230話 赤光の余韻、家族の眼差し
南方の森。
赤い光が消え去ったあとには、しんとした夜の静寂が広がっていた。
木々の枝にはまだ煤が残り、焦げた匂いが漂っている。
「……やっと、終わったのかな」
アリアが肩で息をしながらつぶやいた。髪の先が炎に焦げ、頬には煤の跡が残っている。
「いや、まだ“終わり”じゃない」
ルシアは剣を収めながらも周囲に目を配った。
「これは試験にすぎない。……けど、今日のお前の炎は、確かに変わってた」
「兄さん……」
アリアは目を瞬かせ、照れたように笑う。
「壊すだけじゃなくて、守るために燃やしたの、分かった?」
「ああ。前のままなら俺も止める必要があったかもしれない。でも――」
ルシアは真っ直ぐ妹を見つめる。
「今のお前なら、一緒に戦える。俺はそう思った」
その言葉にアリアの胸は熱くなった。
汗と涙が混じり、視界がにじむ。
「……ありがとう、兄さん。私、ちゃんと前に進めてるかな」
「進んでるさ。お前が炎を制御できるようになった。それは父さんや母さんに胸を張って言えることだ」
アリアは大きく息を吐き、夜空を仰いだ。
「うん。……帰ったら、絶対に報告する」
◆
一方その頃。
王都の執務室。
アークは机に広げた地図を見つめていた。
報告役の兵が駆け込む。
「アーク様! 王都西門での騒動、アレイド殿下が制圧されました!」
「無事か」
「はい。敵を数名捕らえ、荷馬車に積まれていた火薬樽も押収しました」
報告を聞いたアークは静かに頷いた。
「そうか……。アレイドらしいな」
彼の表情は厳しさを崩さないが、その瞳の奥には小さな誇りが宿っていた。
そこへミカが入ってきた。
「アーク、顔が少し和らいでいるわね」
「……そう見えるか」
「ええ。あなたのことだから、本当は嬉しいんでしょう?」
アークはしばし沈黙し、やがて小さく息を吐いた。
「子どもたちが、自分の役割を果たし始めている。それを嬉しいと感じるのは……当然のことだ」
「でも同時に、心配もしているのでしょう?」
ミカの言葉に、アークは視線を落とした。
「そうだな。彼らが歩む道は、我々以上に険しいものになるだろう」
「それでも……選ばなければならないのね。自分たちの“焔”を」
「――ああ」
二人の間に沈黙が落ちる。
しかしその沈黙は不安ではなく、深い理解と覚悟に満ちたものだった。
◆
再び森。
ルシアとアリアは森の小道を歩いていた。
月明かりが木々の隙間から差し込み、彼らの影を長く伸ばしている。
「兄さん……さっきの戦い、ちょっと怖かった」
「そうか?」
「うん。でもね、怖いのに動けた。昔の私ならきっと、怖さで暴走して……全部焼き尽くしてたと思う」
ルシアは少し微笑む。
「なら、やっぱり成長してる。……父さんが言ってた。“本当の強さは、恐怖を知ってもなお歩くことだ”って」
アリアはその言葉を反芻するように繰り返した。
「……恐怖を知っても、歩くこと」
彼女の瞳に、新しい光が宿り始めていた。
森を抜け、王都への帰路に着いたルシアとアリア。
街灯の火が見え始めたころ、後方から軽快な足音が近づいてきた。
「やっぱりこっちにいたか」
現れたのはアレイドだった。鎧に煤を付け、額にわずかな汗を残している。
「二人とも、無事でよかった」
「アレイド兄さん!」
アリアの顔がぱっと明るくなる。
「聞いたよ、西門の件。あれも兄さんが……」
「大げさに言うなよ。ちょっとした頭脳戦だ」
アレイドは肩をすくめたが、どこか誇らしげでもあった。
「でも、お前の炎も派手に目立ってたみたいだな。王都の空が一瞬だけ赤く染まったって、兵が騒いでたぞ」
アリアは顔を真っ赤にして両手を振る。
「ち、違うの! 暴走したんじゃなくて、ちゃんと制御して……!」
その慌てぶりに、ルシアとアレイドは同時に笑った。
「分かってるさ。……だから俺も安心した」
アレイドの声はいつになく柔らかかった。
「俺たち、少しずつだけど“変わってる”よな」
ルシアが呟いた。
「昔は三人で集まれば必ず喧嘩になってたのに、今は――」
「今は、お互いを見て笑える」
アリアが小さく言葉を継ぐ。
三人の影が月明かりに並び、少しずつ王都の城壁へと近づいていった。
◆
その夜。王宮のバルコニー。
遠くの街の明かりを眺めながら、アークとミカは並んで立っていた。
「……あの子たち、今日は大きな一歩を踏み出したわね」
ミカが静かに言う。
「アリアの炎は、もう恐れるべきものじゃない。ルシアは仲間を導く力を見せ、アレイドは誰よりも冷静に場を収めた」
アークは腕を組み、夜空を見上げた。
「俺たちが若い頃には、あの年齢でそこまで出来はしなかった。……そう考えると、誇らしい反面、妙に心細くもある」
「親としての役目が終わりに近づいているから?」
「そうかもしれん。俺たちはもう導き手ではなくなる。だが――」
アークはミカの方に視線を移し、口調を少し緩めた。
「必要なら背中を押す。そういう存在でありたい」
ミカはふっと微笑んだ。
「あなたもやっと“父親の顔”をするようになったわね」
アークは小さく鼻を鳴らし、言葉を返さなかった。
だがその沈黙は否定ではなく、確かな肯定を含んでいた。
◆
同じ夜。
三兄妹は城の中庭に腰を下ろし、それぞれの杯に葡萄水を注ぎ合っていた。
「なんか……今日のこと、夢みたいだな」
アリアが夜空を見上げながら言う。
「炎を出すたびに、誰かが傷つくんじゃないかってずっと怖かったのに。今は――違う」
「違うって?」ルシアが促す。
「怖いのは同じ。でも、その怖さごと受け止めて、燃やせた。……兄さんたちが一緒にいてくれたから、そう思えたんだ」
その言葉に、アレイドは目を細める。
「へえ。やっと素直になったじゃないか」
「う、うるさい!」
アリアは頬を膨らませたが、すぐに笑顔に戻る。
「でもね、本当にありがとう」
ルシアはゆっくりと杯を掲げた。
「俺たち三人、それぞれ違うけど――同じ焔を継いでる。今日、そのことを改めて感じた」
アレイドも杯を合わせる。
「継ぐべきものは一つじゃない。……けど、俺たちの血に流れてるものは確かだ」
アリアも杯を掲げ、三つの音が夜に重なった。
その響きは小さいが、確かな誓いの始まりを告げていた。
◆
バルコニーの上から、その姿を見ていたアークとミカ。
「見て、アーク。三人とも笑っているわ」
「……ああ。あれが、俺たちが守ってきた未来だ」
ミカは寄り添いながら小さく呟いた。
「継承の時は近いわね」
「――ああ。どの焔が未来を照らすかは、もう俺たちが決めることじゃない」
二人の瞳に映るのは、笑い合う三つの影。
その姿はまるで、まだ小さかった日々の残像のようでもあり、これから訪れる大いなる未来の予兆のようでもあった。




