99話 選択と涙 ―「悔しい」は終わらない
――朝靄の中、馬車と飛竜が次々と城を発ち、支援班が三方向へと散っていった。
地図に記された、被災三地域。
三人は、すべての情報を分析し、議論し、苦悩の果てに“二か所”を選んだ。
子どもたちの多い町、そして孤立する高齢者の集落。
犠牲が最も拡大しかねない場所。そして、次に倒れるのが早い場所。
選ばれなかった、あの小さな村には――祈るような気持ちで、簡易支援物資と緊急連絡手段を送った。
届くと信じて。
間に合うと、願って。
数時間後、空を滑る報告の使い魔が戻ってきた。
「北部集落、到達成功。重傷者七名救出、三名危篤――治療班が対応中」
「東部町、支援展開完了。感染症蔓延の兆候、第一波阻止成功」
そして、最後の報告。
「南の村――間に合わず。倒壊家屋の下から、遺体四体確認……」
部屋に沈黙が走る。
誰も、顔を上げなかった。
ユーリの手が、わなわなと震える。手の甲を噛みながら、かすれた声を吐き出した。
「……あの村にいた……子たちの名前……記録には……あったのに……っ」
彼は俯き、言葉を絞り出す。
「僕は……まだ、“全部を救える”って、信じたい。あきらめたくないんだ。理想って言われても……夢って言われても……それでも、信じたいんだよ」
唇を噛む音がした。
「……でも今日は……助けられなかった……」
涙が、ぽつりと資料の上に落ちる。
セレンは静かに目を閉じ、深く息を吐いた。彼女の声は、震えながらも凛としていた。
「“正解”なんてなかった。それはわかってた。どこを選んでも……誰かは傷ついた」
そして、自分自身に言い聞かせるように続ける。
「それでも私たちは、“選んだ”。その責任から、逃げるつもりはない。結果を受け止め、次へつなぐ。それが……秘書の仕事だ」
硬い拳を握りしめ、彼女は涙をこらえた。だが、その目は確かに濡れていた。
ラッカはしばらく黙っていた。
肩にかけた上着をぐしゃりと丸めて、壁に叩きつけた。
「……ちくしょう……っ」
その声に、怒りと悔しさ、そしてどうしようもない無力感が滲む。
「わかってたよ。あたしが選んだ時点で、助からねぇ奴が出るって……」
「それでもさ……泣く資格なんてねぇって、思ってた……こんな現場で、泣いてる暇なんてねぇって……」
拳を握る手に、爪が食い込む。
「……でも今日は……悔しくて、仕方ねぇんだよ……!」
涙がこぼれる。拳を振り上げ、ラッカはもう一度壁を叩いた。だが、その力に怒りではなく――痛みが宿っていた。
誰も、慰めの言葉を口にしなかった。
誰かを庇う言葉もなければ、責任を押しつける言い訳もない。
ただ、三人がそれぞれ、自分の中の「痛み」と向き合っていた。
その時、部屋の扉が静かに開いた。
ミカが、そこに立っていた。
彼女は、まっすぐ三人を見つめる。
そして――静かに微笑んだ。
「……泣けるうちは、まだ大丈夫です」
その言葉に、三人は驚いたように顔を上げた。
ミカは歩み寄り、そっとユーリの肩に手を置いた。
「あなたたちは、ちゃんと“選んだ”。逃げなかった。私がかつて、目を背けたものに……正面から向き合ってくれた」
そして、続ける。
「“優しさ”と“決断”は、矛盾しません。むしろ、優しさがあるからこそ、あなたたちは苦しんだ。そして選んだ。その痛みは、いつか、誰かの命を救う強さになります」
しばらく沈黙が続き――
やがて、ラッカが笑った。
「……クソ……言ってくれるぜ、先輩」
セレンが小さく頷き、ユーリも微笑を浮かべた。
この“悔しさ”は、消えない。
でも――それでいい。
それを背負って、前に進むのが、秘書という存在なのだから。




