10.【まだ晴れぬ視界】
片付け切れていなかったエリックの問題が出てきた所為で後回しとならざるを得ませんでしたが、私はソルシアーナの忠告を忘れてはおりません。
マーキス侯爵家の長男と夫人には気を付けなさい。
このうち、マーキス侯爵夫人の問題は実の妹の関係に起因するものでした。
私の父を怒らせたマーキス侯爵夫人の妹とその子息は既にこの世には存在せず、修道院に逃げ込んだ夫人にそれを伝える者もおらず。
幻影でしかない妹達に怯えて暮らしているマーキス侯爵夫人は、今後修道院から出てくる事はなく、彼女に関しては終わったとみなしても良いでしょう。
ですが、問題はマーキス侯爵家長男であるグリフィスです。
彼からは今もって何も出てきません。
仕事、交友関係、婚約者関係……いずれも調査は空振りで、私は今のところまだ何も掴めていませんでした。
このまま王家が動くのを待つのも一つの手なのかも知れませんが。
私は1度としてグリフィス・マーキスに会った事がない。
問題なさ過ぎる周辺と、弟の婚約者になる前から私を避け続けていた事。
それらの事実が何を意味するのか、私はまだグリフィスの家族であるケインにも突きつける事が出来ておりませんでした。
月に1、2回、私は母の実家であるルト侯爵家を訪れます。
名目上はルト侯爵家の蔵書を閲覧する為。
実際はエリックを優先する両親からの避難と、友人からの手紙を受け取る為でした。今はエリックと両親は断絶したので、手紙だけが訪れる理由です。
従兄弟が仲介してくれる手紙を、叔父様の執務室で読ませて頂くのはこれで何度目でしょうか。
叔父様達は私に手紙を止めるようにとは一切口にはしません。
手紙を開けている私をチラチラ見ていた従兄弟が、
「なあ、リーノ伯爵はどうしてる?」
「フリードの事なら私に聞いても……」
「そっちじゃなくて、父親の方。本当に引退したの?」
「予想外に完全引退したようです」
私はてっきりエリックの監視で領地に籠もりきりになるので爵位と権限を渡しても、領地で前伯爵として何かしらの仕事をするんだと思い込んでおりました。
リーノ伯爵領は統治するにも運営するにもなかなか難しい場所です。
地形の問題、民族の問題、通行の問題……リーノ伯爵には一つでも領地を統べる貴族が頭を悩ませる話がいくつも同居し、前リーノ伯爵が現れるまでは長年王家が苦慮していた土地でした。
リーノ伯爵家が没落した場合、伯爵領を引き受けるつもりだったディアーモ公爵である父でさえ、この地を統治するのではなく面倒な住民を追い出し整備して、ようやく運営が出来ると言っておりました。
フリードが後継としてしっかりと教育されていたとしても、この難所の領主が務まるかと言えば、正直誰の目からしても無理でした。
前リーノ伯爵の旅立ちまで見送った私の両親も、前リーノ伯爵は今後は当然領地からフリードを助けるのだろうと思い込んでいたそうです。
前リーノ伯爵が昔からエリックだけを溺愛しフリードに構わなかった事を、どうしてか私達は失念しておりました。
結論を言えば、引退は前リーノ伯爵が勝手に決めた事であり、フリードはある日突然父親から一切合切を押しつけられたのです。
今はディアーモ公爵家からも人を出して、何とかリーノ伯爵家を回しているそうですが、今後はどうするのかも話し合っているそうです。
従兄弟が前リーノ伯爵の完全引退を聞いてからは何も言わなくなったので、私も手紙の続きを読み進めました。
手紙の中には従兄弟が何故あんな事を聞いたのか、それが分かる事が書いてありました。
手紙を読み終えた私が顔を上げると、叔父が執務机に軽く身を乗り出しました。
「それで?」
「……前リーノ伯爵に仕事をやらせる為にエリックは殺されるかも知れません」
「エリックが足枷だなんてもっと早くから分かっていただろうに。随分遅い判断だな」
叔父も従兄弟も何処かが目論むエリックの暗殺計画に、驚いた様子はありませんでした。
普通に想定内だったのでしょう。
私の方はエリックが妻の友人達を騙した件で命を狙われていると知っていたので、付け狙う暗殺者の数が増えるのねとしか思いませんでした。
エリックは領地に行ったきりとされていたのが、人知れず王都に戻っていた事で難を逃れたのでしょう。
それを思うと、王都への帰還を手引きしたと言うリーノ伯爵夫人は息子の我が儘を聞いたからではなく、暗殺者の存在を知り、息子を守ろうと行動したのかも知れません。
けれど、今度はリーノ伯爵夫人はおらず、騙された令嬢達の下位貴族が用意したような簡単に目を欺かれる程度の暗殺者ではなく、王族や高位貴族が雇うレベルの暗殺者が仕向けられる。
「分かりませんね。エリックを暗殺したら解決するなんてあり得ないでしょう?」
別にエリック自体はどうなろうと私は知った事ではありません。
私が気にかかるのは、エリックがいなくなったら前リーノ伯爵が元通り仕事をするとの理屈を何者かが考えた事です。
「足枷は束縛程度の存在だからな。他からすればなくなる事は望ましいと思うが、足枷から解き放たれた人間はただ自由になっただけだ。その後はどうするか、本人次第だろうな」
「エリックが亡くなったら、前リーノ伯爵はどうなさいますでしょう」
「愛する家族を失って、直ぐさま仕事をする訳ないだろうな」
私もそんな気がしました。
エリックを殺せば良いなんて、何というか人間の気持ちを考えておらず、実に短絡的です。
寧ろ発想が稚拙というべき?
「誰ですか、こんな事を考えたのは?」
叔父も従兄弟も王宮に勤めているので、知っていても何も答えられず沈黙しております。
私には捕まえる権利も何もありませんし、叔父達が誰が考えたのか理解しているならそれでいいでしょう。
「発案者はリーノ伯爵領を崩壊させたい人ですか?」
私の問いにやや間があって叔父が答えた。
「発案者には得もないし、動機もない」
それが分かっていたのなら叔父達は発案者に突きつけて、実際には意味のない案を撤回させていたでしょう。
「気持ち悪いです。発案者は前リーノ伯爵を復帰させるという名目で、前リーノ伯爵を完全に表舞台から切り離そうとしています」
エリックが平民だから仕組まれたのでしょう。
有能な貴族が働かなくなった足枷となっている平民を殺すだけだからと唆し。
殺した事で有能な貴族が働かなくなっても、以前と何も変わらないから責任は取らない。
発案者にとって何処に得があるのか、動機があるのか。
「エリックが今平民だからにしてもな……」
「でも、もし前リーノ伯爵を表舞台から消したいだけなら、それこそもっと早くエリックを消す案が出ていたのを使わないか?」
叔父の言葉に、従兄弟と私は顔を見合わせました。
そう、伯爵本人からの溺愛があったとは言え、何かしら前リーノ伯爵の足を引っ張るエリックには暗殺案が何度か出ていたと聞いております。
今までは、あれでも伯爵本人の大事な家族だと案は却下されてきましたが、それを利用した方がどう考えても……。
「大事なのは、今であると言う事ですか?」
そうなると……。
「今のエリックを殺す事に意味がある?」
エリック関係は片付いている筈だと思い込んでいた私達には、その意味は分かりませんでした。
バラバラだとされていた事象がくっつくのは、私達にとってはもう少し先。




