26.【弱さを責める者は脆く、弱い】
ケインは、弱い女性は嫌いだった。
ケインが幼い頃より母親が非常識な我が儘を繰り返す自分の妹を切り捨てられず幾度となく窮地に追い込まれ、その穴埋めにかり出される侯爵家の分家の者達に責められ泣くのを何度も見てきた。
そんな家族なら必要ないじゃないか。
加えて、元の婚約者であったニナリアが家族に振り回されて何も決断出来ず、ただ泣くだけでように見えていた事が、ケインの中の嫌悪をより憎悪に近いものにまで変えていた。
そんな家族なら捨てれば良いじゃないか。
家族に依存するような弱過ぎる女性なんて支えきれない。
弱い立場となる婿入りする自分の身を守る為にも、家に害悪をもたらす事しかない弱い女性を伴侶にはしたくなかった。
「そうだな、そんな家族はいない方が良いな」
ケインの多くの友人知人が同調したとケインは感じていたが、彼らはあくまで折角なら婿入りする家の理想程度の話をしていただけだった。
そういう意味では、ケインは少し子供だったかも知れない。
彼女達の弱さをただ否定するだけで、意味がある事を考える事もしなかった。
ケインがヒルダに惹かれたのは、ヒルダが『理想的』に強い女性に見えていたからだった。
最悪な婚約者を持ちつつも毅然としている令嬢。
タイミングの差だけで兄弟とは真逆の印象を受けていたなんて、多忙だった兄2人と距離があったケインには知る由もなかった。
運が悪い事に、ケインの年上の親友であるフリードはヒルダと親しかった。
ケインは難色を示すフリードを何度も拝み倒し、ようやく条件付きでディアーモ公爵令嬢に紹介して貰う約束を何とか取り付けた。
「ヒルダは確かに強い。その横に立つという事はお前自身にも相応の強さが必要だと分かっているか?」
フリードの付けた条件は、つまり覚悟だとケインは思った。
それは間違いではなかったが、正解でもなかった。
「もしもこの先、お前が家族とヒルダを天秤にかける事があるのなら、迷わずヒルダを取るんだ」
そう、フリードに言われていたのに。
ケインは大事な局面で自分が嫌っていた女性達と同じに振り払う強さもなく、破滅に向かう『家族』を選んでしまった。
王太子が襲われたとなっては、王弟のメイヴェナ公爵も慌ただしく城に向かわれました。
私も何事かが起きたと悟られても構わないと馬車を可能な限り急がせ、ディアーモ公爵家へと戻りました。
おかげで何とか間に合い、王城に向かう寸前の馬車止めにいた父を捕まえる事が出来ました。
作法も何もなく馬車から飛び出した私は、
「お父様! メイヴェナ公爵家で王太子を襲ったカルナート様が捕まったと聞きましたが、どうなっているのでしょう?」
「私にも詳しい事は分からん。取り敢えず、何が理由だったとしてもお前の婚約は破棄する手続きをしてくる」
当主である父ならば、飛び火を最小限にする為の決断を下すしかないでしょう。
ケインと私の婚約は恋愛感情だけで成立したものです。
どのような理由であれ、王太子を襲った者を身内に抱えるマーキス侯爵家と縁を結んでいく必要性は父にはなく、王家に敵対していない事を示す為にも破棄は……公爵としては、当然、なのでしょう……。
「……お父様、私は」
「お前は未熟だった。お前ではケインと第2王子の両方の手を取る事は難しかったんだ」
私はグリフィスと王妃の繋がりを私自身の手で暴き出し、ケインとあの方の両方を助けようとしました。
けれど、2人が立場も状況も全く違う事を正しく分かっていなかったようです。
常に2人の周囲の誰かがそれぞれの思惑で動いている事を、未熟な私は読み間違えてしまった。
そう、この事件は、他事に気を取られて盤面を見過ごした私の過失と言えるでしょう。
足早に馬車に乗り込む父をこれ以上引き留める言葉など私は持っておらず、王城に向かう馬車の後ろ姿を見送るしかありませんでした。
胸にあるのは空虚感だけです。
私の2度目の婚約もまた、相手側の問題で破棄となったとされるのでしょう。
弟のケインには婚約者がいると知りながら愚行を犯したカルナートは、一体何を考えていたのでしょうか。
以前私が会った時のカルナートはバルドルの側近である事を誇っており、バルドルには多大な感謝と尊敬を持っていたように思います。
一方で、明らかにカルナートはグリフィスに近しい存在だからこそ、敢えてバルドルが側近に取り立てた囮でもありました。
不安定な関係は何かの切っ掛けで簡単に瓦解しそうでした。
ですが、そもそも策も出来ないのに策の真似事をしたバルドルが策に溺れて、誰かの策にまんまと嵌まった気もするのです。
つまり誰かに踊らされたカルナートがバルドルを襲うまでが策という事。
ただ、それが例え真実策略だったと判明しても、カルナートはどんな理由であれ王族を襲った事で有罪は免れず、マーキス侯爵家も責任を問われ、最悪……。
今は、これ以上は考えたくありません。
「お嬢様、自室に戻りましょうか」
いつまでも馬車止めに立ち尽くしている私を心配したナーシャが私の背を押し屋敷内へと誘います。
この騒ぎにも出て来ない所を見ると、母も不在のようです。
いつでも自分に寄り添ってくれるナーシャの手が温かく感じました。
中に入る前にもう一度外を、マーキス侯爵家の方向を見ました。
「ケイン……」
マーキス侯爵家の事は心配です。
もう一度馬車を出して貰ってケインにどうしても会いたかった。
けれど、冷静なまでの公爵令嬢としての私の思考が、恐らく今頃は王城の関係者が詰めかけて、父に禁止されなくてもマーキス侯爵家の方々に会う事は叶わないと言うのです。
無理に会おうとしたら、私もケインも疑心暗鬼の王城の、多分騎士団に事件に直接関係していると疑われもするでしょう。
昨日の手紙は、これを知っていたからなの?
私が問いかけたい者は近くにおらず、私は一人涙を流しました。
確認をしに来たフリードはその手紙を見て、非常に大きなため息をついた。
書き損じがあって廃棄されていたと思われる手紙。その筆跡は、限りなく第2王子のセルジュのものに似せられ、何も知らなかったらフリードも騙されていたと思った。
ヒルダ宛ての本物の手紙との違いはやはりセルジュが言っていたように、ヒルダとセルジュしか知らない記号の有無だ。
グリフィスの部屋から見つかったこの手紙は、ざっと見ただけでも内容も今王家の影が調べているヒルダの元にあった偽の手紙そのままだった。
偽物の手紙は予想通りの人物の手による物だったと意図せず判明してしまった。
少しもフリードは喜べなかったが。
「何でこれをカルナートになんて渡したんだ?」
「兄だからだよ!」
まだカルナートが取調中なので、ケインは部屋に軟禁されているだけだった。
騎士団に占拠されたマーキス侯爵邸にするりと忍び込んだフリードにはケインは驚いたが、フリードは諜報系の仕事をしているのだろうと薄々思っていた事もあり、深くは聞かなかった。
グリフィスを疑ったケインは、グリフィスの確実な不在の時間を狙って兄の自室に忍び込んだのだ。
ヒルダの忠告、フリードの警戒、それらが向けられたグリフィスに対し、ケインは家族に向けられた疑いを晴らさないといけないとの一心で、『否定する材料』をグリフィスの自室で探し回った結果、不審な手紙を見つけるに至った。
兄とは違う筆跡での書き損じのヒルダ宛ての手紙は、マーキス侯爵家専用のインクで書かれていた。
その内容が意味する所はケインには分からなかった。
故に相談をした。
ヒルダではなく、兄であり家族であるカルナートに。
グリフィスの手紙を見たカルナートは、バルドルに何の疑念も持たずに相談に行った。
ケインはカルナートが尊敬する自分の主を手にかけたなんて今でも信じられなかった。
全てを聞かされたフリードからすれば、ケインはグリフィスの策に嵌められたようにしか見えなくとも。
とは言え、ヒルダという絶対的な解決策を提示されておきながら、崩壊しかけている家族を取るか否かをグリフィスはケインに突きつけただけだ。
策にしても、マーキス侯爵家ではなく、その後の周囲の動きの方が重要なのだろう。
傍観者からは容易い解決が見えなかったケインに、フリードは忠告は意味がなかったと悲しく思った。
「この手紙をヒルダに渡せば良かっただろう。バルドルよりヒルダはお前にとって余程信用出来る相手じゃないか」
「そんな事出来るか! やっと婚約出来たんだ。そんな醜態ヒルダ様に晒せるわけがないだろう」
「……それでカルナートね」
カルナートはケインから聞かされても、グリフィスが王城側から疑われている存在だと何処まで理解していただろうか。
明らかに王城側の人間であるバルドルにグリフィスの手紙を見せるなど普通は考えられず、カルナートは余程盲信していたのかも知れない。
もしくは、カルナートは王太子にとって自分の立場は盤石だと考えていたか。
一連の事件にグリフィスが関与していた確たる証拠を手に入れてしまったバルドルが何を思ったのかは、フリードにも分からない。
ただ、殺されかけたカルナートが自衛の結果バルドルを殺してしまった。
結論だけはフリードは知っていたが、無策のまま行動に移すケインに伝える事はしなかった。
「確かヒルダは直前に手紙を出していただろう。それでもヒルダより身内が良かったのか?」
「……ディアーモ公爵家に家族を売れないだろう!」
俯いて叫んだケインに、怒りのあまりに怒鳴りつけかけたフリードだったが、結局は口を閉ざした。
親友だからよく知っていると思ったから、ヒルダを紹介したのだが。
「お前の本心が分かったよ」
ヒルダに優しい親友を守って欲しいと思うんじゃなかった。
結局フリードの見たケインの優しさは、ただの弱さの一面だったのだ。
ほんの少し助けを願うだけの事なのにヒルダに言う事が家族を売るようにケインが思えたのは、弱い者が強い者に搾取されるだけという事実を見続けてきたからだった。
令嬢でしかないヒルダ自身など最早目に入らず、ケインはヒルダの背後のディアーモ公爵家の強さを恐れた。
あれ程強さに憧れながら強さに怯え、とうとうその強さに並ぶ事さえ恐怖したのだ。
フリードはそれ以上は何も言わずケインの部屋から立ち去った。
扉が閉まると、ケインの嗚咽が部屋に響く。
ケインは紛れもなくヒルダを好きだった。
だが、選択を突きつけられた時、家族とヒルダを天秤に乗せたら、ケインは家族を失いたくなかった気持ちが勝ってしまった。
それは、かつてケインが弱さだと切り捨てた母やニナリアの選択と、奇しくも同じ気持ちであった。




