5話 秘書としての初ミスと成長
転生してからというもの、俺は自分の“人間力”と“社畜根性”だけでこの異世界を泳ぎきってきた――と思っていた。
だが、それがいかに甘い幻想だったかを、俺はその日、痛感することになる。
それは、魔王陛下主催の三大国会議――「地獄の円卓会議」――の準備中のことだった。
「サドゥル魔王国、冥府連邦、アルファ・ドレア帝国。それぞれの代表が、明日の正午に魔王城へ到着予定です」
俺は胸を張って報告した。日程管理も案内も完璧、会場設営も終わっている。
「お前にしては珍しく、準備万端だな」
魔王陛下は笑いながら頬杖をついた。
「しては、とは……」
だがその余裕は、束の間だった。
翌朝、異変は起きた。
「秘書どのッ! ……三国の使者たちが、到着したにもかかわらず、会議室が“空調地獄モード”で凍りついております!」
「なにぃっ!?」
俺は急いで駆けつけた。会議室の扉を開けた瞬間、吹雪とともに氷魔法のエネルギーが顔を打った。
中では、
・冥府連邦代表(死霊系)が凍りついて硬直
・アルファ帝国代表(竜人族)がくしゃみを連発
・サドゥル国の代表は逆に体温が高すぎて水蒸気になっていた
「誰が設定したんだこの温度はッ!? 氷結Lv4ってどういうことだよッ!!」
「し、秘書どの……“快適設定”と入力したところ、氷魔族仕様になっておりまして……」
まさかの魔族ごとの“快適基準”の違い。俺は、内政庁で使っていた“快適プリセット”をそのまま流用したのだった。
そして、トドメの一言はこの直後に放たれた。
「それと……今日の会議は“午後”ではなく、“満月直前”とのご案内でしたが?」
「え?」
俺の頭が一瞬、真っ白になった。
魔族の一部には、人間世界の「24時間制」ではなく、月の満ち欠けで時間を数える文化があるのを――完全に、忘れていた。
俺が言った“正午”は、人間的な感覚で「昼12時」のつもりだった。だが、魔族文化圏では「満月の5時間前」を意味するらしい。
つまり、
全員、5時間前に集まってしまっていた。
冷気にさらされながら、代表たちはすでに不機嫌を通り越して、“凶暴化一歩手前”だ。
俺は――やった。
転生後、初の大ミスをやらかしたのだ。
その後の事態収拾はまさに地獄だった。
・急遽、温暖魔法を使って部屋を再加熱
・代表たちにそれぞれ好物と布団を提供
・陛下には“時間差調整会議”を申し出て謝罪
・議事進行案を変更し、第一議題を「魔族間の時間文化の共有」にすり替え
俺は半泣きで調整に奔走した。書類も、スケジュールも、誤解も、全部俺がケツを拭くしかなかった。
最終的に会議は1時間遅れで開催され、魔王陛下の堂々たる外交術もあって、何とか無事終了。
しかし――
「……陛下、申し訳ありませんでした」
夜、会議が終わったあと、俺は陛下の私室で土下座に近い姿勢を取っていた。
「フン。たかが温度と時間の勘違い、それだけで滅ぶほど我らは脆くない」
「……!」
「むしろ、お前があの場を“政治的テーマ”に転換した機転、見事だったぞ」
俺は、顔を上げた。
「ミスの本質は、“自分の常識を異世界に押しつけた”ことだったな」
「そうだな。“人間の常識”は、魔族にとっては“異常”だ。お前はそれを、この失敗で知っただけのこと」
魔王陛下は微笑を浮かべながら、ワインを一口啜った。
「だがな、秘書。失敗した者には二通りある。“学ぶ者”と“逃げる者”だ。お前は前者だと、私は信じている」
――その言葉は、かつてブラック企業でただ“働かされていた”俺の胸に、深く染み入った。
翌日から、俺は魔族文化について徹底的に調べ直した。
・時間表記と周期表
・気温耐性ごとの会議室設定テンプレート
・族ごとの言語と非言語コミュニケーション
・食文化と禁忌リスト
同時に、魔王軍初の“多種族コミュニケーションガイド”の作成に着手した。
それは、いずれ多種多様な魔族たちが共に働くための土台となるものだった。
俺はまだ、この世界では“新人”だ。
だが、ミスを恐れて何もしないより、ミスを経験して何かを変えていく方が――
ずっと“価値がある”と、いまなら思える。
「さて……次の会議の案内は、“満月三分の一前”って表記にしておくか」
異世界の秘書道は、まだ始まったばかりだ。




