70話 神と向き合う時 ―創造の終焉と再構築―
塔の最深部――
そこには「無」のような空間が広がっていた。
時間も、重力も、色もない。
ただ、ひとつだけ、そこに“存在”がいた。
それは人でも、魔でもなく、概念そのものだった。
創造神ノゥア。
白銀の光をまとい、形を持たぬ声が響く。
「ようやく来たか。アークよ――黒き羽根を背負う者。かつて我が創りし“秩序の因果”を越えてきた者よ」
アークは一歩踏み出す。
「……お前が、この世界の“始まり”か」
「始まりであり、終わりでもある。わたしは、完全なる静寂。争いなき世界を望んだ結果、善悪も命も“均す”存在となった」
「それは“平和”じゃない。ただの支配だ」
ミカがアークの後ろに立ち、強く叫ぶ。
「みんな、苦しんでいた! あなたの理想が押し付ける“正しさ”に! ――命は、もっと揺れて、汚れて、だからこそ輝くものよ!」
ノゥアの光が微かに揺れる。
「……感情は不確か。争いの根源。だが……お前たちはなお、それを求めるのか?」
カイが一歩前に出て、剣を抜く。
「当たり前だろ。“綺麗な檻”なんてごめんだ。俺たちは、生きてるんだよ!」
アークが静かに手を掲げた。
「神よ。お前の理想は、もはやこの世界には合わない。――だから、ここで終わらせる」
空間が凍りついたようだった。
塔の最深部――神の間。
創造神ノゥアは、純白の輝きをまとい、まるで感情のない“機械の神”のようにそこにいた。
「命に、個など不要。意志も不要。世界に害をもたらす“波”は静かに、無に還るべきだ」
その声に怒りも悲しみもなかった。ただ、完璧な静寂の意志。
アークが前へ進む。黒い羽をなびかせながら。
「神よ。お前の言う“静寂”は、世界を閉ざす檻にすぎない!」
「ならば、証明してみよ。お前たちの“熱”とやらが、我が理に勝ると」
ノゥアが手を掲げると、天から降り注ぐように光の刃が出現した――無数の神聖なる槍。
リュミエルが叫ぶ!
「来るッ!! 結界展開、ミカ、援護をッ!!」
「任せてッ!」
ミカが詠唱し、金色の防壁が展開する。
「《光輪よ、聖域を守りし盾となれ――セラフィム・ドーム!》」
カイが剣を抜いて前に跳び出す。
「おいおい、神様が本気かよ……! だが、それでこそ燃えるってもんだッ!!」
彼が空間ごと切り裂く。だが、刃は神性を纏い、物理法則を超えて襲いかかってくる。
一筋の光の槍がミカの肩をかすめ、血が飛ぶ。
「っく……! 無茶苦茶……!」
リュミエルが声を荒げる。
「この魔力……一撃一撃が世界の法則そのもの! 気を抜いた瞬間、魂ごと焼かれるわよ!」
アークは沈黙したまま、神の真下へ飛ぶ。
黒翼が炎のように広がる。
「ノゥア――お前の言葉に、命はない。ただの“都合”だ。だから俺たちは戦う。自由のためにッ!」
黒翼が大地を裂き、虚空に螺旋を描いた。
「《黒焔穿孔――オーバーゲート・レクイエム!!》」
だが、ノゥアの身体には傷ひとつつかない。
「無意味だ。私に抗うことは、“宇宙に刃を向ける”ことと等しい」
「それでもやるさ……俺は、もう逃げない!」
ノゥアが静かに指を鳴らす。
次の瞬間、時間が止まった。
「……ッ!? 体が……動か、な……!」
ミカが苦悶の声を漏らす。空気すら止まり、呼吸すら凍る。
ノゥアは語った。
「時の断絶。これが“私の世界”。この中では、万象は静止し、私だけが動ける」
アークの時間も止められていた――だが、ほんのわずか、彼の黒い力が時の止まりを拒絶していた。
「……無理矢理にでも、俺は進む……たとえ、時が止まっても……!」
黒い翼が波打ち、空間の凍結を引き裂いた。
ノゥアの目が、ほんの一瞬だけ見開かれた。
「……矛盾を受け入れたか。黒き秘書よ。では、我が最終審問に応えよ――」
彼の背後に、巨大な裁きの天秤が現れる。
“世界の価値”を測る審問の儀式だった。
アークの片方に、無数の命の記憶――戦争、涙、絆、犠牲。
ノゥアの側には、静寂、秩序、完璧なる均衡。
その天秤が、ゆっくりと傾いていく……。
「見よ。痛みは価値を蝕む。争いが続く限り、静寂が正義だ」
アークは目を閉じた。そして、一言。
「……それでも、俺たちは“歩きたい”んだよ。痛みがあっても、生きる選択をしたいんだ」
ミカが時の止まりを打ち破り、叫ぶ。
「世界の価値なんて……誰にも決められないッ!」
リュミエルが詠唱を重ね、天から光を降ろす。
「アーク、今よ! あなたの意志で――神を“再定義”して!!」
アークの瞳が、世界を映す。
命の喜び、怒り、絶望、希望――すべてを背負って、叫んだ。
「神よ!! 終わらせろ!! お前の偽りの秩序をッ!!創ったのなら、終わらせる責任もある。今度は、僕たちが創る」
「創る……お前たちが、か」
「そう。悲しみや失敗もある。でも、だからこそ前に進める。“生きる”って、そういうことなんだ」
世界が割れた。
天秤が砕け、ノゥアの神性が崩れ――
神は、笑ったように見えた。
「ならば、創造を終えよう。再構築を、託すとしよう――黒き秘書よ――“再構築”せよ。この世界を、お前たちの手で」
世界は静かに、新たな鼓動を始める。
光が溶けるように世界に満ちていく。
塔は崩れ、空が晴れ、雪がやみ、風が芽吹きを運ぶ。
世界が――新たに始まった。
【エピローグ ―そして、秘書は歩き出す】
魔王城の執務室。
アークは、変わらぬデスクに座っていた。
扉がノックされる。
「失礼します。新しい条約案、持ってきました。あと、“魔王アークの恋愛禁止令”は無効になってますからね」
「……それ、まだ言うのか」
ミカが笑う。
「ふふ、だってようやく“世界を変えた秘書”が戻ってきたんだもの。これからは、世界の維持と、少しの幸せを求めて……」
アークは微笑む。
「じゃあ、まずはお茶を淹れてくれ。ミカ、君の淹れる紅茶が好きなんだ」
――彼は、今日も秘書として世界を整え、
――ひとりの“人間”として、生きている。
第2部 完
第3部は71話から始まります。