54話 ドロドロしたモノ
目を覚ましてもまだコハルの背中の上で仰向けに寝ていた、どうやらあたしが普通に眠れるほどのサイズになっているらしい。気を失っていたのは数分だったようで、空が高く見えるのはコハルが地上に近い位置で飛行してくれてるからだろう。幾分ぼんやりとした頭を動かして確認しても、見渡す限り続く晴天から積乱雲からはかなり離れた場所に今自分がいるのだとわかる
[主、起きられましたか?もし気分が悪ければ一度降りますが…]
あたしが動く気配を察したのかコハルが話しかけてくる。心配そうな声色を安心させるように寝返ってうつ伏せになるとその身体に顔をこすり付ける
「大丈夫。このまま家に戻ろう」
[わかりました。もうすぐ民家がありますので、サイズを少し小さくしても大丈夫ですか?]
「うん…。もう平気」
本来なら獣の香りがしそうなコハルの身体は、あたしの魔力から生まれただけあって自分の香りと変わらない。毛に包まれると自分の布団の中のような感覚になる。あたしはコハルに気付かれないようにそっと自分の右手に視線を向けた。あの時槍を伝って流れてきた白い液体はコハルが綺麗にしてくれたのか、今は手には何も付着していない。だけどあたしの目にはいつの間にか白い液体が血へと変化し、べっとり濡れてる気がした。
…初めて命を奪った。
別にこの世界では何でも無い事。この3年の間に森なんかで何度も魔獣に対してきた。魔獣に村を襲撃された時には警備であるメルフォスさん達が身体を血で汚して帰ってきたのだって普通に見てきた。だけどそんな魔獣を森で遭遇した時には「殺すのは可哀相だから」と魔法を使って自分が逃げるか、相手を逃走させるようにばかり仕向けてきた。メルフォスさんに聞くと10年前までは国家間の戦争も日常だったという話も聞いた。そういう事が日常的に起こる世界だって頭では理解していた。
…でも、ほんとに頭の中だけだ。
どこか映画のワンシーンのように思っていた世界。『映画に出演している』自分自身もどこかそんな感覚でずっと生活してきたのかもしれない。どこかのアトラクションの中にでもいるような感覚で魔法を使い、自分の能力が高い事も物語の主人公なのだから迷惑だけど当たり前のように受け止めてきた。城で襲われた時だって殺されると思ったら助けられて…その時だって本音ではここで死ねばゲームのように元の世界に帰れるかも知れないと思ってた。
…だけどこれは現実。
あたしは食牛がいる事を理解していても、自分が食す肉はパックだと思っている平和ボケした日本人だった。ぎゅっと握った右手には肉を断つ感触が残っている気がする。料理なんかじゃない…命を奪う行為。
[主、体のサイズを変える為に一度地上に降ります]
「あ…うん」
コハルの言葉に思考が戻されたが、一度深みにはまった考えは留まる事を知らない。コハルの背から降りて地上に足を付けたらどっと疲れが襲って来てふらついた。
[主、大丈夫ですか?]
「う、うん。ごめん。ちょっと空にいすぎたのかも…少し歩いてもいい?」
[はい。でしたら私はちびサイズに戻りましょう]
そういってコハルは回転すると人の頭サイズになってあたしの横にふわふわ浮いている。もうすぐ民家だとコハルが言っていたけど、目視出来るところにそれらしい建物は無い。ただ広がる草原にどちらの方向へ向かえばいいのかわからず立ち止まってしまう。
「コハル…どっちに向かえばいいのかな?」
[こちらです。先をいきますので…]
「ありがと」
コハルが飛ぶというよりふよふよと漂うといった形の方で前方を進んでくれる。その後を着いて歩きながらやはり右手に視線を向けてしまう。「仕方がなかった」と言い訳をする自分、大きな力を持っているくせに殺す事しか出来なかった自分。
「はぁ…」
[主…]
あたしの溜息に振り返るコハルの目は不安そうに瞳を揺らしているが、そんな瞳にさせてしまっていてもフォローする言葉が見つからない。大丈夫だと声をかけてもそれが真実でない事はお互いにわかる。この世界に居る限りはいつかは乗り越えなくてはならない壁なのだと思う…だけど正直辛い。
「…凹むわ」
また大きく溜息を吐こうとしたあたしの目の前に最近見慣れた魔力の渦が突然現れた。
ただ魔法便とは思えない魔力の渦にコハルが冷蔵庫の大きさになって尻尾を立て警戒する。
[主…どうか私の後へ…]
魔力の渦から足が出たと思ったらあっという間に人が立っていた。グルルと威嚇をするコハルの後に下がっていたあたしはその姿を見て茫然としてしまう
「……え?」
「…ん?ここは…アサミズの家ではないのか?」
[…主…知ってる方ですか?]
コハルは警戒を解かず威嚇だけを止め、あたしへと質問してくる。
「知ってるも何も……」
目の前に立つリュージュを見て思った事が、ただの平原に立っていても皇帝は皇帝の貫禄を持ってるって凄いな…なんてくだらない事だった
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心より感謝いたします