228話 南方への道、王都の影
秋の朝は、空気が張り詰めている。
東門を抜けた騎馬隊は、吐息の白を曳きながら南へと進んでいた。先頭にはルシア、すぐ後ろにアリア。そのさらに後方に護衛と物資を積んだ馬車が続く。
「兄さん、思ったより静かだね」
馬上でアリアが声をかける。
「まだ王都の近くだ。賊や魔獣は滅多に出ない」
「……でも、空気が違う気がする」
ルシアはちらりと妹を見た。その瞳は、遠くの山脈よりさらに奥を見透かすようだった。
「何か感じるのか」
「うーん……火の気配、かな。でも弱い。たぶん、もっと先」
「なら警戒を強めよう」
ルシアは後方の副官に手信号を送り、周囲の警備を強化させた。
一方その頃、王都の警備本部ではアレイドが地図の上に小さな駒を置いていた。
「……南方へ向かう兄さんたちの進行は予定通り。問題はこっちだな」
副官が首を傾げる。
「北東方面ですか?」
「ああ。昨日から商人の出入りが不自然に減ってる。しかも街道沿いの村で物資不足が出てるらしい」
「偶然では?」
「そう思いたいけどな……“同時”ってのが嫌なんだよ」
アレイドは軽口混じりの声を少し落とし、眉をひそめた。
「南と北東、両方に動きがあれば王都の対応は分散する。敵がいるなら、その隙を突くには十分だ」
副官は無言でうなずき、書簡を持って部屋を出ていった。
ルシアたちは昼前に小さな村に到着した。
村長が出迎え、暖かい茶を振る舞ってくれる。
「旅の方々、よくぞお越しくださいました。最近、このあたりは妙なことが多くて……」
ルシアが穏やかな口調で促す。
「妙なこと、とは?」
「夜になると、南の森で光が走るんです。稲妻のような、でも赤い光。しかも音がしない」
アリアが椅子から身を乗り出す。
「赤い光……炎、じゃないの?」
「炎なら、煙や熱があるはずですが、それが全くないんですよ」
ルシアは短く息を吸った。
「……道中は森を避け、迂回する。夜営も距離を取ろう」
「了解!」アリアは返事をしながらも、目の奥に興味の火を灯していた。
王都。
アレイドは王城の高台から市街を見下ろしていた。
(……風向きが変わってる)
遠くに見える市門の近くで、見慣れぬ荷車が二台、検問を通過していく。その動きはゆっくりだが、妙に周囲を気にしている。
隣に立つ警備隊長が呟く。
「商隊にしては荷が少ないな」
「隊長、あれは追わせてくれ。……もし空振りでも、確認する価値はある」
「承知」
命令が飛び、影のような追跡部隊が動き出した。
午後、ルシアたちは迂回路を進み、川辺で休憩を取っていた。
馬の水を飲ませ、簡易の昼食をとる。アリアは足を川に浸しながら空を見上げた。
「こういうの、嫌いじゃないな」
「遠征が?」ルシアが問い返す。
「うん。面倒なことも多いけど、景色が変わると気持ちも変わるし……それに兄さんと一緒だし」
ルシアは苦笑しつつ、妹の言葉に小さくうなずいた。
「俺もだ。ただ――今回は何か、普通じゃない気がする」
「だよね」
アリアは真剣な目で頷いた。
「じゃあ、あたしはその“普通じゃない”を、ちゃんと見つける」
「頼りにしてる」
そのやり取りの直後、森の奥から一瞬、赤い閃光が走った――。
森の奥で閃いた赤光は、まるで空気を震わせるように消えた。
「兄さん、今の見たよね!」
アリアは馬を跳ねさせ、鞍の上で身を乗り出す。
「ああ。全員、停止!」
ルシアの声に騎馬隊が止まる。
「副官、偵察を二組。森の入り口までだ、深入りはするな」
「はっ!」
命令を受けた騎兵たちが駆けていく。
アリアは歯を噛みしめていた。
「……私なら分かる。あの光、ただの自然現象じゃない」
「そう言うと思った」ルシアが苦笑する。
「でも焦るな。俺たちの目的は“現象の解明”じゃない。――まずは村人を守ることだ」
「わかってる。けど……胸が騒ぐの」
ルシアは妹の横顔を見つめ、ふっと息を吐いた。
「父上に似てるな。危険に向かってでも、真実を見極めようとする」
「えへへ……褒められてるんだよね?」
「半分はな」
そう答える兄の声に、アリアは思わず笑みをこぼした。だが瞳の奥は、決して笑ってはいなかった。
その夜。野営の焚き火が静かに揺れる。
偵察兵の報告は「異常なし」だったが、アリアは眠れずにいた。
焚き火の赤を見つめながら呟く。
「違う……もっと奥。もっと深いところに、何かがいる」
すると背後からルシアの声。
「――眠れないか」
「兄さんも?」
「指揮官は、眠りが浅くなるものさ」
焚き火越しに兄妹の視線が重なった。
「俺が守る。だから無理に追わなくていい」
「ううん、私も守る。だって……それが私の炎だから」
ルシアは一瞬言葉を失い、やがて小さく頷いた。
「……頼もしいな」
その同じ夜、王都ではアレイドが机に広げた地図を睨んでいた。
追跡隊が戻り、荷車の中から大量の武器が見つかったという報告が届いたのだ。
「やっぱり……外からの持ち込みか」
彼は書簡を取り、すぐに執務長官へ伝令を飛ばした。
副官が問う。
「殿下、これは南方での動きと関係が?」
「可能性は高い。もし敵が同時に仕掛けてきたら……王都と南方、二つの戦線を強いられる」
アレイドは声を潜めた。
「兄さんと妹がいる南方を“囮”にされるなんて、絶対に許さない」
その瞳は鋭く光っていた。軽口を叩く時の彼ではない、未来を先読みする戦術家の表情だった。
深夜。
森の奥で再び閃光が走った。今度は長く、まるで空に文字を刻むような赤い帯。
遠見の番兵が叫ぶ。
「ルシア殿下! 南の森に異常! 光が――」
報告が終わる前に、アリアは既に立ち上がっていた。
「兄さん、行かせて!」
「アリア!」
その声に妹は振り返る。
「約束したでしょ。“守る”って。私の炎はもう迷わない!」
ルシアは一拍置き、短く頷いた。
「……なら、俺も共に行こう。副官! 部隊は防衛線を築け。村には絶対手を出させるな!」
「はっ!」
二人の兄妹は、夜の森へと駆け出していった。
その背中を見送りながら兵たちはざわめいた。
「まるで……殿下方の炎と風が、並んで走っているようだ」
焚き火が大きくはぜ、空へと火の粉を散らした。
王都。アレイドは窓辺に立ち、南の空を見ていた。
「……兄さん、アリア。どうか無事で」
その願いの裏に、冷静な計算が潜んでいた。
「だがもしこれが仕組まれた同時攻撃なら……俺は、俺の場所で決着をつける」
胸の奥でひそやかに誓う。
――三人の兄妹が、それぞれの夜に、自分の道を選び始めていた。




