8話 対立勢力との交渉術
――“改革案、受理。ただし三ヶ月で成果を示せ”。
魔王陛下から下された通達は、希望とともに重圧ももたらした。
特に問題なのは、実行段階において避けて通れない「対立勢力」の存在だった。
魔王軍の内政には、大きく分けて二つの権力ブロックがある。
一つは、中央文官団――魔王直属の官僚機構で、知性と魔導知識で政を支える。
もう一つは、地方駐屯軍――各地の拠点を守る将軍や領主たちで、現場の実務を担う現場主義派。
この両者は、しばしば“陰陽”のように噛み合わず、予算や命令系統の解釈でも衝突していた。
そして――今回の改革は、両方の利権に“直接的なメス”を入れるものだった。
俺が最初に向き合ったのは、北部拠点の将軍、グリード・バラム少将。
竜人族出身の彼は、剛腕と即断即決の現場統率力で知られ、兵からの信頼も厚い。
だが同時に、「中央の書類は読まない」をモットーにしており、
今回の“文官主導改革”に強い不信感を抱いていた。
「……ようこそ北部へ。ところで“秘書殿”、貴殿は戦場に立ったことは?」
到着早々、軍用テントの中で言われたのがこの言葉だった。
彼は大剣を片手に椅子に座り、俺を睨みつけている。
「いえ。ですが、私は前世で“会社という戦場”にいました。
数字の戦い、言葉の戦い、交渉の応酬――似たようなもんです」
「言い訳が上手いな。で、俺たちに何をしろと?」
俺は懐から一枚の魔導パッドを取り出し、タブレットのように映像を投影する。
「この通り、北部では兵站申請の遅延が慢性化しています。
物資の到着が平均7日遅れ、それが前線での犠牲を増やしている」
「中央が送らねえからだろうが!」
「違います。送ってます。が――“あなたの署名が、滞っている”んです」
「……何?」
俺は画面を指差す。
「ほら、この“承認待ち一覧”。副官がまとめてますが、あなたが見てないんですよ、これ」
「…………」
「ここに改革の第一歩があります。“確認する”だけで、救える命があるんです。
将軍、あなたは前線を守ってきた。今度は、体制でも守ってください」
グリードはしばし沈黙したあと、手を挙げて叫んだ。
「副官! 今すぐ溜まってる書類、全部持ってこい!」
テントの外から、慌てて部下が走ってくる。
「貴様……なかなか、やるじゃねぇか。よし、三ヶ月だけ協力してやる。ただし、結果を出せ」
俺は深く頭を下げた。
「必ず」
次に向かったのは、中央の中枢――財務監理官ネレイドとの面談だった。
ネレイドは魔族の中でも“水脈族”と呼ばれる冷血で合理的な種族。
彼女は感情より数字を重んじ、魔王城で“最も強欲な理性”と恐れられている。
「秘書殿。あなたの提案、予算上は“再分配”ではなく“再構築”に該当します。
つまり、現在の予算枠組を壊して新しい体系にする。これは、利権の移動を意味します」
「承知しています。だからこそ、財務局の協力が必要なのです」
「協力する見返りは?」
俺は躊躇わずに答えた。
「……新体制では、予算執行報告を“リアルタイム化”します。
つまり、財務局が資金の動きを即座に把握できる。監査能力の向上です」
「ふむ。つまり、“締め付け”を財務局主導にする代わりに、予算調整の主導権を渡すと?」
「ええ。すでに陛下には承認いただいています」
ネレイドは微笑を浮かべた。
「ふふ……魔王の“手足”だと思っていたが、意外と“舌”も鋭いのですね。いいでしょう。
私は改革に賛成します。ただし――報告は週次で、いいですね?」
「喜んで」
一歩ずつ、だが着実に交渉は前に進んだ。
力でねじ伏せるのではなく、相手の利を読み、折り合いを探る。
俺がかつてブラック企業で培ったスキルは、意外にもこの魔界の交渉で生きていた。
交渉術とは、武器だ。
相手を倒すのではなく、“同じテーブルに座らせるための武器”だ。
三日後。リリス様が俺の執務室に訪れた。
「聞いたわよ。北部と中央、どちらも“秘書に貸しがある”って言ってた」
「ええ、まあ。貸し借りが増えるほど、仕事も増えるんですけどね」
「でも、魔王陛下が言ってたわ。“あの秘書、案外やる”って」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「ふふ。――さて、次は何処を丸め込むの?」
「次は……“現場の末端”です。兵士たち。彼らがこの改革を“味方”と見てくれなければ、どんな制度も空転します」
リリス様は少し目を細めた。
「やっぱり、魔王より魔王っぽいわね」
「いっそ俺が玉座に――いえ、冗談です」
交渉は、まだ終わらない。
でも少しずつ、“組織”が動き始めていた。
静かな、けれど確かな変化の兆し。
次の一手は、“声なき現場”に届くかどうか――
秘書としての“本当の仕事”が、ようやく始まる。




