95話 提案提出と新たな関係
それは、かつてないほど静かな朝だった。
魔王城・中央文書局に併設された審議室。
淡い陽が、窓から差し込み、静かに床を照らしていた。
長机の上に、一冊の提案書が置かれている。
タイトルは——
《多種共生型都市再構築案──ひとつの道》
表紙には、三人の名前が連名で記されていた。
ラッカ・トルネア、セレン・レミュリア、ユーリ・エルバ=クラウゼ。
それぞれが異なる立場と理念を持ち、衝突し、ぶつかり、なおも歩み寄って書き上げた、ひとつの「未来の設計図」。
緊張とともに差し出された提案を、ミカは無言で受け取った。
彼女の指がそっと表紙をなぞり、ページをめくる音だけが部屋に響く。
やがて、ミカは顔を上げた。
その視線が、静かに三人を捉える。
「……この提案書には、明確な思想があります」
ミカの声は穏やかで、だが内に確かな熱を帯びていた。
「“街”を描くということは、“誰かの未来”を信じることなんです。
そこに住まう人が、見知らぬ誰かと出会い、歩き、笑い、時にすれ違い、また向き直っていく——
……そのすべてを“許す”場所を、設計するということ」
彼女は手のひらで提案書を閉じる。
「それを、あなたたちは……“違う”ままで、ひとつにした。お見事です」
三人の間に、ほんの少し、戸惑いを含んだ沈黙が走る。
だが、それを破ったのはラッカだった。
「……あたしは、最初っから無理だと思ってたよ。正直、“お役人”と“研究者”と組むなんて、地獄の所業だってな」
隣でセレンが少しだけ目を細める。
「それは私も同感だったわ。“情緒”と“演出”で進めるなんて、危うすぎると思ってた……けど、今は」
セレンはそっと言葉を重ねる。
「それぞれの立場が、“違う”こと自体が、大切だったのかもしれないと……思えるようになった」
「うん」
ユーリがうなずきながら、ふと笑った。
「まるで、三本の違う色の絵の具を、一枚のキャンバスに落としたみたいだよ。
混じりきらないまま、それぞれの色が生きてる。でも、不思議と綺麗なんだ」
ラッカは苦笑いを浮かべて、背もたれに体を預けた。
「なんだよ、詩人かよ……でもまあ、そうだな。今なら、アイツらともう一回ぶつかっても、ちゃんと“議論”になる気がするよ」
セレンも頷いた。
「私は、もう“他人を知ること”を、怖がらない」
ユーリは、手のひらで額を軽く叩くようにして言った。
「……ほんと、最初はどうなることかと。でも、僕たち、少しだけ“仲間”になれたんじゃないかな」
ミカは、それを聞き届けたあと、静かに立ち上がった。
「あなたたちは、もう“孤立した個”ではありません。
それぞれの信念がぶつかり、重なり、街の未来を形づくった。……その経験は、きっとこの先も、あなたたちの道を照らします」
彼女の視線は、三人の背中の向こう、未来を見据えていた。
「この提案は、必ず上層部へ届けます。そして、次の任務には、より大きな責任が伴うでしょう。……それでも、任せられると、私は思っています」
三人は無言でうなずいた。
その顔には、かつてのぎこちなさも、遠慮もなかった。
あるのは、ただ“信じる”という意思。
互いを、街を、そしてこの世界の未来を。
会議室を出ると、柔らかな風が吹いた。
廊下の窓から見える空は、どこまでも澄んでいて——
ラッカが、誰にともなく言った。
「……街ってのは、こうして作るもんなのかねぇ」
セレンが小さく返す。
「ええ。人の数だけ、未来の形がある……だから、面白いのよ」
ユーリが笑う。
「まだ、始まったばかりだけどね。でも、いいスタートだったと思うよ」
三人は歩き出す。
並んで。肩を並べて。
その背に、もう“孤独”の影はなかった。
違うままだからこそ、強くなれる。
そんな関係が、今——ようやく始まったのだった。