96話 緊急通達 ―災害の連鎖
異変は、一報から始まった。
「南部の山間集落にて土砂崩れ、被害甚大」
「西方沿岸の漁村、原因不明の疫病発生」
「北端の交易路、魔獣群の暴走により封鎖」
報告は次々と魔王城の作戦中枢に届き、瞬く間に地図の上に赤い印が増えていった。
作戦室の空気は重く、ただ報告者たちの声だけが硬質に響いていた。
ミカは全体を見渡し、淡々とした口調で告げる。
「……今回の災害対応、一時的に私の指揮権を凍結し、代理判断を“君たち三人”に委ねます」
セレンがすかさず言葉を詰まらせた。
「……お待ちを、ミカ補佐官。それはつまり……“命の選別”を我々にさせるというのですか?」
ミカは頷く。「そうだ。魔王陛下からも正式な託命が下された。君たちに“街をつなぐ責任”を担わせたいと」
「無理だよ……」ユーリが呟いた。目の前の地図には三つの異変が記されている。そのどれもが、確実に命の危機を伴っている。
「南部の集落は山に囲まれて孤立してる。道路も寸断されてて、救助隊は届かない」
「西方は子どもが多い町だ。感染の拡大次第では壊滅だってありうる」
「北の街道は、放っておけば物流が止まる……あそこは、他の地域を支える“命綱”だ」
「でも……全部には、人も物も、足りない……」
ラッカは黙って地図を睨んでいたが、やがて声を落として言った。
「正面からぶつかるだけじゃ、どうにもなんねぇな。これ、誰かを後回しにしないと、全部崩れる……」
セレンは報告書を手に取ったまま、拳を強く握った。
「“記録”の上では、こういう場合、救命率・集落人口・拡散予測率などを総合的に見て……優先順位を決めるべきです。しかし……それはまさに……」
「命に“順位”をつけることになる……」
重苦しい沈黙が支配する部屋の中で、ユーリが小さく震える肩を止め、ぽつりと呟いた。
「それでも……やるしかない。僕らがやらなきゃ、誰も助からない」
ラッカは口の端をわずかに上げた。「ようやく“秘書”らしい顔になったな、坊ちゃん」
セレンも目を伏せ、静かに頷く。「記録官であろうと、“現場”を託された以上、逃げるわけにはいかない……か」
ミカは三人の顔を順に見渡すと、無言で一枚の書類をテーブルに差し出した。それは「統一支援計画立案・認可権委譲命令書」。この書類に三人の署名が揃えば、支援方針の決定は彼らの裁量に正式に移行する。
ペンを手に取ったのは、ユーリだった。
「命の重さは同じ。でも、責任も同じように重い……なら、“選ぶ”ってことから逃げちゃいけないと思う」
その言葉に続くように、ラッカが一筆。
「……あたし、何人も見たよ。『誰かが助けてくれる』って待ってた子の目。……あたしが助けられなかった子の名前、まだ全部覚えてる。だから今度は、間に合うように動く」
最後にセレンも署名した。
「“心”と“記録”は、決して切り離せない。……本当に、そう思うようになりました」
ミカは書類を回収すると、少しだけ笑みを浮かべた。
「……君たちがどう選ぶのか、それを私は見届けさせてもらいます」
そして、三人はそれぞれの資料と地図の前に立った。
もはや、迷いはなかった。
ただ、選ばなければならないという“覚悟”だけが、そこにあった。