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93話 疲弊と沈黙 ―深夜のデスク

夜の魔王城。

日中の喧騒はすでに過ぎ去り、魔導灯だけが微かに灯る廊下を、誰かの足音がゆっくりと響いていた。


都市計画局の資料室。

外界から隔絶されたその部屋には、魔道式の自動巻き上げ棚がいくつも並んでいる。

深夜の空気は乾いて冷たく、誰もが眠るはずの時間だった。


しかし——その静けさの中で、三つの影が、偶然にもひとつの机に集まっていた。


「……アンタも、か」

ラッカが気まずそうに言った。


「資料、探しに来ただけよ」

セレンも視線を逸らしながら椅子を引いた。


「僕も……眠れなくてさ」

ユーリは疲れた笑みを浮かべると、そっと二人の向かいに腰を下ろした。


三人はしばし、言葉を交わさず、ただ目の前の古びた机を見つめていた。

その机にはかつての都市整備官たちが残した落書きや、使い古された墨の跡が残っている。

時が積もった木の温もりが、言葉の代わりに沈黙を抱きしめていた。


「……ねぇ」

ユーリが、不意に口を開いた。


「僕、ずっと……“笑わせたかった”んだ。戦場でさ。人が死んで、泣いて、怒鳴って、壊れてくなかで……」


彼は一度、天井を見上げ、少し笑った。


「それでも、誰かが笑えば、希望って残るんじゃないかって。だから……僕、道化になったんだよ。あの地獄のなかで」


ラッカは目を伏せた。セレンは、驚いたように視線を動かす。


「……お前、そんな過去あったんだな」


「うん。でも今は、誰かを“笑わせる”ためにやってるんじゃない。……“怒らせたくない”から、言葉選んでばっかりだ」


沈黙が、再び落ちた。


「……私はね」

次に声を上げたのはセレンだった。細く、震えるような声で。


「“人の気持ち”って、どう記録すればいいのか、ずっとわからなかったの。数字にできない。規定もない。答えが出ない……」


「それでも私、法典の整備官だった。だから、私なりに“正しさ”を積み上げるしかなかったの。でも……」


彼女は手にしていた図面を、そっと伏せる。


「それじゃ、足りないんだって、わかってるのよ。……本当は」


ラッカはしばらく何も言わず、天井を見ていた。

やがて、重く、だが静かな声が落ちる。


「街ん中で、死んだ子どもを何人見たと思う?」


ユーリもセレンも、声を飲んだ。


「雨の日、橋の下。冬、火のない広場。……暖かい家もねぇ、名もねぇ子たちが、そのまま冷たくなってさ」


ラッカは拳を机に置いた。その指が、かすかに震えていた。


「誰も間違ってたわけじゃねぇのに……誰もが“正しかった”せいで、あの子らは死んだんだよ」


「だから……私は“間違えたくない”だけだよ。今度こそ」


誰も、言葉を返せなかった。


三人とも、自分の“正しさ”の影に、傷を抱えていた。

その傷を押し殺し、提案書に、数字に、言葉に変えようとしていた。


けれど、夜という時間だけが、それを静かに溶かしてくれる。


そのとき——


扉が、きい、と音を立てて開いた。


「……やっぱり、ここにいたのですね」


ミカが静かに現れた。深夜にもかかわらず、姿勢はいつも通り整っていたが、その瞳はどこか温かかった。


彼女は歩み寄り、三人の前に立つ。


「“街を守る”って、数字じゃ割り切れないでしょう?」


三人は、静かにミカを見つめる。


「だからこそ、君たち三人に託したんです。それぞれの“正しさ”が違うからこそ、きっと“誰かのための提案”になる。……私は、そう信じています」


その声に、誰も反論しなかった。


信じて、託されている——その重みと温かさが、背中に、胸に、沁みていく。


やがて、机の上に積まれた紙の山の中に、一枚、空白の図面用紙があった。


誰がともなく、それを中央に引き寄せ、三人で眺めた。


言葉はまだ、ない。

でもこの夜、三人の“問い”は、同じ方向に向き始めていた。

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