23話 異種族からの初訪問と歓迎準備
魔王城・執務室。いつもより静まり返った空気のなか、私は机上に並んだ報告書の束に目を通していた。隣席には参謀のラザル将軍、対外折衝担当のミリス、そして最近新たに着任した情報官のフィン。どこか、全員が緊張しているのは理由がある。
魔王アークが、“あの布告”を準備しているのだ。
数日前、他国からの使者が来訪し、魔王軍の内政改革に対して「侵略の前触れではないか」という懸念が伝えられた。それは、我々が信頼を築こうと努力してきた国家からの冷ややかな疑念でもあった。
「このままでは、誤解が誤解を呼ぶ。やるべき時が来たな」
アークはそう言い、長らく温めていた方針を、正式に発表することを決意したのだった。
――その名も、「対等なる国際協調宣言」。
魔王城の中央広場には、各地から招かれた使節団と幹部、そして民衆の代表が集まっていた。アークは、深紅のマントを翻しながら高台に立つ。そして、私に目を向けて静かに頷いた。
「では、頼んだぞ、秘書」
私は大きく頷き、彼の横に立って演説文を開いた。
「本日、魔王アーク陛下より、王国全土に向けて――そして世界に向けて、重大な布告がございます」
ざわめく場内。視線が一斉に魔王に注がれる。
アークは一歩前へ進み、そのまま口を開いた。
「我が名はアーク。かつて、恐れと混乱の象徴とされた“魔王”の名を継ぐ者だ。しかし――」
彼は一呼吸置いた。
「私は、かつてのように力で世界を支配するつもりはない。むしろ、力ある者だからこそ、対話と共存を選ぶべきだと考える」
どよめきが広がった。特に、異種族国家や人間側の使者たちは、明らかに驚きの表情を浮かべている。
「我々は、誤解されてきた。内政改革も、経済発展も、兵の鍛錬も――それは誰かを侵すためではない。朝、魔王行政庁に緊張感が走った。
エルフの森より、最高賢者セレスティア=ルーミナスが公式訪問に来るというのだ。
それは、魔王アーク=ヴァルツが唱える「共存政策」初の実証機会であり、同時に、魔王軍が“信頼に値する政権”として異種族に認められるか否かの大試練でもあった。
「これは一国の命運を賭けた“おもてなし”です。ミスは許されません」
秘書は、執務室に集めた庁舎スタッフへ、静かに、だが決然と告げた。
歓迎計画は三本柱から成る。
エルフ文化への完全対応(音・香り・光の調整)
公式文書と詠唱風の会話の準備
会場演出と“食”による接待外交
まず秘書が着手したのは、エルフの五感的禁忌の調査だった。
エルフは音に敏感、人工的な香りを嫌い、強い光を嫌う。
「つまり、アポカリプス砲の試射は中止ですね」
「当然です!」
魔王アークが提案した“歓迎の礼砲”は、即刻却下された。
魔王行政庁の特別会議室は、エルフ仕様に改装された。
魔法的調光で柔らかな陽光を再現し、調香師によって“森林の朝露”をイメージした天然香が空間を満たす。
座席も、地に近い“半円式”に組み直され、机の代わりに苔むした大理石の祭壇型テーブルが用意された。
「秘書さん、これって……会議室というより、精霊の祈祷場ですよ」
カリナが思わずつぶやいたが、秘書は真剣そのものだった。
「いいえ、“外交は演出”です。信頼の種を蒔くには、まず相手の呼吸に合わせなければならないんです」
秘書は各種通訳に指示を出し、「政務」「条約」「国益」などの硬質語彙をすべて詩的変換した。
「国家間合意」→「暁の契り」
「相互防衛条約」→「祈り合う盾」
「通商路整備案」→「命の風の導き」
これを聞いたバロム(ドワーフ族顧問)は天を仰いで言った。
「詩人の脳みそで条約交渉などできるか!」
「相手は詩を読みながら戦争を止める民族です。順応しましょう」
そして当日――
エルフの賢者、セレスティア=ルーミナスは天馬に乗って現れた。
彼女の到着に合わせ、魔王城正門では竪琴と風笛の演奏が始まり、祝福の草花が舞った。
秘書は自ら出迎え、静かに膝をついて言葉を紡ぐ。
「森より届きし知恵の光よ、闇に微笑みを与えに来られたか。歓迎いたします」
セレスティアは一瞬まばたきした後、静かに微笑んだ。
「あなたが、魔王の右腕にしてこの政庁の声……“語る者”ですね」
「はい、わたくしが秘書です」
会談は、詩の応酬から始まった。
「我らが求めしは、争いの終わりか、それとも形を変えた隷属か?」
「願わくば、互いに傷を隠さぬまま、歩み寄る時代を」
「信じるに足る“夜の王”の意志は、どこにあります?」
「ここに。陽が沈む大地で、灯火を絶やさぬ魔王とともに」
……会話のようで、交渉であり、信頼の探り合いでもある。
魔王アーク=ヴァルツはそのやり取りを静かに見守り、最後に口を開いた。
「我らが欲するのは、貴様らの叡智だ。力を誇るのではなく、共に未来を築こうとする意志こそ、今この地に在る」
セレスティアはしばし目を閉じ、静かにうなずいた。
「……確かに、夜にも“月”があるのですね。分かち合いの始まりを喜びましょう」
夕方、魔王城の中庭で開かれた“調和の宴”。
料理はすべて、植物由来・無精霊汚染・非加工自然素材で揃えられ、エルフ側使者は驚きと感嘆の声を上げた。
「……これが、魔王の城で用意された料理だとは信じがたい」
「ですが、信じていただくことが外交の出発点なのです」
秘書の言葉に、セレスティアは盃を掲げた。
「この盃は、森に住まぬ者へ捧げる祝福の証。あなたに預けましょう、秘書殿」
執務室に戻った秘書は、一息つきながら天井を見上げた。
「外交って、胃に穴が空きそうですね……」
だが――
机の上に残ったエルフの“祝福の盃”が、今日一日の努力と成果を物語っていた。
彼の仕事は、戦わずして国を護ること。
その第一歩を、確かに踏み出したのだった。




