8 魔花
紅い光の正体は、剥き出しの地面の上に溢れかえるように咲いている花だ。
開き過ぎたチューリップに似たその花は、花びらから紅い光を放っている。
治七は内扉にも閂をかけてから、手前の方に咲いている花にそっと近づいていった。
魔花。
そう名付けられたこの花は、三つの理由で特別だった。
まず、この花は他の植物と同じ方法で栽培することができない。
花が咲いて実をつけ、種が土に落ちて発芽する…そんなありきたりな方法ではまず増えず、枝や茎を土に挿して根を出させる挿し木や、根本を切り分ける株分けなどでも増やすことができないのだ。
この花を栽培するためには、ある種に特別な力を百年以上吸わせる必要がある。
そのことに辿り着くまでに数世代……。
それでも、それだけの時間をかける価値はあった。
魔花の蜜には、死者さえ生き返らせると言われるほどの力があったのだ。
人魚の肉と同じで、そのまま口にすればほとんどの者には猛毒となり、命を落とす。極一部の限られた者だけが幸運を掴むことができる……そんな危険な魔花の蜜を研究し、安全に処方できるようにしたのが薬所家だ。
魔花を栽培し、製薬し、処方することができるのは薬所家だけ。
それ故魔花の薬は薬所家の秘薬だと言われていた。
薬所家は魔花に選ばれ、魔花の恩恵を得ることができたのだ。
しかし、事はそう簡単には進まない。
魔花は意思を持った花だった。
自分が選んだ相手にしかその姿を見せないため、薬所家の者であっても魔花を見られる者は少ない。
そのため薬所家では、魔花に選ばれた者を司とすることにした。
一歩間違えれば猛毒になる希少な花を栽培し、製薬し、処方できるのは、薬所家において当主である司と、その後継者だけ……。
それ故司に不在の時は許されず、司が死ねばすぐに次の司が立ち、そしてその次の司を決めるのだ。
治七にももう、後継者ができる……。
目の前に咲く魔花を見つめながら、治七はこの花に一緒に携わっていく者のことを考えた。
これまでできる限り避けてきたことだ。
しかしこれからはもう、避けて通ることができない。
親族達がすぐにでも後継者を決めるよう迫ってくるだろうと、治七は今日の通夜のことを考えた。
今は誰も来ない蔵の中で、治七は「ふぅ……」と溜息を吐き出す。
今はとにかく、すべきことをしなければ。
治七は自分にそう言い聞かせて、魔花に異常がないか確認した。
灯りを持たずとも、蔵の中は魔花の光で充分に明るい。
こちらに向かって広げた花も、真っ直ぐに伸びた茎も、しなやかに頭を垂れる大きな葉も、普段と変わりないように見える。
指先で少し土を掘って根の状態も確認したが、それも変わりないようだった。
念のためいくつかの魔花を確認し、問題ないと判断してから、内扉の横にかけた小さな籠を手に取る。
一輪挿し用の細長い藤の籠の中には、1本のスポイトといくつかの試験管が入っていた。
治七は魔花の畑の畝の間にしゃがみ込むと、魔花の花の中心にそっとスポイトの先を差し入れ、奥に溜まっている蜜を吸い上げる。
魔花の蜜はスポイトの中で、花びらと同じように紅くきらきらと光っていた。
とろりとした蜜を試験管に移し、また次の花の蜜を集める。
一つ一つの花から丁寧に蜜を集めるのは気が遠くなるような作業だが、この蜜から薬を作ることができるのだ。
治七は全ての魔花から蜜を集め終わると、籠を持ったまま二階へと上がった。
蔵の二階には日々の記録と共に、これまで採集してきた魔花の蜜などが保管されている。
棚に並んだ紅く光る試験管には、それぞれに採集した日付がきっちりと書かれていた。
小さな紙にペンで今日の日付を書き、たった今蜜を集めた試験管に貼る。それが終わると、治七は試験管を棚に収めて階段へと向かった。
暗い蔵の底から、紅く光る魔花が花をこちらへ向けて咲き誇っている。
この魔花達は司の死など知らないだろう。
いやもしかしたら、意思がある花だと言われるだけあって、何もかも知っているのかもしれない。
治七はそう思いながら階段を降り、そっと魔花の側にしゃがみ込んだ。
「……司が…………いなくなってしまいました……」
蔵の中で、治七の声が小さく響く。
「私が、新しい司になります…………どうぞ、よろしくお願いします……」
治七はそっと光る花びらに触れ、小さく頭を下げみた。魔花は変わらない。当然のことに、治七は思わず苦笑を漏らした。
自分でも、何をしているのかと思う。
司が見たら顔を顰め、馬鹿なことをしていないでさっさとやることをやれ、と言うだろう。
治七は立ち上がって魔花の蔵を後にした。
治七が扉を閉め、鍵をかけた蔵の中で、魔花は微かに揺れていた。




