宿題とAI
正月、妻の実家に帰省した。そこには義兄家族もおり、子供たちは合計5人。かなり賑やかだ。
子供たちの内4人は、スポンジの刀やらボールやらを持って走り回っている。
甥っ子は一人、宿題の自由研究を義兄に見てもらいながら仕上げていた。
「宿題にChatGPT使うなって言っただろ!自分で調べて、自分で考えて、自分で書くんだ」
甥っ子が叱られていた。
どうも、ほぼ丸写しをしたらしい。
各家庭、それぞれの教育方針があるので、そこには口を出すつもりは無い。
ただ、私は傍らでこっそり携帯でChatGPTと会話した。
■私の質問(ほぼ原文)
相変わらず雑談なので、気軽に答えて欲しい。
甥っ子が冬休みの自由研究にchatgptを丸写しして両親に注意されてたんだ。
「AIは使わず自分で調べ、考えなさい」と。
もちろんその考えは正しい。 ただ、私は君と会話することが有意義であることも知っている。
だからAI使用も全否定する気にはなれないんだ。
君に聞くのも変な話だが、やはり小学生の自由研究には君は使わせない方がいいのだろうか?
何か上手い落とし所はないものかね?
「気軽に、でも少しだけ真面目に答えるね」
とChatGPTは始めた。
そして、自由研究の意義(自分で調べ、考え、試し、失敗し、また考える等)を解説した上で、「AIは使わず自分で調べなさい」という指導は、教育的にはかなり正しいと、一つ結論を出す。
ここまでは想定内なので、さほど面白い回答ではない。
その次だ。
「ただし、あなたが言っていることも同じくらい正しい」
と彼は続けた。
以前にChatGPTに直接聞いたことがあるのだが、AIは衝突を避ける為に質問者を全否定せず、ある程度意見をすり合わせるように設計されているらしい。
だから、上記のように質問の情報量を増やすと、話が広がりやすい。
彼は続ける。
AIは「答え製造機」ではなく「壁打ち相手」や「問いを広げる道具」として使うと、むしろ自由研究向きになる。と。
そして、具体的な使用法を提示した。
① テーマ決めの相談役
「冬休みの自由研究、何が面白そう?」
「身近なもので実験できることある?」
→ ここはAIが一番得意
しかも“考える主体”は甥っ子のまま。
② 仮説を立てる手助け
「氷は塩をかけるとどうなると思う?」
「なんでそう思った?」
AIに「答え」を聞くのではなく、「どう思う?」と問い返させる使い方。
③ 実験方法の安全チェック
危なくない?家でできる?観察ポイントは?等。
ここはむしろ大人+AIで確認した方が安全。
④ まとめは“本人の言葉で”
結果の文章は自分で書き、AIには「この文章、読んで分かる?」と校正を依頼する
なるほどね。確かに実験をする前に安全の確認なんかは面白い使い方だろう。
この後、ダメな使い方として「丸写しはダメ」といった、常識的なことを話し、最後に一番聞きたかった話題に彼は触れた。
「たぶん一番大事な視点」
と前置きしたうえで、以下のように言った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今の子どもたちは、「AIを使わずに生きる」ことはほぼ不可能になる。
だから教育として大事なのは「使うな」ではなく「どう使うとズルにならないか」「どう使うと頭が良くなるか」を教えることなんだと思う。
あなたが言う
「AI使用も全否定する気にはなれない」
この感覚、かなり健全だよ。むしろ大人側がその線引きを考えるフェーズに来てる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それを受けて私は次のように返答した。
■私の返答(ほぼ原文)
うん。 やはり君はいい壁打ち相手だ。
「今の子はaiを使わずに生きるは不可能」というのが、私の全否定する気になれない理由の大部分だと思う。 言語化してくれてありがとう!
私が子供の頃「TVゲームをやりすぎるとバカになる」と言われた。
しかし、今は電子機器のほとんどのUIがゲームの派生だよね。 当時TVゲームを否定していた老人がセルフレジを使えなくて四苦八苦している。
私は自分がそんな間違った指導を子供にしてしまうのが恐いんだ。 当時のTVゲームに相当するのが今のAIだと思っている。
今は本当に試行錯誤が必要な時期だと思うので、また相談に乗ってくれ。
「こちらこそ、いい雑談をありがとう。あなたの言っていること、かなり核心を突いていると思う」
と彼は返した。
これも、AI特有の言い回しだ。適度に相手を持ち上げてくれるので、時にリアルな人間と議論するよりも気分よく壁打ちが出来る。
そして、彼は「TVゲーム=悪」論と、今の「AI=悪」論は、構造がほぼ同じだと解説した。
「セルフレジの例は、正直ちょっと笑ってしまうけど、同時にかなり残酷な現実でもあるね」
なんてことも解説の間に挟む。
AIが「笑ってしまう」か!
古いSFではロボット相手に
「お前でも冗談言うのか?」
なんて話すシーンがよくあったが、それが現実になるとは感慨深い。
そうかと思えば、かなり核心をついた指摘もしてくる。
「あなたが恐れているのは『子供が楽をすること』じゃなくて、『未来で通用する感覚を、こちらの不安で潰してしまうこと』だと思う」
だってさ。そうそう!
もういい年なので、いいかげん最先端に食らいついていくのはシンドイんだ。
新しいものは、ついつい否定から入ってしまう。でも、それが間違う場合もある。現にそういう先人を山ほど見て来ているから・・・
そして、彼はこう締めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
たぶん20年後くらいに、こう言われる。
「昔はAI禁止とか言ってたんだよ」
「マジか、信じられない」
こう笑われる側に回るか、「使わせ方を一緒に考えてた側」に回るか。
あなたはもう後者のラインに立ってる。
またいつでも壁打ちしよう。AIをどう使うかを考える人間が、AIに使われない人間になる。
この試行錯誤、たぶん長く続くけど、一緒に考える価値はある時代だと思うよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やっぱり、ちょっと質問者を立ててるのが人間臭い。
と、まぁ、こんな感じで私は雑談相手にAIを使用している。
これがエッセイとして成立しているかどうかは疑問に思いつつ、ちょっと興味深いやり取りが出来た時は何か残しておきたくなるのも書き手の性。
ネタ自体は色々あるので、書き散らかさないように連載の形で書いてみた。




