1 電話
月島から電話がかかってきたのは、二十時半を少し過ぎた頃だった。
薬所家が扱う薬は、ドクダミやセンブリと言った有名なものだけでなく、鬼や河童など、只人が存在することさえ知らぬ異形のものから採れた生薬も含まれる。
そのため長らくの間、薬所家の患者や顧客は異形の存在を知る者に限られていた。
異形のものが当たり前にいると思われていた時代は良かったが、時代の変化と共に人々は異形のもの達を空想の産物だと信じ始めた。
これではやっていけないと判断し、只人を相手にできる診療所を開き、得た収入で株や不動産を多く購入したのが今の司だ。
元々薬所家は本家がある音無村のほとんどの土地を持つ地主だったが、二十代目のおかげで多くの資産を築くことになった。
二十代目はその資産を元手に、さらに事業を広げたのだ。
おかげで司の仕事はどっと増えた。
治七は通夜へ行った司の代わりに生薬の料理やお菓子を出す店の事業案を読み、異形のもの達のことを詳しく解説した図録の絵を確認し、異能を持つ者を支援する家からの定期検診の要望書に判を押す。
そして人魚の目撃情報に関する書類に目を通しながら、早く薬の研究がしたいと思っていた。
生薬のそれぞれの成分を調べ、そこから新しい薬を開発するのが好きだ。
ちょうど猫又の血から腎臓病に効く薬が作れそうなのに……と考えていると、机の端に置いた携帯電話が鳴った。
月島からの電話だ。
そろそろ通夜が終わった頃だろうか。
治七がそう思いながら電話に出ると、電話口から悲鳴のような声が聞こえた。
「若様! 司様が! 司様がお倒れにーー息をしていません!」
全身の肌がざあっと粟立つのを感じ、治七は思わず息を飲んだ。電話の向こうからあちらの騒めきが聞こえてくる。携帯電話をぎゅっと握りしめて、治七は「すぐに心肺蘇生を……!」と言った。
「今他の方がして下さっています! 救急車も呼んでもらって……到着を待っているところです!」
それなら今できることは何だ。
治七は必死に頭を働かせた。
こういう時に咄嗟に指示が出せないから、「お前は上に立つには向いていない」と言われるのだ。
脳裏に溜息を吐き出していた司の姿が思い浮かび、治七は頭を掻きむしって訊いた。
「何があったんです……?」
すると月島はいつになく慌てた調子で、それでも順を追って説明してくれた。
「お通夜が終わって、予定通り会場を出ました。ですが何か用事を思い出されたようで、司様だけ会場に戻られたんです……! 私には車を回しておくようにと仰って……! 私は、駐車場からお寺の門の前まで車を移動させて…そこでしばらく待っていたのですが、司様がなかなかいらっしゃらず……会場に様子を見に戻ると、騒ぎになっていて……司様が…司様がお倒れになっていたんです……! 胸を抑えて急に倒れられたようで……お寺の方や鏡見様のお宅の使用人の方達が、心肺蘇生や救急車の手配をして下さっていました……! 今も心肺蘇生を続けて下さっています! ……何か……何か……私にできることはございませんか!?」
月島は縋るように言った。
「胸を抑えて倒れたと言うことですが、外傷は?」
「お怪我はされていないようです……!」
「他に何か変わった様子は? 顔色が白かったり、紫色だったり……口から泡を吹いていたり……何か匂いがしたり……身体に発疹が出ていたり……」
「……特に変わった様子は見られません」
治七が確認すると、月島はすぐに答えた。
外傷なし。
胸を抑えて倒れた。
外見に分かりやすい症状が出ていない。
司に持病はないはずだった。
「直前に何があったのか分かりますか?」
「お一人で会場に戻っていらして、棺の前で急にお倒れになったと聞いています」
「……では、会場……もしくは道中で何か口にしましたか?」
「……お寺の駐車場に着いた時に車の中でお茶を飲まれました。母屋の調理場で用意して頂いた水筒のお茶です」
「そのお茶、月島さんは飲みましたか?」
「私用に用意して頂いた水筒からは飲みましたが、司様の水筒からは飲んでいません……毒物を摂取したということですか……!?」
「……まだ分かりません」
治七はそう言って考えを巡らせた。
「念の為、司がお茶を飲んだ水筒を保存しておいて下さい。月島さんがお茶を飲んだ水筒も……もう絶対に口をつけないように。それから月島さんは少しでも体調に異変を感じたらすぐに医者にかかって下さい。事情を話して尿検査か血液検査をしてもらうように……今のところ大丈夫ですか?」
「はい。異常ありません」
月島ははっきりと答えた。
話しているうちに少しずつ落ち着いてきたらしい。
いつもの調子を取り戻しつつある月島に、治七は「良かったです」と言った。
「それでは、救急隊が到着するまでの間にできることを伝えます。まず、保険証はありますね?」
「はい。司様の身長、体重、血液型、アレルギーの有無、既往歴、かかりつけ医などをまとめたメモも持っています」
「ありがとうございます。では、倒れるまでの様子を紙に書き出してまとめておいて下さい。まず、お寺の駐車場でお茶を飲んだ時間……会場に着いた時間……会場を出た時間……司が会場に戻った時間……月島さんが会場に戻った時間……分かる範囲で結構です」
「…………畏まりました」
電話の向こうで、月島が慌ただしくメモをとっている様子が伝わってくる。
治七がこちらでできることを考えていると、電話の向こうから誰かの「救急隊の方が来られましたー!」という声が聞こえた。
「あっ! 今、救急隊の方が……!」
「落ち着いて下さい。月島さんは対応を。電話はこのままで大丈夫です。搬送先の病院を聞いて、分かり次第教えて下さい」
「畏まりました…!」
月島がそう答えた音、向こうからの音が聞こえなくなる。おそらく電話口を押さえたのだろう。繋がったままの電話を片手に待ち、治七はじっと月島の声が聞こえるのを待っていた。
ーー毒物を摂取したということですか……!?
月島はそう言って驚いたが、何も驚くことはない。
薬所家は薬の家だ。
薬は使いようによっては毒へと変わる。
むしろ薬と毒は紙一重。
薬所家の人間ならば、いつ毒に触れてもおかしくはない。
司はその長たる存在だ。
そして今の司には、それ以上に毒を摂取する可能性があった。
長年続いてきた家を改革し、事業を広げ、大きな利益を上げてきた今の司を、快く思わない者達もいるのだ。
外出先で出されたものや送られてきたものに毒が含まれていたことは、一度や二度ではない。
どこかのタイミングで水筒のお茶に毒を盛られた可能性も、月島と離れたタイミングで何かを口にし、それが毒物だったいう可能性も充分にあった。
盛られたとしたらどんな毒なのか……月島からの連絡が来るまでの間、治七は司が倒れた時間や倒れた時の様子などから、可能性がありそうなものを割り出そうとしていた。




