作詞をする私がやっている、小説の書き方及び創作論
みなさん、小説を書く時、プロットは書きますか?設定はどの程度書きますか?一つの状況を書く時、何を書きますか?誰の視点で?
私はプロットも設定も全然書かないです。でも、現在長編11作目。物語が破綻することもなく、4年間、何作も連続で書き続けてきました。そして気付いてしまったんです。
私が書いているのは“小説じゃない”って。
私は物語を書く時、まず、ストーリーが全て降ってくるところから始まります。はじまりとラストシーン、あと、山場のシーン。
そうするとキャラクターに生命が与えられます。ただ、どんな人でどんな思考、口調、人生か。名前などの紙に書く設定はあとから。
例えば、今書いている小説の主人公、元お嬢様は、もともと公爵家の令嬢で10歳から王太子の婚約者でした。周りは上っ面ばかりの人間達で親しい友人はいません。家族と暮らしていますが親と一緒に寝たことも雑談をしたこともありません。
令嬢としてのマナーはもちろん、将来の王妃として勉学にばかり明け暮れていた子です。そして結局、親に捨てられ辺境の村にひとりぼっちで死ぬしかなかった子でした。
という人生を乗り越えてきた子を頭の中に作ります。
設定表はありません。
書くにあたって名前が必要なので名前をつけますw
ちなみに元執事も隣に作ります。髪は紺色、線の細いイケメンで……。こっちは外見重視ですね。伯爵家次男。
家を継ぐ予定がなく11歳の時に公爵家のお嬢様の執事として就任しました。忠誠心はありませんがかなりのプロフェッショナル。
雑談はありませんでしたが、お嬢様の隣で執事として政治や経済、数学など勉強させられてきた子です。お嬢様が王宮へ嫁ぐ暁には、まあ執事としては無理でも、別の仕事を王宮で得ようとしていました。そのために知識や技能をがむしゃらに身につけていました。
けれど、追放されたお嬢様の執事だったために結局同じ馬車で追放されてしまった子です。
そんなような子をとりあえず顕現させます。書くにあたって名前が必要なので名前をつけますw
多分これは二次創作する人と同じ感覚ですよね。二次創作するときにキャラ設定なんか書かないよね?
で、最初からおおまかストーリーはすでにあるので、そんな二人に物語の上を歩いて行ってもらいます。
私はそのエピソードを二人を主人公にして書いていく係です。
特に私は物語において口を挟みません。
私はただ、そこで主人公が見たもの感じたものをそのまま書いていきます。
でもね、一般的な小説の書き方は、見たもの感じたものをそのまま書いてはいけないらしいんです!
感覚主体じゃない!
小説の書き方なんて知らなかったから考えたこともなかった!
二人が追放された村は、北方ののどかな村です。小屋を出て右に行くと、丘が見え、村はその上にあります。なので、二人は毎回けっこうな坂を登って村へ行きます。
村は300人程度の小さな村。ただのだだっ広い土むき出しの広場を中心に、形成されています。主要な産業は小麦。主食はパン。
店はありません。資産は牧場にいる牛3頭。自給自足はなんとか成り立っていますが輪作をしていないため先細り。けれどみんな人が良く、助け合って生きています。広場にはいつでも人がいて、女性達がおしゃべりをし、子ども達が走り回って遊んでいます。塀の上にはいつも薄茶と白ツートンの猫がいます。
塀の向こうは少し下がったところに川が流れ、洗い場があります。洗い場では若いお嬢さん達が洗濯をしています。
畑は広い丘陵地帯で、小屋から地続きの低い場所に広がっています。
村と小屋は基本的に明るい森で囲まれ、某小型動物を獲って食べています。
遠くには切り立った山があり、ドラゴンがいると言われています。山には時々領主が討伐隊を出しています。
いや、いろいろ設定はあるけどさ、別にこんなの設定として紙に書いたりしてません。
小説に書くのだってこんなもの全部は書かないし。もちろん必要な部分は書くけども。物語に関係ないじゃん?
