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98話 ひとつの火 ―それでも、選ぶ

夜更け。魔王城の資料室には、ほの暗いランプの灯りだけが揺れていた。


書架の間にひときわ古びた棚があり、そこから引き出されたのは――ミカが過去にまとめた支援記録ファイルだった。分厚い紙束には、年代別・地域別の対応記録、優先順位の判断理由、そして倫理規定に関する私的なメモが、几帳面な筆跡で残されていた。


ページをめくる音が、静寂に響く。


ユーリが小さな声で読んだ。


「……“命を数字にするな。だが、選ぶ時は『ひとり』を思い浮かべろ”」


セレンがページを覗き込みながらつぶやく。

「“多”を救うための判断でも……『誰を見ているのか』を、見失うなということか」


「数字じゃなくて……顔を、か……」


ユーリの手が止まり、静かに瞼を閉じた。


思い出す――あの町の小さな診療所の前で、泥まみれの手で元気よく手を振ってくれた、赤い髪の少年。

“お兄ちゃん、また来てくれる?”

笑顔が脳裏に蘇る。震災で傷ついた町に、子どもたちがそれでも希望を残していた。

守りたいのは――この笑顔だった。


一方で、セレンの指先は、記録帳に残された押印に触れていた。あの老医師の震える手。

「……あの人は、自分が倒れても、記録を託してくれた。未来の誰かが判断を迷わないように……」


その目が静かに揺れた。記録とは、数字ではない。そこに生きてきた“意志”が刻まれていた。

知識と責任を託された、その温もりを、私は今――受け継ぐ。


そしてラッカは、誰にも見られぬよう顔をそらしながら、手を握りしめる。

「……煙の中で、泣きながら助けを求めてた……あの子の声、今も耳から離れねぇよ」


がらんどうになった村。火災で瓦礫と化した家々。

そこで、か細く響いていた少女の叫び。

「こわい……たすけて……」

その声が、ラッカの胸を切り裂いた。


「一人しか救えねぇって言われたら、あたしは……あの声に応える。たとえそれが、責められる選択だとしても……あたしは、逃げねぇ」


三人は、互いに顔を見た。


言葉は少なくとも、その目は語っていた。

――決めよう。

――背負おう。

――前に進もう。


セレンがゆっくりと立ち上がった。

「……まず、優先順位を整理しよう。命の緊急性、感染拡大リスク、孤立による二次災害の可能性。それぞれの視点から“総合的に”判断する。だが――」


彼女は、手元の書類にそっと触れながら、言った。


「その中に、“ひとつの顔”を、決して忘れないこと」


ユーリは頷いた。

「……これは、“選ぶこと”の痛みを知ったからこそ、できる判断なんだと思う」


ラッカも、肩を回して立ち上がる。

「よし、行こう。覚悟決めた奴は、もう迷わねぇ。背負ってやろうじゃん、全部」


静かな決意が、三人の中に灯った。


――それは、“数字”ではなく、“命”を見つめた者たちだけが持つ覚悟。


それでも、選ぶ。

たとえ、誰かを選べなかったとしても。

誰かを“選んだ”自分を、否定しないために。


資料室のランプの炎が、揺れながら、静かに三人の顔を照らしていた。

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