97話 迫る限界 ―誰かを救えば、誰かが…
支援物資の一覧表には、容赦のない数字が並んでいた。
救急用の医療物資は、規模の大きな被災地なら一か所で使い切ってしまう量しかない。
医療班の人員は、せいぜい二つの班に分けるのが限界。輸送車両も、往復には時間がかかる山道や危険地帯を通る必要があった。
それはつまり――三つの被災地のうち、一か所には手を差し伸べられないという現実だった。
セレンは手元の地図を睨みながら、静かに言った。
「……選択肢は三つ。ひとつは、南部の崩落村。多数の死傷者が出ており、応急処置を要する。地盤は不安定で、二次災害の恐れあり」
「もうひとつは、西方の疫病流行地域。子どもが多く、感染の拡大が続けば手遅れになる可能性が高い」
「最後に北部の高齢者集落。直接の被害は軽微だが、自活不能者が多く、援助がなければ生存そのものが難しい」
セレンの言葉に、ユーリが声を震わせた。
「どこも、見捨てられない……! 誰かを切り捨てるなんて、そんなの……できるわけない!」
「でも、できなきゃ、全員が死ぬ」
セレンの語気は冷たかったが、それは決して感情を欠いた言葉ではなかった。むしろ、内心を押し殺してのものだった。
「君の“優しさ”は立派だ。しかし“判断”は別だ。今ここで“決める”ことができなければ、命を守る責任を放棄したことになる」
「でも……でもっ……!」
ユーリの目に、悔しさが浮かぶ。彼の脳裏には、それぞれの被災地で助けを待つ人々の顔が浮かんでいた。子どもたちの怯えた目。高齢者の小さな背中。泥に埋もれた村の悲鳴。
ラッカが、テーブルを拳で軽く叩いた。
「……セレンの言うことも、わかる。でもな、頭で正しいことだけ並べてても、どうにもなんねぇんだよ!」
彼女の声には苛立ちと怒り、そして痛みが混じっていた。
「どこも助けたいって気持ちは、あたしだって同じだ。でも、“正しさ”だけで助けられるなら、とっくに全部救えてる!」
ラッカはユーリの目を見据えて言う。
「現実は、限られてる。人も、物も、時間も。……理想を貫くためには、時に“傷を背負う覚悟”が必要なんだよ」
「覚悟……?」
ユーリの唇が震える。
「“選ばなかった方”を、一生背負うってことだ。選んだ側だけを見て満足しないってことだ。あたしは――その覚悟ができてるから言ってんだよ!」
セレンもまた、感情を抑えきれず、声を上げる。
「私だって、選びたくない! だが、これは仕事だ。いや、“責任”だ。……魔王陛下から託された、“未来のための判断”なんだ!」
「だったら……だったら……!」
ユーリの声がつまる。怒りとも、悲しみともつかぬ感情が胸を満たし、視界が滲んだ。
「なんで、こんな“決断”を……僕たちに……!」
誰も答えられなかった。
数秒の沈黙。
呼吸すら、重く感じられるその空気のなかで、三人はそれぞれ言葉を失った。
地図の上に広がる赤い点。
それは、現実の“命の色”だった。
誰かを救えば、誰かを救えない。
“優しさ”と“決断”は、時に矛盾しながら並び立つ。
それでも、この世界の秘書であるなら――その矛盾と向き合う覚悟が、試されていた。