6.【元婚約者の残したもの】
普通なら婚約破棄をした家の人間の紹介である人物とは婚約はしないものでしょうね。
私が婚約した話が流れると、少しの間噂がさざ波のように起きて、消えました。
なお、母が一生懸命流したリーノ伯爵家の悪評は、見事にリーノ伯爵に利用されたそうです。
フリードと二度目に会った夜会で薄々気が付いていましたが、リーノ伯爵が国に重用される理由を目の当たりにした感覚です。
評価が地に落ちたからこそやってくる有象無象からごっそり利益だけを搾り取るなんて、本当にエリックの事がなければ恐ろしい人です。
「リーノ伯爵家とは微妙な距離感を保つのが最善なのよね」
「でも今後は関係を改善していくという事ですね」
ケインはフリードの年下の親友との事です。
丁度フリードとエリックの中間の年齢で、婚約者がいない理由は先日の夜会で聞きました。
「子爵家の跡取り娘と婚約していたんだけどね、向こうが跡取りを妹の方に変えると言い出して、私と婚約者は妹を支えろ言う話になったんだ。流石に爵位を持つ相手の婿から、爵位のない補佐の婿では違うだろ。それで破棄になったんだ」
何処も色々ありますね。
それに、子爵家がよくもまあ、三男とは言え侯爵家の子息に便利な使用人扱いをしようとしましたね。
婚約の時点で後継などについてもしっかり契約しますから、勝手な事は許されるものではなく、婚約破棄はやむなしと言った所でしょうか。
「長年婚約しているなら、情は残ってませんの?」
「何かと理由をつけられてね、私は自分の婚約者に数年来会っていないし、手紙も何もない」
「あらあら、私も婚約者とは5年近くまともに会っていなかったけれど、分かりやすく代筆だった手紙を受け取っていただけましに聞こえるわね」
意外と婚約者同士が上手くいっていないのはよくある事なのね。
貴族は関係が拗れていても、体面やその他を気にして隠すものです。
共通点を見つけた私達は笑い合いました。
今度は上手く行きそうな気がしました。
「……彼で良いのかい?」
婚約者同士のお茶会が終わって、父が私に心配そうに聞いてきました。
「他に適当な方がいらっしゃるの?」
「……お前には以前好きな人がいた筈だろう?」
その言葉で、急速に体温が下がる感覚がしました。
以前。
そう、父は昔私が好きな人がいた事を知っているのです。
「私の好きな人よりも、わざわざあんな子供を選んだのはお父様では?」
父は俯きました。
私の好きだった人を知りながら、親としての判断でもなく、公爵としての判断でもなく、ただ男の子が欲しかった願望からエリックを選んだ。
両親が最低な婚約者の決め方をした事は、私は一生許す事が出来ないかも知れません。
フリードから伝え聞いた話では、エリックは子供を宿した女性と田舎で結婚したようです。
そのまま2人は領地の片隅に隠れ住まわせ、2度と王都に入れないと言っておりました。
これでエリックの影は私の周囲にはなくなりました。
けれど、エリックが私に刻んだ傷はまだ当分癒えそうにもありません。
もしもあの時エリックではなく、私の好きな人が婚約者になっていたのなら。
「私の婚約者だったら、あの方はあんな事にはならなかったでしょうね」
私は父の前から去りました。
きっと、あの時選ばれていたのなら、誰もがそれなりに幸せになったでしょう。
そして、私には今のあの方を選べない。
それを知りながら口にした父を、私は憎んでしまいそうで、怖かった。
新しい婚約は新しい日々をもたらしました。
一緒に観劇、一緒に買い物……会話も楽しくて、何もしてくれなかったエリックの事など思い出す事もなくなっていました。
「良いワインが入ったって連絡があったんだ」
食事の趣味も合って、私は笑顔でいる事が多くなりました。
「楽しみね」
