74話 三者三様の“覚悟” ― 配属前夜の本音と対話
夜――。
魔王城の東棟、訓練生寮の一角に設けられた共用ラウンジには、柔らかな灯りが灯っていた。
円卓で向かい合うのは、今日から“秘書候補生”として集められた三人――セレン、ユーリ、ラッカ。
紅茶の香りが漂いながら、沈黙が流れていた。
だがその静寂を、ラッカが砕いた。
「……で、お前ら。あの“魔王”見て、どう感じた?」
唐突な問いだったが、セレンはすぐに答えた。
「威圧感は……あった。でも、それ以上に、“静謐”を感じた。あれほどの力を持ちながら、あれほど“静か”な人物を、私は知らない」
「“静か”ねぇ……」
ラッカはふっと鼻で笑う。「あいつの目、まるで全部見透かしてんじゃねぇかって感じだったぜ。ああいうのが一番厄介なんだ」
「でも、私……」
ユーリは紅茶を手に取り、そっと口元に運びながら言った。
「どこかで、救われた気がしたの。あの言葉――『理念とは、問うものではない。生き様で、示せ』……
あれは、私たちが“何を成すか”じゃなくて、“どう在るか”を問われてる気がして……」
「“どう在るか”、ねぇ」
ラッカはぼそりと呟いた後、口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「正直言うとよ――俺ぁビビってんだ」
ユーリとセレンが少し驚いた表情を見せる。
「俺はな、魔王とか城の上層部ってのは、もっと傲慢で、俺たちを使い捨てるような連中だと思ってた。
でも、違った。あのアーク=ヴァルツも、ミカさんって秘書も……あまりにも“本物”だった。
本気で、未来を作ろうとしてやがる」
ラッカは拳を握りしめる。
「だからこそ……怖ぇんだよ。こんな場所で、“俺”が何かできるのかってな」
すると、静かにセレンが言った。
「“怖い”と思えるのは、あなたが“真剣”だからよ。私も、怖いわ。
記録官の私が、組織の中で何を成せるのか。学問だけで、社会は変えられるのか。
でも……怖くない未来なんて、たぶん、何も動かせない」
ユーリが優しく微笑んだ。
「私も……そう。通訳をしてきたとき、何度も誤解で傷つく人たちを見てきた。
それでも声を届けたいと思った。たった一人でも、誰かが“わかってくれた”って言ってくれたら、それでいい。
そういう“小さな成功”を、積み重ねたいの」
ラッカが少しだけ眉を下げる。
「……真面目だな、お前ら」
「あなたも、ね」
ユーリが言う。「そうじゃなければ、こんな時間に、ちゃんと向き合って話そうとは思わないもの」
沈黙が少しだけ柔らかくなった。
セレンは、ふと立ち上がると、窓辺に歩み寄った。
外には、魔王城の塔と、漆黒の空に浮かぶ三つの月が見えていた。
「明日から、いよいよ“部署配属”ね。どこになるかは分からないけれど……」
「俺、後方部門希望してたけど、砦行きって話もあるとか……マジでかよ……」
ラッカが顔をしかめる。
「私、行政局か文書管理局に行けたらって思ってたけど……内政改革班も人手不足だって言われてるのよね」
ユーリは不安そうにカップを持ち直した。
セレンは、月を見ながら、ぽつりと呟いた。
「――それでも、行くのよ。どこであれ、私たちは、“理念”を背負って、歩き出す。
怖くても、足元が見えなくても。これは、私たちの最初の“一歩”なんだもの」
ラッカがふっと鼻で笑う。
「“理念”ねぇ……。ま、まずは現場に怒鳴られねぇように頑張るか」
ユーリがくすっと笑った。
「でもラッカ、怒鳴られるのは、あなたじゃなくて、むしろ“あなたが怒鳴る側”かもしれないわよ?」
「おう、それもアリかもな」
三人の笑い声が、静かな夜のラウンジに、ほんの少しだけ響いた。
その瞬間――遠く、魔王城の天守塔の上階で、一人の影が静かにその様子を見下ろしていた。
ミカである。
彼女は薄く微笑み、呟いた。
「――“理念”は、口先では語れない。だが……“仲間”がいれば、信じて進める」
夜は、深まってゆく。
だがその奥には、確かに灯る光がある。
三人の若き“候補生”たちは、いまその最初の夜を――共に超えようとしていた。