だから私は設定なんてないよって言うんです。そんなの物語とは関係ないし。紙に起こしてるわけでもないし。
でも、小説っていうのは書くんだって!主人公が認識してなくても?世界を?状況を?
キャラ設定にしてもそう。元執事はイケメン設定だけど、そんなものはろくに出てきません。だって自分でイケメンだって認識してないから。元お嬢様も顔とか見てないから。
うちの元お嬢様は絶対こう言う「王子とどっちがいい顔かって?そんなもの知りませんわ。ああ!目が二つで口が一つ、鼻が一つ。共通点はありますわね!」
でも、一般的に小説と呼ばれるものはそういうことまで書くらしいの!
それにね、そもそも感覚主体で書かないんですって。小説って、カメラは主人公の外。外から見るものらしいの。
私はなんで?って思う。だってそれは映像の仕事じゃん。文章っていうのは読者に感情を立ち上がらせることができるからいいんじゃないの?って。
文章で主人公をパンして見せるって、ナルシストかな?って。
でも、一般的にいう小説っていうのは、映画のプロットタイプみたいなもののことなんですって。見せるのは映像。感覚は見せない。私はなんで?って思う。
だから、感情もそのまま書くらしい。「嬉しい」って。「悲しい」って。説明するものなんですって。
私は、そんなの無粋じゃん!って思う。
でも、小説って読む側の感情を立ち上がらせるものじゃないんですって
!
小説として違和感はあったけど、それが何か気付いてなかった。
だって私は、小説の書き方があるなんて考えたことなかったし、それが是である世界に居たから。
これね、作詞の書き方だったの!
設定を全て書かないのも、感覚を主体で書くのも、感情は書かずに受け手に感情をおまかせするのも。
作詞の書き方を知っていますか?
作詞っていうのは、音に文字を合わせることなのです。
母音や子音を組み合わせて。
言葉を連ねることじゃないんだよね。
つまりポエムとリリックはまったく別のものだってこと。
母音や子音にそれぞれ役割があり、並べ方で表情は変わり、表現が変わる。
そういう母音と子音との戦いなのです。
それに、読ませ方も違う。
小説は、キャラクターがどう動きどう感じたかを書くよね。
歌詞では、それは書かない。
基本的に、歌詞の主人公は“自分”だから。
キャラクターのこともあるけど、それも自分と重ね合わせて何かを感じることが多いよね。
自分と重なって、気持ちを呼び起こして泣くこともある。
それが、歌詞。
だから、歌詞には設定は書かない。
あいまいに書くことが多い。
あいまいだと、自分と重ねやすいから。
感情語を書かないのも歌詞のセオリー。
「嬉しい」とか「悲しい」ってさ、歌詞にはあんまり書かないね。
その代わり書いてあるのはあれ。
J POPによく書いてあるよねって言われるあれよ!
「その瞳」だの「手を伸ばす」だの。
これ!
動きの言葉。
これは歌詞で感情を書く時のセオリーなんだ。
そのまま「切ない」とか書いても感情は重ねられないじゃん。
でも、動きや感知したものを書くと、気持ちを思い起こせるの。
リスナーはどんな感情を持ってもいい。
解釈違いでも構わない。
これをここに置いておくので、ちょっと触っていきなよって、そんな気持ち。
これが、歌詞のセオリー。
だって歌詞ってそうじゃない?
説明なんて全部しなくてよくて、リスナーさんの感情に重なればよくて、それで感情が動けばよくて。
どんな感情か伝えなくても、何かを感じてもらえばよかった。
どんな解釈でもよかった。
むしろ背景全部説明してる歌あったら無粋、まである。
私の物語、小説とは真逆だったwww
たぶんこれ、読めない人も多いよね。
https://ncode.syosetu.com/n7111lj/
だからって別に物語を書くのやめるでも、書き方変えるでもなんでもないんだけど。いや、なんでもなくはないんだけど。
すごい発見しちゃったの!
って話。
だからずっと、「感情?え、別に分かんなくていいよ!そのままついてこーい!」とかいう作詞のときと同じ感覚で書いてる。




