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魔花の一族  作者: 朝坂結真
治七編
7/9

5 母

 廊下の先から、治一(はるかず)が葬儀会社の人と話をしている声が聞こえてくる。

 他の兄姉達は母屋へは寄らずに、病院からそれぞれの自宅へ帰ったらしい。

 月島も気を利かせて席を外していて、治七(はるな)は座敷に司と二人きりだった。


 顔を見たのだから、そろそろ動かなければ……。


 治七(はるな)がそう思った時、開け放した襖の方から「治七(はるな)……」と呼ぶ声がした。


 呼んだのは治七の母・安代(やすよ)だ。


 治七(はるな)が思わず顔を上げると、安代(やすよ)は赤い目をして座敷の入り口に佇んでいた。

 治七(はるな)に何か用があるというよりは、いると思わなかったのにいたから驚いて名前を呼んだ、という様子だった。


 何と応えていいか分からず、治七(はるな)は小さく頭を下げる。そしてそのまま司に向き直る振りをして、安代(やすよ)からさりげなく視線を逸らした。


 この人とは、いつもどう接していいのか分からない……。


 治七(はるな)のそんな心情など知る由もない安代は、座敷に入ってくるとそっと治七(はるな)の隣に腰を下ろした。


「ありがとう。忙しいのに、来てくれたのね……」

「…………いえ……」


 お礼を言われるようなことではない。


 しかしそんなことも口にできず、もちろん顔など見られるはずもなく、治七(はるな)は司の顔や自分の手元、隣に座った安代(やすよ)の膝元などを見ていた。


 小柄な安代(やすよ)はその小さな身体を金茶色(きんちゃいろ)の着物で包み、生成り色の帯を締めている。

 着物は落ち着いた雰囲気の飛び柄で、百円玉くらいの大きさの輪が二つが重なり、それがあちこちに散らばっていた。

 帯には赤い小さな実をつけた南天が枝ごと大きく描かれていて、その上から金と黒の帯締めがきっちりと締められている。


 治七(はるな)はその色の組み合わせを見て、節分に合わせたのだと気が付いた。


 もしかしたら、輪が描かれた着物を着ているのも、豆を意識してのことかもしれない。


 治七(はるな)がそんなことを考えていると、安代(やすよ)は「大丈夫?」と訊いた。


「……はい?」


 司が死んだこの状況で、「大丈夫?」とはどういうことか……。


 質問の意図を図りかねて、治七(はるな)はわずかに顔を向ける。

 すると安代(やすよ)の顔はすぐ傍にあり、じっと治七(はるな)のことを見つめていた。


「急にこんなことになって……びっくりしたでしょう……あなたは特に、これから大変だと思うけど……何かあったらいつでも言って頂戴ね……私はお仕事のことはあまり分からないけれど、できることがあるなら何でもするわ……だから、一人で抱え込まないで……無理をしないでね……お兄ちゃん達もきっと力になってくれると思うし、月島さんだってこのままうちにいて下さるんでしょう? 一人じゃないから、心配しないで……」


 安代(やすよ)はそう言って安心させるように微笑み、「大丈夫よ」と自分の手を治七(はるな)の手に重ねた。


 治七(はるな)がずっと俯いていたせいで、心配をかけてしまったらしい。


 安代(やすよ)の方こそ夫を亡くしたばかりだと言うのに……。


 治七(はるな)は自分の不甲斐なさを申し訳なく思いながら、「ありがとうございます……」と頭を下げた。


「月島さんのことはご本人に確認してみなければ分かりませんが、できれば引き続きお願いしたいと思っています。兄さん達はもちろん、母さんにも他の従業員の皆さんにも、たくさんお世話になると思います。よろしくお願いします」


 治七(はるな)がそう言ってもう一度頭を下げると、安代(やすよ)は「ええ……!」と顔を綻ばせた。


 その表情の変化にほっとする。


 しかしその先の言葉が見つからず、治七(はるな)はやはり口を噤んだ。


 治七(はるな)安代(やすよ)と一緒に暮らしていたのは二歳の時まで。その当時の記憶はない。

 それ以降は別々の家で暮らし、治七(はるな)は次の司になるための修行を最優先にしてきた。

 安代(やすよ)と親子として関わった時間はあまりない。


 そのためなのか、人と関わること自体が苦手なせいなのか、いつも何を話したらいいのか分からないのだ。


 治七(はるな)はどうしたらいいのかと頭を悩ませた。


 兄姉や伯父達とは仕事の話をすればいい。

 法事の時ぐらいにしか顔合わせない親戚とは、「お変わりありませんか?」「おかげさまで」などと決まりきった挨拶をするだけだ。


 しかし安代(やすよ)とはそうはいかない。


 家の仕事に関わっていないから仕事の話はできないし、会う頻度は遠方に住む親戚よりは多い。

 そうすると「お変わりありませんか?」「おかげさまで」などと言う挨拶だけでは済まず、もう少し深い話をすることになる。


 最後に会ったのは正月で、その時は新年の挨拶をして、今年一年をどう過ごすか話をした。


 ーー今年は典子(のりこ)さんや光子(みつこ)さん達と一緒に、みんなでお花見をしましょうって計画しているの。食べ物を持ち寄って、おしゃべりをして、少しでものんびりできるといいわね、って……。詳しいことが決まったら知らせるから、良かったら来て頂戴。……治七(はるな)は何か決まった予定がある?


 ーー開発中の新薬があるので、それを完成させたいと思っています。


 ーーまあ! また新しい薬を!? 今度はどんなものかしら?


 ーー腎臓病に効く薬です。


 ーー凄いわ。完成するのが楽しみね。


 あの時は、薬の話だからすらすら話せた。

 しかし今はそういう状況ではない。

 それに、こういう時にどういう話をすればいいのかも分からなかった。


 司は安代(やすよ)とどんな話をしていただろう……。


 確か正月は、どこかの店の話をしていた。


 ーーあなた。〈(はた)〉さんというお店、覚えていらっしゃいます?


 ーーああ、銀婚式で行った店か……。


 ーー治臣(はるおみ)がクリスマスに家族で行ったんですって。光子(みつこ)さんも朝子(あさこ)夕子(ゆうこ)も気に入ったから、また行こうと思っている、って……。私達もまた行きませんか? お忙しいでしょうから、すぐにとは言いませんけど……。


 ーーそうだな。考えておく……。


 ーーふふ、期待しないで待っていますわ。


 無愛想な司に、それでも安代(やすよ)は嬉しそうだった。


 赤くなった安代(やすよ)の目元。

 瞼を落としてもう目覚めることのない司の寝顔。


 治七(はるな)は膝に置いた手をぎゅっと握りしめ、視線を彷徨わせながら言った。


「…………落ち着いたら、〈(はた)〉さんというお店に行きませんか?」


「ーーえ?」


 治七(はるな)がちらりと見ると、安代(やすよ)は驚いた顔をしていた。


「正月に、行きたいと話していたでしょう? 私では司の代わりにはなりませんが、もし良かったら……」


 安代(やすよ)はまだ驚いている。

 やはり慣れないことはするものではないと、治七(はるな)は「いえ、忘れて下さい」と俯いた。

 すると「ありがとう」と声がする。

 治七(はるな)が顔を上げると、安代(やすよ)は嬉しそうに微笑んでいた。


「楽しみに待っているわ」


 一緒に店に行って、まともに話ができるかと考えると不安ではあるが……。


 治七(はるな)は誘ってみて良かったと思った。

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