「ええ。今日は寒いですし、煮込み料理を……」
一緒に馬車に向かうケインが、言葉を途切れさせました。
ふと、その視線の先をおってみると、少し離れた街頭の下に護衛や付いている者もなく貴族らしき女性が立っておりました。
「ケイン……」
「私の事はマーキス侯爵令息とお呼び下さい。いえ、そもそも無関係となったのですから、下位貴族令嬢の貴女から声をかけてくるのはお止め下さい」
「ケイン!」
恐らく彼女がケインの元の婚約者なのでしょう。
情は残っていないと言っていた通り、ケインの声は私すらぞっとする程冷たいものでした。
「ケイン、助けてよ!」
彼女は泣いて叫びました。
私の目にも彼女に何かがあったのは一目瞭然でした。
子爵令嬢と聞いていた筈の彼女は頬がこけ、肌色も悪く、髪もバサバサで整えられてはいませんでした。
ドレスも相当前の型落ち品で色も褪せ、所々汚れて、令嬢よりもまるで使用人のような……。
私の動揺を余所に、ケインは彼女を見据え、
「私は君に扉越しではあったけど、子爵達の言うがままに従ったらどうなるか説明したよね。何だったら紙にも書いた」
「そんな事言われても、私だって父の言う通りにしないといけなかったのよ!」
「子爵の言う通りにしたらどうなるか君が説明するしかなかった。もし子爵が折れないと言うなら、私と一緒に家を出ようと言った。それを断ったのも君だ」
「私が父と妹を捨てられるわけがないでしょう!」
「私は君の決断には付き合えないと、婚約は破棄している。もう関わらないでくれ」
……知らない振りをしておりますが、私はケイン達の間に何があったのか知っています。
子爵令嬢だった彼女の妹が第2王子の子供を宿した事は大々的なニュースとなっております。
その第2王子との子供がもし王家から正式に認められなくても、せめて子爵家くらいは継がせたい。
祖父や祖母になる予定の子爵夫妻が、妹を後継にすると言い出した事もまた、王都でちょっとだけ噂になっております。
王家に認められない子供だとしても、子爵家程度には置けない事を子爵達はまだ知らないそうです。
それと、一番大事な、本当に王子の子か確認出来るまでは話してはいけない事もまた、子爵家程度では知る由もなかった。
「お願い……助けて……」
「私や私の父が言った事を無視したのは君達だろう? 私達は君達には付き合えない」
本来の常識や正論よりも自分達の考える空想を採った。
その責任は、当人達にのしかかるのは当然の事でしょう。
ケイン達は彼女とその家族に正しく誠意で対応したのに、それを踏みにじった事も未だ分かっていないのでしょうね。
泣き崩れる元婚約者に駆け寄る事もなく、ケインは私と馬車に乗り込み、出発させました。
しばらく馬車内で私達は沈黙しました。
「……自分達の都合ばかり押し付けても仕方ないでしょうに」
私は思わず呟きました。
自分達がこれが正解だと思って進んだ妄想のつけをケインに負わせようとした事が、彼女への同情心を私から消し去りました。
子爵家へ尽くさせる返礼が、貴族であるケインに平民になれというのは、流石にあり得ません。
「……元婚約者に冷たくしたから幻滅されたかと思った」
ケインの呟きに、私は吹き出しました。
「貴方はしっかりと誠意を尽くしたわ。彼女達の結果は彼女達の選択の結果。貴方の選択の所為じゃない。共倒れを避けたなんて、貴族としては素晴らしいわよ」
「そうだね。私は私の家族も守った。私は胸を張るよ」
彼女達の望みはケインがいた所で叶うものではありません。
ケインとマーキス侯爵は責められるとしたら、お門違いです。
私達の馬車は予定通りレストランに向かいます。
私達は互いの未来を話し合って笑いました。
けれど、私の笑顔の下に少しだけ、彼女の妹の話が影を落としました。




