背筋が伸びる。
(まったく! ……いや待て。なんで私が苛ついているんだ?)
理不尽な苛立ちを感じながら指揮へと集中しなおすシャロンは怒声を張り上げるのを諦め、代わりに弓を握った。
「まぁなんじゃ。毎年支度金を使い込む奴は居るがのお……」
困った奴等じゃと頬を掻く老騎士が空を仰ぐ。雲一つない空に、緩やかな風。空気はすっかり冷たさが無くなり、太陽は燦々と降り注いでいた。
「あー、太陽黄色いなー」
「やば……この中熱くなってきた」
夕方、やっと許された彼等がそこを離れると、壁には大量の矢が人型に突き刺さっていた。