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231話 政務の檜舞台 ― ルシアの初陣

王都に秋風が吹き抜ける頃、ルシアはついに「その場」に立つことになった。

父アークに代わって、王宮の政務会議へ出席する。――まだ見習い、まだ若き第一王子に過ぎないはずだ。だが周囲の視線は容赦なく彼を「後継の影」と見なし、試すように注がれていた。


「……深呼吸をして、胸を張ればいい」

扉の前で足を止めたルシアの耳に、母ミカの声が思い出のように響く。


「お前ならできるさ。無理に父の真似をするな。お前にはお前の言葉がある」

それは父アークが昨夜、短く残した言葉。


重厚な扉が開かれる。議場の中には、地方領主たち、軍務卿、財務卿、そして老練な重臣たちがずらりと並んでいた。

息を呑む空気のなか、ルシアは一歩、また一歩と歩みを進め、父の代行として用意された席に腰を下ろす。


「……第一王子ルシア殿下、ご着席にあらせられる」

侍従が告げると、会議は始まった。



「さて、まずは北方領の収穫報告からだ」

農政卿が報告を読み上げ、議場に硬質な声が響く。数字と税率が飛び交い、現場の事情と王都の要求が衝突する。


「今年は天候不順で収穫が落ちました。それに兵糧の備蓄を優先せねば、領民が冬を越せません!」

「だが税を減免すれば王都の財源が枯れる!」

「均衡を保つためには、どこかが犠牲にならねばならぬ!」


声が高ぶり、互いに譲らぬ領主たち。

ルシアはしばらく黙っていた。若い自分が口を出しても、軽んじられるのは目に見えている。だが――その時。


「殿下は、どう思われますか?」

鋭い目をした老臣が、試すように問いかけた。


議場が一斉に静まる。

すべての視線がルシアに注がれた。


「……私が、ですか」

ルシアは一拍置き、ゆっくりと立ち上がった。心臓は高鳴っているが、不思議と怖さはなかった。


「北方の冬が厳しいのは、ここにいる誰もが知っています。収穫が少ないなら、領民に税を強いることはできません」


「しかし殿下、それでは王都が立ち行かぬ」

「財の流れを止めれば、兵の食も尽きますぞ!」


声が飛ぶ。

だがルシアは笑みを浮かべ、言葉を続けた。


「では、問います。――王都に暮らす人々と、北方の民と、どちらがより厳しい冬を迎えるでしょう?」


一瞬、議場が言葉を失った。


「王都は交易で補えます。温暖な地方から物資を引く道もある。しかし北方は雪に閉ざされる。王都の一部が倹約することで、千の命が救えるなら……それが“王国”の名にふさわしい形だと、私は思います」


ざわめきが広がる。若き王子の言葉に、老練な者たちが顔を見合わせた。


「……殿下、それは理想論に過ぎぬのでは」

別の重臣が低く言う。


「理想を語れぬなら、王家は要らない」

ルシアはきっぱりと答えた。


「現場の声を聞き、全体の均衡を守るのが政務です。けれど、均衡のために命を軽んじるのは、私は違うと思う。……父ならどうするか、母ならどう語るか、私は知っています。だから、私の口からも言いましょう。――王都が我慢を学ぶ時期なのです」


静寂が訪れた。


「……ふむ」

最初に笑ったのは、北方領の領主だった。


「若いが、確かに王の血を継ぐ者の言葉だ」

「殿下の意見に、私は賛同する」


数名の領主が頷き、空気が変わっていく。反対の声もあったが、次第に「試す場」から「聞く場」へと議場の空気が傾いていった。


ルシアは深く息を吐き、そっと腰を下ろした。

緊張の汗が背を伝っている。だが、胸の奥には確かな手応えがあった。


「……よくやったな」

小声で隣に座る書記官が囁いた。


「まだ始まったばかりです」

ルシアは微笑んで答える。

「けれど――きっとここから、もっと濃くなるのでしょう」


会議は進み、議題は財政から軍備、さらには外交へと移っていった。

硬直した空気のなかで、ルシアは耳を澄ませ、時折口を開いた。最初の発言で注がれた視線は依然として重い。だが、その重さを飲み込みながら、彼は思った。


(言葉一つで、人の心は動く。……父や母は、これを幾度となく繰り返してきたんだ)


