2 兄と姉
司の搬送先が分かると、治七は月島に伝言を頼んでから電話を切った。
伝言の内容は喪主への謝罪と、後日改めて謝罪させて欲しいということだ。
大事な通夜の場で騒ぎを起こしてしまったことについて、きちんと謝罪しなければならない。
こういう時は相手に合わせて何かいい薬を持っていくものだが、それについてはまた後で考えることにした。
今は先にすべきことがある。
治七は握ったままだった携帯電話の電話帳を開き、“薬所治一”の欄を探し出した。
登録はしているものの、一度もかけたことがない。
それでも治七はためらうことなく電話をかけた。
「ーーおう。どうした? お前がかけてくるなんて珍しいな」
そう言ってやけに陽気な調子で電話に出たのは、治七とは二十も歳の離れた一番上の兄・治一だ。
六人にいる兄姉達のほとんどが結婚して家庭を持ち、それぞれ別の家で暮らしている。
治一の後ろからは「鬼はー外ー!」と言う娘の元気な声が聞こえてきて、家族の賑やかな団欒が感じられた。
それをぶち壊すことになるのだと思いながらも、治七は言うべきことを言う。
「兄さん、司が心肺停止で緊急搬送されました」
「……何?」
電話から聞こえてくる治一の声が、一気に真剣味を帯びた。
会話の内容が明るいものではないと察したのか、後ろでしていた娘の声も聞こえなくなる。
治七は小さく深呼吸をして、なるべく淡々とした調子で説明した。
「通夜の会場で胸を抑えて倒れたそうです。付き添ってくれていた月島さんから連絡がありました。搬送先は榊総合病院です」
「…………分かった……」
治一は受け止め切れない様子でそう言う。
治七が大丈夫ですか、と訊こうと口を開いた時、「お袋には連絡したか!?」と切羽詰まったような声がした。
本来なら司の妻である母に、一番に連絡するべきだろう。
しかし《はるな》治七にその頭はなかった。
「いえ、管理部の部長である兄さんに、一番に連絡しました」
治七がそう言うと、治一は「そうか……そうだな……分かった……」とやはり落ち着かない様子で返事をした。
仕事のことを第一に動いた治七と、家族のことを先に考えた治一。
仕事のことを先に考えるべきだったかと揺れているらしい治一に、治七は自分との違いを感じていた。
「元々今夜は司がいないので、何かあった時は私が対応することになっています。ですからこちらの方は問題ないのですが、私は動けません。すみませんが病院の方をお願いできますか? 月島さんが付き添ってはくれていますが、家族が行った方がいいでしょう……」
治七がそう言うと、治一は「そうだな……」と言った。
「分かった。俺がお袋を拾って病院に行ってくる。治花達と……伯父さん達にも連絡しないとな……」
「私がやっておきます」
治七がそう言うと、治一は「頼む」と答えた。
「何かあったら連絡するから……切るぞ」
「はい」
治一との電話が切れると、治七はすぐに携帯電話で“薬所治花”の欄を探し、電話をかけた。
治花は治七の上の姉だが、こちらにももちろん電話をかけたことはない。
治花は「はい」とすぐに電話に出た。
「姉さん。仕事中にすみません。今大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
医療部で医者として働く治花は、今日は診療所の当直だ。
後ろが静かなので本当に大丈夫なのだろうと思いながら、治七は治一に言ったのと同じことを言った。
「司が心肺停止で緊急搬送されました」
「……何があったの?」
治花が緊張を孕んだ声で訊く。
治七はまた治一にしたのと同じ説明を繰り返した。
「たった今治一兄さんに連絡して、母さんを連れて病院に向かってくれることになりました」
「……分かったわ。私は当直だから動けないけど……治臣達にも連絡するの?」
「はい。伯父さん達にも」
「それなら私が連絡しておくわ」
治花は柔らかい口調で、しかしきっぱりと言った。
「兄弟だけでも何人いると思ってるの。あなたは責任者なんだから、電話をかけていていざという時に連絡が取れなかったら駄目でしょう。当直は他にもいるからこっちは大丈夫よ。あなたはいざという時に備えなさい。何かあったら連絡して」
「……はい」
治七は大人しく頷いた。
何となく逆らえないところがあるのは何故なのか。
正論で詰めてくるのは司と同じだな…と思いながら、治七は電話を切った。
「いざという時に備えなさい」と言われたが、むしろ今がその時だ。
他に何かできることはないかと思っていると、机に置いたままだった豆の袋が目に入った。
月島と撒くつもりだったが、治七は豆の袋を持って玄関へ向かう。
節分の豆まきは、邪気を払い、無病息災を願う行為だ。
司が倒れた今、必要なものだと思った。
ここからできることなど何もないが、せめて……。
玄関の戸を開けると、暗闇の中から冷たい冬の風が一気に吹き込んでくる。
治七はぶるりと震えながらも、「鬼は外、福は内」と豆を撒いた。
閉めていた雨戸も開けて、全ての窓から。
治七がいる離れからは、灯りの点いた母屋が見えていた。
暗闇の中にぼうっと浮かび上がる母屋の中で、治花も待っているはずだ。
袋の中の豆を全て撒き終わると、治七は書斎に戻った。
今できることをするしかない。
携帯電話をすぐ手に取れるところに置いて、治七は書類と向き合った。
鴨居に掛けた時計がカチ、コチ、カチ、コチ……と鳴る。
待ち侘びた治一からの連絡は、「駄目だった……」だった。




