30話 魔王秘書、外交危機に挑む
“人間の王国”との非公式な接触が決まった朝、私は魔王アークと共に極秘の会談地へと向かった。
場所は国境付近、魔力障壁で包まれた古代遺跡の地下――第三者の目を一切排除するための措置だった。
だが、現地で私たちを迎えたのは、予想を裏切る者だった。
「ようこそ。魔王の秘書殿」
声を発したのは――人間の王国が誇る若き将軍、“リオネル・ファーン”。
まだ二十代の青年ながら、数々の戦功と勇者との縁で軍中でも絶大な影響力を持つ人物だ。
彼の目は、冷静だが鋭い。“友好”とは真逆の、鋭利な視線だった。
「まずは聞かせてほしい。我々の兵が、あなたの陣で捕らえられた件について」
リオネルは初手から、あの“操心薬を使われた刺客”の件に踏み込んできた。
私は淡々と、こちらの調査結果を開示した。だが彼は微動だにしない。
「……まるで、我々がそれを使ったかのような言い方だな」
「証拠は、現物と魔力波形の分析によって――」
「その薬が“正規の流通”ではない可能性は? 第三国の介入もあるだろう?」
彼の口調は理知的だが、明らかにこちらの非を認めさせようとする“誘導”がある。まさに、外交戦の真骨頂。
魔王アークはその沈黙で威圧を示し、私は代わりに問い返した。
「……では、なぜ今になって非公式に接触を?」
リオネルは一瞬、目を伏せた。
「……私たちの王国でも、“勇者”の扱いには苦慮している」
その言葉に私は息を呑んだ。
「勇者レイと、その一団は現在“自律的な行動”を取っている。王国の命令すら……効かない」
――これは、極めて重大な情報だった。
“転生した勇者たち”は、王国の英雄でありながら、時に神託に従い、国家の方針すら逸脱することがある。
つまり、先日の襲撃――操心薬を使っていた“人間の青年”は、王国直属ではなく、勇者派閥に属していた可能性が高い。
「我々は、戦を望まない。だが、勇者が独自に動くなら……どうなるか」
リオネルの言葉には、苦悩と警告がにじんでいた。
私は資料を差し出した。
「ここに、“非攻条約”の草案があります。今後、勇者による独断行動が起きた場合、相互に協力し、事実を隠蔽せずに共有することを――」
リオネルはそれを受け取り、しばし沈黙したあと、ようやく口を開いた。
「……賢明な案だ。ただし、これが表に出れば、双方の国内で混乱が起きる」
「ですから、“密約”です」
歴史の教科書には載らぬ、“影の外交”。だがこの合意が、未来を救う可能性もある。
アークも頷き、リオネルも渋々ながら同意した。
「……魔王の秘書。君は恐ろしいほど冷静だな」
「こちらも“生き残る”ために必死ですので」
言葉には笑みを浮かべながら、私の手は冷たく汗ばんでいた。
会談を終えて魔王陛下と帰路につくとき、私はようやく緊張を緩めた。
「……死ぬかと思いました」
「だが、よくやった。交渉は、あくまで“未来の土台”だからな」
アーク陛下の言葉には、魔王としての威厳と、個としての信頼があった。
「ありがとう。“我が秘書”」
その一言に、胸が熱くなる。
――外交は終わった。しかし、まだ始まったばかりだ。
次なる舞台は“世界会議”。
そこでは勇者たち、他国の王、魔族の長老、そして未知なる“神託”すら関与する。
世界の均衡を守るのは、魔王と、たった一人の秘書。




