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帝国の地術士  作者: 玉梓
第1章 出会い
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少年編 15

「なぜあの血を生かしてある。私は殺せといった!」

 重厚な絨毯に扇がたたきつけられた。

 飾羽根が舞い極細の中骨が折れ、飾り玉が飛び散る。

 南天領主の屋敷の一室に、不穏な動きがあった。白髪の目立ち始めた女性を前に、太った小男は背中を丸める。

「お許しを。赤子より育てたアレでもってジェノアに引導を渡すが宜しいかと思いまして……」

 憤怒。そういうに相応しくまなじりを吊り上げ赤く激昂する婦人に、男は脂汗を拭きながら応える。

「お前にそのような事は期待しておらん! 殺せ! アレの存在を知る村ごとじゃ!」

 薄暗い部屋に双眸が爛々と光る。

 怒り狂った彼女に言葉は通じないと悟った男は、恭しく頭を下げると短く「御意に」と答えた。

 太った体を揺らし、退室する男の目もまた狂気に染まっていた。彼女とは違い、冷徹に。

(あの怒り……この狂気……これが生! 私は今生きている! ク……ハハハハハ!)

 悦びに歪めた厚い唇を舌なめずりしながら。それを見せる事無く、男は館を後にした。

 翌日。彼の領地へ早馬が走る。


 南天オールズ領。

 盾と盾が激しくぶつかり、熟練の騎士が見習い達の未熟な密集陣形(ファランクス)を押し潰していく。

 盾を前面に押し出し、防御を重視した密集陣形。帝国歩兵の基本陣形なのだが、その最前線に立つ者はかなりの力量を必要とされる。

「まぁっだまだあ負けるかよっ!」

 本来、重騎士という全身鎧に大盾を持った騎士達の立ち位置なのだが、金髪の少年は未熟ながらも誰よりもそこで立ち続けた。

「体力的には抜きん出ておりますなぁ」

「体はな。だがまだまだだよ。未熟すぎる」

 郊外の訓練場で、同僚が限界で倒れる中で一人立ち上がるマリオンを櫓から見下ろすシャロンと老騎士はそう評価する。

「磨けばよいではないですか。アレだけの素質は中々あるものではないですぞ」

(む……今回はそうきたか)

 シャロンの形の良い眉がピクリと動く。警戒心むき出しで慎重に言葉を選ぶ。

「確かに、私もあの歳の時分はまだ完成はされてなかった」

「いかにも。では当時のご自分と比べて如何ですかな?」

「……体以外では負けていない」

 平静を装ったつもりが、唇の端がひきつった。知っているくせに。と教育係の意地の悪い質問に無言で威圧するも、彼はそんなものは慣れきっている。

「では彼が――」

「言いたい事はわかってるから遠回しに退路を塞ぐな」

 シャロンは手すりに乱暴に拳を置くと老騎士をにらむ。老騎士が自分の伴侶に彼を推そうとしているのが判っているからだ。

 金髪金眼。どこか子犬を思わせる人柄はどこにでもいる素直な少年だろう。顔立ちが整ってる事もあって彼の周りには人がたえる事が無い。容姿においては十分に彼女の眼鏡に叶うものだ。

 体格にも恵まれている。それは天与の才とも言うべきものだ。教養も騎士としても未熟で足りない物は付け足せばよい。今が未熟だからと将来もそうだと言わせないように、老騎士は言質を取ろうとしていた。まったく老騎士の老獪ぶりは拍車がかかる一方だ。

 その老騎士は改めてシャロンに向き直ると白髪頭を下げた。

「何処の血統かは未だ掴めませんが、皇族に近いのは間違いありますまい。姫の相手として申し分ないかと」

「……白銀輝士の相方が一介の騎士では困る」

「……ですな」

 シャロンが逃げ道と見つけた落し所は輝士としての才能だった。

 今は猶予されているが将来的に未婚など許されず。最悪、輝士であれば誰でも、と実家は相手を宛てがうだろう。

 元より、愛を育んでの結婚など夢のまた夢とシャロンは理解している。貴族とはそういうものだと。そして、血を残すのも貴族の役目だと。

 だが騎士として、指揮官としても優秀な有力貴族であるシャロンの前では、老若男女問わず萎縮しない方が珍しい。そうでなければ彼女の関心を買おうと媚び諂い、機嫌取りの美辞麗句を並べ立てる口達者な軽薄な軟派者か。

 それでは結婚後は針の筵ではないかと。せめて自分に怯む事無く、地位に媚び諂う事無く。正面から見れる相手を。そう望むのはあまりにも敷居が高すぎた。

 しかし、ここに来て現れた少年は純朴で、必要以上に媚を売るわけでもなく。接し方も目上への敬意という形で許容できる範囲。

 悪くない。悪くないが、自分は今年二十を迎えるというのに相手は未だ十五だという。

 二人は揃って顎に指をあて、考え込むその顔は対照的であった。

 かたや少年の隣に立つ自分を。

 かたや掌中の玉のように育てたな姫が子供を抱く未来を思い浮かべて。

(……これはこれで問題のような……)

「とはいえ、これでルデリック殿下への口実が出来ましたな」

「言っておくが、決して殿下に不服があるわけではないぞ!」

 判っておりますと繰り返す老騎士の口元ににやついた笑みがあるのをシャロンは見逃さなかった。

(決闘して勝てたら嫁になってやるなんて、子供の時の売り言葉に買い言葉じゃないか!)

 シャロン・デ・ロンバルディア。幼馴染である天領白銀輝士ルデリック・ネル・ジェノアに全勝中である。

 もしあんな発言をせず普通に幼馴染となっていれば、あるいは今頃は……とも思うが。

 残念ながら両家共に武家である以上、剣を立てての宣言は守られなければならない。


「さて。余計な事を考えられないほど疲れておるの」

 足を引き摺るように兵舎へ戻った新兵達の前に、老騎士の指示で小さな玉が置かれていく。

 なんだろうと手にする彼等の手の中でそれは鈍く光を弾いた。

 色はくすんだ銀色。指の関節一つ分ほどの球体は冷たく、その持ち主達の顔を映していた。

「輝士用の輝石ではない輝石があっての。それは錫の輝石じゃ」

 ざわり、と驚いたのも一瞬。鈍く光る石を手に、部屋が凍ったように静寂が満ちた。

 マリオンは手の中の小さな玉の重量が急激に増した気がした。気付かないうちに、もう片方の手を添えて両手で小さな石を乗せていた。

(輝石! これが……これが輝石!)

 それは決して重くは無い。決して美しいとはいえないただの玉。それが彼の意識を捉えて離さない。

「輝石自体、まだあまり数が見つかっておらんから知らんのも無理は無いがの。戦闘には不向きだけに輝士の適正試験に使っておる」

「これからはそれを手放さないように。輝石に宿る精霊の声を聞き、石の輝きを見、その形を変えろ。それが出来たら……」

 老騎士とシャロンの説明も、耳に入っていながらすぐに消える。それほどマリオンの意識は輝石に向けられていた。同様に、他の新兵も少なからず石を凝視して息をするのも忘れたように見入っている。

 だがそれを咎める者はいなかった。それでいい。雑念を捨てさせる為に、ことさら厳しい訓練で彼等を疲労させたのだ。

「お前達は輝士に挑む資格を持つことになる」

 疲れた体に吹き付ける風が汗で余計に冷たく、そして体力を奪う。にも関わらず就寝を告げる鐘が鳴るまで、食事も忘れて彼等はそこに居続けた。

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