「殿下、交易路の安全確保には軍の増派が不可欠です。だが、それでは他の防衛線が薄くなる」

軍務卿が渋い顔をする。


「戦力を分ければ、どちらも守れなくなる恐れがある」

「しかし放置すれば商人が逃げ、財政に穴があく!」


議場はまたも荒れ模様になった。

ルシアはしばらく考え込み、ふと口元をほころばせる。


「では……両方を守る方法を考えましょう」


「両方を? そんな都合のいい――」

誰かが鼻で笑った。


だがルシアは怯まず、落ち着いた声で続ける。


「王都に詰めている近衛や予備兵を、短期で交代させてはいかがでしょう。商路を守る部隊を交代制で派遣すれば、各地の防備も極端に薄くならずに済みます。商人たちにとっても“常に兵がいる”ことが安心につながるでしょう」


「……なるほど」

「一時的な出費はあるが、長期的には安定か」

「予備兵に実戦経験を積ませることもできる」


議場に肯定的な声が広がっていく。


その時、ルシアは何気なく笑って言った。


「それに……兵たちも、たまには王都を離れて風にあたったほうが、いい気分転換になるかもしれませんね」


一瞬、場に笑いがこぼれた。重苦しい空気が和らぎ、険しかった表情にほのかな緩みが生まれる。


「殿下……なかなかの采配でございますな」

「若いのに、よく人心を掴む」


重臣たちが口々に感想を漏らし、空気が変わっていく。

ルシアはその変化を敏感に感じ取りながら、内心で深く息を吐いた。


(……緊張はまだある。でも、言葉で場を変えられるなら……怖くはない)


会議が終わる頃、北方領の老領主がゆっくりと立ち上がり、ルシアに近づいてきた。


「殿下。初めての政務にしては、大したものだ。わしも長く生きておるが、あの若さで人の顔色を和らげられる者を、そうは見たことがない」


「ありがとうございます。ですが……私はまだ、父や母の足元にも及びません」

ルシアは頭を下げた。


老領主はにやりと笑い、肩を軽く叩いた。

「足元に及ぶ必要はない。殿下は殿下の歩幅で進めばよい。それがやがて――王国を動かす力となる」


その言葉に、ルシアははっとした。

父や母の背を追うのではなく、自分の言葉で人を導く。それこそが、自分に課せられた道――。


会議が終わり、廊下に出ると、待っていたのはアレイドだった。


「お疲れ、兄さん」

軽やかな口調で声をかけ、ルシアの肩に手を置く。


「見てたのか」

「もちろん。王都の戦術本部に行く前に、ちょっとだけ覗いてやろうと思ってさ」

アレイドは笑いながらも、少しだけ真剣な瞳をしていた。


「……堂々としてたよ。さすが兄さんだ」


ルシアは苦笑し、肩をすくめる。

「堂々としてたように見えたなら、成功かな。内心は、汗だくだったんだ」


「それでいいんだろ。怖さを抱えたままでも前に立てる。それが本物の胆力ってやつじゃない?」


その言葉に、ルシアは目を瞬き、それから小さく笑った。

「……ありがとう。アレイド」


遠くで鐘が鳴り、秋の空気が王宮に流れ込む。

ルシアは窓から見える空を仰いだ。

重責と不安、そして確かな希望。


(政務の道は、まだ始まったばかりだ。……けれど、今日の一歩を忘れなければ、きっと前に進める)


彼の胸に灯ったのは、父から受け継いだ“責任”と、母から受け継いだ“優しさ”の火。

そしてそれは、確かに未来へと繋がっていくものだった。

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