222話 旅立ちの気配とそれぞれの選択
季節は秋へと向かい、王宮を囲む森は金と赤の色彩をまといはじめていた。
朝の冷たい空気を吸い込みながら歩くと、胸の奥まで澄んだ風が入り込み、どこか遠くへと行きたくなる衝動が湧いてくる。
その日、三人の兄妹は、珍しく朝食の席に全員揃っていた。
ルシアは既に政務服の上着を羽織り、アレイドは軽装ながら腰には短剣を差している。アリアはまだ訓練着のまま、片手でパンをかじりながら紅茶を飲んでいた。
「今日はそれぞれ予定が詰まっているな」
アレイドが、テーブルに置かれた予定表を横目で見ながら呟いた。
「あなたも同じじゃない」ルシアが静かに笑う。「戦術本部への呼び出しなんて、そうそうないでしょう?」
「まあ、確かにな。……姉さんは?」
「政務訓練。領主との実地交渉があるわ」
「……固いな」アリアが口を尖らせる。「私は、治安演習に混ざって街の巡回をするよ。動きっぱなしの一日になるかも」
こうして聞くと、三人それぞれの道筋が、少しずつ違う方向へと伸びていくのが見えてくる。
食堂の窓から差し込む朝日が、その道筋をやわらかく照らしているように思えた。
午前、ルシアは執務室で、地方領主と顔を合わせていた。
目の前の老人は、長年一族の領土を治めてきた人物で、王宮との距離感を慎重に保ってきたタイプだ。
しかし、今日のルシアは一歩も引かなかった。
「領地の民の声を直接聞く場を設けましょう。それが信頼への第一歩です」
凛とした声と落ち着いた笑み。その背後には、父アークの威厳と母ミカの温かさが確かに宿っている。
一方、アレイドは戦術本部の会議室にいた。
壁一面に広がる地図。赤と青の駒が、複雑な動線を描いている。
「ここ、迂回路にして敵の後衛を削る案は?」
彼の提案に、年上の将校たちが目を見張る。
「……短時間でそこまで見抜くとは。やはり君の分析力は侮れん」
アレイドは軽く肩を竦めて笑った。
「状況が見えれば、答えは自然と出ます」
その表情は、自信と余裕を滲ませつつも、驕りはない。
アリアは城下町の南側、狭い路地を巡回していた。
治安演習といえども、街の空気は生きていて、予想外のことが起こる。
角を曲がった瞬間、荷車が傾き、積まれた木箱が倒れそうになる――
「っ……!」
アリアは反射的に手を伸ばし、小さな炎を発生させて風を生み、木箱を元の位置に押し戻した。
「助かったよ、お嬢さん!」と商人が頭を下げる。
その一言に、胸の奥が温かくなる。
(……守るための炎。やっと、少しは使いこなせてきたかな)
夕刻、王宮のテラスで三人は偶然再会した。
夕焼けが城壁の向こうまで広がり、紅葉の森を黄金色に染めている。
「ええ。でも、きっとこれからもっと濃くなる」
ルシアは窓の外、遠くの街並みに視線を向けながら、淡く微笑んだ。
その横顔は、いつも通り穏やかだが、瞳の奥には確かな決意が宿っている。
「そうだね……。でも、不思議と怖くないや」
アリアは両手を腰に当て、少し子供っぽい笑顔を見せる。
「だって“別れ”じゃないもん。“旅立ち”だよね?」
「そういう言い方、悪くないな」
アレイドが口元を緩めて頷いた。
「俺たちは、それぞれの場所で前に進むだけだ」
その言葉にルシアも笑みを返す。
「――そうだな。だからこそ、ここでの時間を無駄にはできない」
三人の間に、秋の澄んだ空気と同じくらい透き通った沈黙が流れた。
それは名残惜しさよりも、これから始まる日々への期待を孕んだ静けさだった。
その瞬間、三人の胸の中に、確かに同じ灯がともっていた。
ルシアは軽く息を吐き、ベンチの背にもたれた。
「それに……俺は、この半年でお前たちの強さをよく見せてもらった。どこへ行っても、やっていけるはずだ」
その声音は兄としての誇らしさと、少しの寂しさが入り混じっていた。
「強さって……アレイドもでしょ?」
アリアは半ばむくれたように言って、すぐに笑いに変えた。
「私、あんたのそういう“何でもそつなくこなす”ところ、けっこう尊敬してるんだから」
「ほう、それは意外だな」
アレイドが目を細めて笑い、軽く肩をすくめる。
「でも、お前が真っすぐ突っ込むからこそ、俺たちが助けられる場面もあった。……これからも、その火は消すなよ」
「……うん」
アリアはほんの少し頬を赤らめ、短く答えた。
ルシアは二人を見渡し、わずかに目を細めた。
「俺たち三人、行く先は違うが――目指すものは同じだ。国のため、人のため、そして……自分のため」
「そういうの、悪くないな」
アレイドが再び頷くと、アリアも小さく拳を握る。
「よし。じゃあ、またいつか同じ場所で腕試しできるように、頑張らなきゃね」
その時、冷たい風が木々を揺らし、落ち葉がひらりと三人の間を舞い抜けた。
秋の匂いとともに、それぞれの胸に新しい季節の始まりを告げていた。
やがて鐘の音が遠くで鳴り、日暮れが近いことを知らせる。
三人は同じ方向へ歩き出しながらも、視線の先にはそれぞれの道が見えていた。




