24.【知る者は口を噤んだ】
ノルーン男爵令嬢と別れた後に戻ります。
慈愛院から出た私はナーシャを待たせている馬車に乗り込むと、大きく息を吐き出しました。
何というか、疲れました。
周囲から甘やかされ子供として生活していたエリックは、本当に中身も何もかも子供だったという事です。
子供の作り方も知らないのに、元ノルーン男爵令嬢の子供を自分の子だと思い込めたのか、私にはまるで見当もつきません。
馬車に揺られながら、私の中で子供でしかなかったエリックの知識の欠落は当然と納得する部分と、流石に二十年以上生きてきた男が何も知らないなんておかしいと言う思いがせめぎ合っております。
今更エリックに悩ませられるとは思っておりませんでしたが、流石に。流石に!
「……ねぇ、ナーシャ。エリックは子供の作り方を知らなかったって言ったら驚く?」
「一瞬驚きますが……あの方ならあり得るでしょうね。前リーノ伯爵夫妻からは徹底的に幼い子供扱いされ、あの性格で友人と呼べる方もいらっしゃらないのであれば、覚える機会が何処にもなかったかと」
ナーシャの言葉に頷く私ですが、今更ながらエリックの置かれていた状況に不自然さを感じていました。
あれでエリックは私の婿になる予定でした。まして種馬としてしか価値のないエリックにそう言う事を全く教えていなかったなんて、首を傾げるしかありません。
そう言えば少し前に父がエリックについて「死ぬと決まっていた子供だから」と口にしていました。
それ以前にも王城側が暗殺者を仕向けようと画策していると、あの方の手紙にもありましたね。
ここに来ても、それらの意味は分かりません。
「エリックって何なのかしら?」
「いつまでも子供である事に甘んじた子供ですよ。いくら前リーノ伯爵達が子供扱いしても、普通は成長と同時に反発するものです。楽が出来る方を選んだ方ですから、気にしても仕方ないと私は思います」
うっかり私の口から出た言葉に、ナーシャが素早く反応しました。
そう言えばナーシャはナーシャで、エリックには依然として思う所があると言ってましたね。
「そうね。あれはエリックの望んだ形よね」
望んで愚かであり続け。
そして、破滅しました。
だけど、ここに来て元ノルーン男爵令嬢の子供がエリックの子ではない事が分かってしまいました。
既に書類も提出済みで婚約は破棄されておりますが。
「憂鬱ね……」
両親はこれを知ってどう出るか?
これまでの事がある私には最悪のイメージしか浮かびませんでした。
その不安は現実となる事はありませんでした。
出迎えてくれた母に、場所的にも簡単に元ノルーン男爵令嬢の子がエリックの子ではなかった事だけを説明すると、明るく「そうでしょうね」と笑っただけでした。
「婚約は……」
「今更エリックと婚約する意味はありません。心配しなくても大丈夫よ」
元々何の意味があったのか、私は知らないんですけどね。
母は機嫌が良かった事もあり、
「お母様にお願いがあるのですが、『元ノルーン男爵令嬢の子供はやはりエリックの子だった』とお茶会などで皆様にお話し出来ませんか?」
「そんな事くらい、良いわよ」
「良いのですか?」
「だって他人の子供なんだから、私達にはどうせ無関係でしょう?」
理由の説明を求められる事もなくあっさり母が了承したので、私は拍子抜けしました。
にこにこするだけの母の態度から、私に読み取れるものはありません。
「ふふっ。私は慈愛院の事で忙しいから、また後でね」
今の私は圧倒的情報不足です。
去って行く母の背中を見送ると、次は父の執務室に向かいました。
先に護衛騎士達から報告を受けているでしょうが、私自身も家長への報告義務があります。
書類仕事をしながらの父に、襲われた事を理由も含めて詳細を報告すると、別段表情も変える事なく、
「『兎狩り』とノルーン男爵か……」
「王妃様の姉と何か繋がりがあったようです」
私が襲われた事に驚かなかった時点で、父はやはり私が襲われないと確信していたと分かります。
別に期待など欠片もありませんけどね。
私は『兎狩り』を言う時に緊張したのですが、メイド長がしっかり対応したのでしょう。
何処からも王家の影は飛び出しては来ませんでした。
試金石に今私は父を使ったので、私も父の事をとやかくは言えませんね。
受け取ったノルーン男爵の日記は、まだ読んでおりません。
気がせいていたとしても、侍女でしかないナーシャが同乗する馬車で読むような物ではなかったからです。
「後、元ノルーン男爵令嬢が産んだのは、エリックの子ではなかったそうです」
「……よくあるトラップだな。まあ、今更だ。現状が変わる事はない」
まだかなり私は疑っていたのですが、今回も再婚約はないと断言した両親が本当にエリックには見切りをつけていたとようやく信じられそうです。
ただ、やはりエリックと婚約する意味があった事については引っかかっており、
「お父様、エリックをどうして私の婚約者にしたのです? 真意くらい教えて頂きたいものです」
両親が何かの慈善活動の一環だったにしても、婚約期間は10年以上です。
本当の理由も知らされず理不尽に振り回された私の声は、どうしても刺々しくなります。
私の心を知ってか知らずか父は鼻を鳴らし、
「普通に疑問だっただけだ。弱小貴族の5男でしかなかった前リーノ伯爵が、いくら功績があったとは言え、この国の要所である領地を任されたのだ。気になって当たり前だろう」
「……リーノ伯爵家に近付きたかった訳ですか。それで10年かかって分かったという事ですか」
「全部ではないが、概ねだ。ただし、それでもリーノ伯爵家に国王が肩入れする事には疑問が残った」
ペンを置き、父は私の顔をまっすぐに見た。
「公爵を務めている私にも王の真意は分からない。エリックをお前の婚約者に据える時、あからさまな私の思惑を知りながら、子供を作らないという条件で王家はお前達の婚約を認めた」
「は? 王家は子供の事まで口を出せないのでは?」
「出してきたんだ。そこに何かあると疑われるにも関わらず、次の婚約者も早めに考えた方が良いともはっきりと陛下は仰った」
それは、私と婚約が決まった時点より前から王家はエリックの暗殺を決めていたとも取れます。
そして、それを敢えて受け入れた父もまた、王家の態度を認めていたという事です。
「分かったか?」
王家と父の理由は分かりません。
ある日を境に父が王家の影を警戒しなくなった事が何かしらの意味を持つのでしょうが、私の部屋では王家の影が手紙を持って行きました。
恐らく、父と私では何かが決定的に違うのでしょう。
ただ、現時点で父は「動かない」と宣言しており、これは私には父が関わる王家周りの事は余分には語らないという意味でもあります。
それでも一応聞く事にしました。
「お父様は先程の『兎狩り』については何処まで御存知でしたか?」
「私は知らん。だが、メイヴェナ公爵なら御存知だろう」
私から顔を背けて書類を片付けると、父はそのまま執務室に私を置いて出て行きました。
明らかに会話を打ち切りたかったとしか思えません。
やはりここから先の重要な事は、父からはどうやっても聞き出せなさそうです。
「メイヴェナ公爵……」
父よりも少し年上の公爵で、ソルシアーナの父親にして、王弟でもある方です。
本来側妃様が嫁ぐ相手だったと聞いております。
その方が何故、無関係である筈の王妃が嫁ぐ前に亡くなった王妃の姉の事を知っているのでしょう?
私は手の中のノルーン男爵の日記を見つめました。
父はこれを受け取る事も拒否しました。
父達も関係しているかもしれない最初の始まりは何だったのか?
それが現状の絡まった糸と謎を解くと願うしか今の私には出来る事はありません。




