225話 灯火の行方
秋の夕暮れ。王宮の高い尖塔の影が長く延び、橙から群青へと空の色が移り変わっていく。中庭では訓練を終えた兵士たちが道具を片づけ、談笑しながらそれぞれの宿舎へと戻っていく。
アリアはその光景を、訓練場の端に腰を下ろして眺めていた。額にはまだ汗が滲み、胸の奥には小さな熱が残っている。だが、それは以前のような暴走の余熱ではなく、整えられた灯火の温もりだった。
「今日もやり切ったな」
声をかけてきたのはアレイドだ。軽口の響きの中に、さりげない労いが混じっている。
「……まだ全然。動きにムダが多いって教官に言われたし」
「それ、言われるってことは伸びしろがあるってことだぞ。褒め言葉だ」
「兄さんは何でも褒め言葉にするんだから」
アリアは笑って肩をすくめた。
少し離れたところでは、ルシアが部下らしき若手兵士と話し込んでいた。姿勢は崩さず、穏やかな笑みを浮かべ、しかし要所では鋭く指示を出している。父譲りの落ち着きと母譲りの包容力。その背中は、見ているだけで不思議と安心感を与える。
「兄さん、ああやってもう“人を動かす側”になってるよな」
「まあ、あいつはそういう役回りが似合う」アレイドは片手をポケットに突っ込み、軽く顎でルシアを示す。「俺はあそこまでまとめ役にはならないけど、横で動きを支えるのは嫌いじゃない」
「……私は?」
「おまえは――」アレイドはわざと間を置き、にやりと笑った。「火力担当だろ」
「それだけ?」
「いや、それが一番重要なんだって」
アリアはむっとした顔をしながらも、否定しなかった。炎は自分の核だ。それを否定する気はない。だが、もう壊すためだけには使わないと決めている。
「ねえ、兄さん」
「ん?」
「私たち、これからそれぞれ違う場所に行くじゃない? ……ちょっとだけ、怖い」
その言葉は、彼女がずっと胸の奥にしまっていた本音だった。
アレイドは少し視線を逸らし、沈黙した。
「正直、俺もな。けどさ――怖さを共有できる相手がいるなら、そんなに悪くない」
「共有……」
「そう。離れてても、たまに思い出すだけで“ああ、あいつも頑張ってる”って思えるだろ」
アリアはその言葉を胸の中で反芻した。炎が、ほんの少しだけ強く灯った気がする。
やがてルシアがこちらに歩み寄ってきた。
「そろそろ戻るか。夕食の時間だ」
「うん」アリアは立ち上がる。
「そうだな」アレイドも軽く伸びをした。
三人は並んで歩き出す。足音が石畳に小さく響き、夕闇がゆっくりと王宮を包み込んでいく。
夕食の席は、いつものように家族とごく近しい者たちだけで囲む穏やかな時間だった。大きな長卓の上には、秋の収穫を祝う料理が並び、香ばしい匂いが漂う。
ミカが焼きたてのパンを切り分け、アークが静かにスープを注ぐ。その動きは、王と王妃であることを忘れさせるほど自然で、温かな家庭の一場面を形作っていた。
「今日の訓練、見てたわよ」ミカがアリアに微笑む。「前よりも、動きが落ち着いてきたわ」
「ほんと?」アリアは思わず背筋を伸ばす。
「ええ。それに……炎の色が柔らかくなった」
「色?」
アークがパンを口に運びながら、短く頷く。「力の揺らぎが減った、ということだ」
「……そっか」アリアは照れくさそうに笑い、スープに視線を落とした。
ルシアはアレイドに視線を向ける。「王都の戦術本部に呼ばれたそうだな」
「ああ。正式な発表はまだだけど、近いうちに出るだろう」
「……緊張してるか?」ルシアの問いは短いが、温かみがある。
「まあ、ちょっとな。でも面白そうって気持ちのほうが勝ってる」アレイドは笑った。
その軽口に、アリアもくすりと笑う。
「三人とも、それぞれの道を歩き出すのね」ミカが少し遠くを見るような目で呟いた。
「まだ始まりだ」アークの声は低く、しかし揺るぎない。
その言葉に、食卓の空気が静かに引き締まる。
食後、三兄妹は自然と同じ方向へと歩き出していた。行き着いたのは王宮のバルコニー。夜風が少し冷たく、月明かりが石の手すりを銀色に照らしている。
「これから、もっと大変になるんだろうな」アレイドがぽつりと漏らす。
「……でも、きっと大丈夫だよ」アリアは夜空を見上げながら言った。「離れてても、ちゃんと繋がってる」
「その通りだ」ルシアが頷く。「だからこそ、それぞれの場所で最善を尽くす」
三人は言葉を交わすことなく、しばし夜空を仰いだ。無数の星々が瞬き、その光がまるで未来を示すかのように降り注ぐ。
――この中から、誰かが必ず“継ぐ”日が来る。
その思いは、三人とも声には出さずとも、胸の奥で確かに共有していた。




