75話 配属先決定 ― 扉の向こうの“現場”へ
朝――。魔王城の東棟、研修棟の一室。
“秘書候補生三名の配属先発表”の時が、ついにやってきた。
静寂の中で響いたのは、秘書官長ミカの穏やかな声だった。
「……よろしいかしら。では、今から、あなたたち三名の配属先を発表します。
まず――セレン=クラヴィール。あなたは、内政局“魔導文書管理部”に配属されます」
セレンは瞬時に立ち上がり、静かに頭を下げる。
「……ありがとうございます。ご期待に添えるよう、尽力いたします」
「次に――ユーリ=シェリス。あなたは、“多種族間交流室”への出向が決まりました。
外部との折衝が主になります。ある意味、秘書本来の補佐業務より難しいかもしれません」
ユーリは驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「はい。言葉の通じない者同士でも、想いは必ず届きます。お引き受けいたします」
「……最後に。ラッカ=ヴェイル。あなたは、戦略局“北方砦連絡班”の“現地秘書見習い”です。
数日後には前線基地に赴くことになります」
「……は?」
ラッカはあまりに予想外の配属に、一瞬目を見開いて固まった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺、希望出してたの後方勤務だぞ?書類業務メインって聞いてたのに!」
ミカは淡々と返す。
「北方砦でも書類業務はあります。誰かがやらなければ、前線は回りませんから」
「いやいやいや、それはそうかもしんねぇけど、俺、剣も魔法もまだろくに使えないし――!」
「ラッカ」
セレンが低く言った。
「あなた、確かに言ってたじゃない。“怖い”って。だけど、同時に“本気で未来を変えたい”って思ってたはずよ。
前線こそが、もっとも“真実”に触れられる場所。……違う?」
「……っ」
ラッカは歯を食いしばった後、しばらく沈黙し、それから息を吐いた。
「くそっ……わかったよ。行けばいいんだろ……?行きゃあいいんだろ、前線に」
「ありがとう」
ミカは静かに頭を下げた。「それぞれの持ち場で、“今のあなた”を越えてきてください。
私たちは常に、あなたたちの成長を支え、見守ります。……何があっても、ね」
3人は姿勢を正し、互いに目を見交わす。
ユーリがそっと笑って言った。
「私たち、みんなバラバラの部署に配属されたけど……」
「でも」
セレンが言葉を継ぐ。「同じ“理念”を、胸に持っている。違う道を歩いても、同じところへ行けるわ」
ラッカはふてくされたように鼻を鳴らした。
「やれやれだな……。もう後には引けねぇってわけか」
ミカは、三人に手渡すようにそれぞれの辞令書を配り、最後に小さく言った。
「これから出会う“現場”は、厳しく、理不尽で、思った通りにいかないことばかりでしょう。
でも、その中であななたちの“役割”は、確かに存在する。
ただ命令に従うだけではなく、“考え、選び、提案し、動かす”こと。
――それが、魔王陛下直属の“秘書官”たる者の、最も大切な使命です」
三人の顔に、それぞれの“覚悟”が浮かび始めていた。
セレンの眼差しには知性と意志の炎が、
ユーリの瞳には共感と平和への願いが、
ラッカの拳には、若き怒りと不器用な誠実さが宿っていた。
そして、その背後で、魔王アーク=ヴァルツは一人、玉座から空を見つめていた。
「――さて。“扉”は開いた。あとは、お前たち次第だ」
魔王の声は、誰にも届かなかったが、その想いは確かに、彼らの背を押していた。
かくして、
“魔王秘書候補生”三名は、それぞれの“現場”へと歩み出す。
それは、ただの配属ではなく――
自分という存在と、世界の矛盾と向き合う、長い旅の始まりだった。