221話 秋の王宮、静かな変化
第6部:王位継承編
【魔王一家の人物像】
■アーク・ヴァルツ(魔王・父)
王としての威厳と、家族を想う父としての優しさを両立。
政務と愛情、責務と個人の間で静かにバランスを取り続ける。
子供たちには「強さとは孤独ではなく、支え合うこと」を教えている。
ルシアにとっては“目標であり師”、アレイドにとっては“理性的な理解者”。
■ミカ・エストレーラ(王妃兼秘書・母)
「秘書・王妃・母」という三重の顔を持つ。
高い知性と記憶力、調整力を武器に政務をこなす。
子供たちへの愛情深く、特に心理的な支えとして家族をまとめる。
自身も努力型で、家族に「完璧じゃなくていい、支え合えばいい」と諭す姿が印象的。
■ルシア・エストレーラ(長男・第一子)
名前:ルシア(Lucia Estrella)
地位:第一王子。
正義感が強く、幼少期から「守る責任」を意識している。
責任感が強すぎて、自分を追い込む傾向がある。
幼少期のアリア脱走事件で、兄としての責任感と葛藤を経験。
将来的に前線指揮官や王の後継者の資質があるが、精神的にはまだ柔らかい面も残る。
親から魅力、責任感、優しさを受け継ぎ「守る責任」を意識する存在。(心)
■アレイド・エストレーラ(次男・第二子)
名前:アレイド・エストレーラ(Alaid Estrella)
地位:第二王子。演算魔術と戦略の天才。
冷静で論理的。観察と分析、そして「誰かを支えること」に特化した性格。
魔術演算や戦況解析の才能があり、王族の中でも特殊な立ち位置。
「自分は王にはなれないが、王を支える翼になれる」と自覚するまでに成長。
家族への思いは深いが、前に出るよりも後方支援型。
アレイドは全能力は最高水準も「知恵」を得意とする。(知)
■アリア・エストレーラ(長女・第三子)
名前:アリア・エストレーラ(Aria Estrella)
地位:後方支援的
純粋で自由な心を持つ。家族への愛情が行動の原動力。
幼少期は「母に花冠を贈りたい」という気持ちで城を脱走するなど、行動力もあり。
周囲を自然と笑顔にさせる存在であり、家族にとって“癒し”の象徴。
天真爛漫さと自由さが物語の中心軸になる予感。
魔力は父親の魔王を凌駕し、全魔法を使えるが火(炎)を最も得意とする。(力)
秋は、王都を柔らかく包み込むようにやってきた。
王宮の庭園は紅葉に染まり、楓や銀杏の葉が黄金色と朱色のグラデーションを作っている。吹き抜ける風は夏の熱気を完全に払い、薄く冷えた空気を頬に残す。その涼しさに、宮廷の長い廊下を歩く人々の歩幅は、自然とゆったりしたものになっていた。
しかし――その静けさの奥底に、ごく微かな「変化の種」が芽吹いていることに、まだほとんどの者は気づいていなかった。
朝靄の残る早朝。王宮の西翼、上階の一室ではルシアが窓辺に腰掛け、湯気の立つ紅茶に口をつけていた。
白磁のカップ越しに見える中庭は、赤と黄の落ち葉で彩られている。机の上には政務資料と地図。彼女の指先はページをめくるたび、紙の角を優しく撫でた。
「……税率、やっぱり西部領はもう少し緩めた方が良さそうね」
小声の独り言。朝の光を受けた瞳は穏やかだが、思考は既に政治の海を泳いでいた。
ノックの音がして、侍女が入る。
「おはようございます、ルシア様。本日はお父上のご予定に会議が入っておりますので――」
「ありがとう。午前中は執務室で記録整理をするわ」
にこやかに答えながらも、ルシアの耳は外の風の音を拾っていた。少し冷たく、どこか落ち着かない風だった。
一方、王宮北翼の訓練場ではアレイドが片膝をつき、剣の刃を布で拭っていた。
朝露で濡れた地面に淡い靄が漂う中、彼の動きは迷いがなく、手入れというよりも儀式のような規則正しさがあった。
「……よし」
刃を鞘に収めると、アレイドは木剣を手に取り、素振りを始める。ひと振りごとに靄が切り裂かれ、冷たい空気が腕を走った。
訓練場の隅で若い兵士が見とれていたが、アレイドは気づかないふりをして動作を続ける。
「昨日より……重心が少し甘いな」
独りごち、次の一振りで力強く足を踏み込む。乾いた音が朝の空気に響いた。
そして、東翼の奥、魔術演習場ではアリアが杖を握って立っていた。
彼女の前方には、拳大の炎球がふわりと浮かんでいる。炎は以前のように荒々しく燃え上がることなく、柔らかく脈動していた。
「……深呼吸、して……」
吐息とともに、炎球は少し小さくなり、光も穏やかになる。
「よし、もう一度」
杖先を軽く振り、今度は炎を横に流す。まるで水のように、滑らかに空中を移動した。
「アリア様、最近……炎、優しくなりましたね」
演習場の端で見ていた若い魔術師見習いがぽつりと言った。
アリアは少し驚き、そして小さく笑った。
「……そう? なら、嬉しい」
ほんの数ヶ月前まで「暴走姫」などと陰で呼ばれていた自分が、今こうして炎を制御できている――その事実が胸に温かく広がった。
午前の陽が少し高くなる頃、三人は別々の用事を終えて中庭に向かうことになった。
赤と金の葉が舞い落ちる中、先に来ていたルシアがベンチに座っていると、アレイドが姿を現す。
「おはよう、お兄さん」
「おはよう。朝から稽古?」
「ああ。お兄さんは相変わらず紙と数字か?」
「それが私の戦場よ」
二人が笑い合ったその時、反対側からアリアが駆けてきた。
「おはよー! あ、二人とも来てたんだ」
「珍しいな。訓練場から直行か?」とアレイド。
「うん。ちょっと休憩。……あ、ルシアお兄さん、炎、優しくなったって褒められた」
アリアが嬉しそうに報告すると、ルシアが頬を緩めた。
「そう……見てみたいね、その“優しい炎”」
「じゃあ今度、演習見に来て」
アリアの声は自然と弾んでいた。
短い会話の合間にも、三人の視線は時折交差し、互いの力や立場を意識する微妙な空気が流れた。
その奥底に、まだ誰も明確な言葉にしていない「次の段階への予感」が潜んでいた。
昼前、王宮の食堂には、秋の野菜をふんだんに使った温かなスープの香りが漂っていた。
長いテーブルの端に腰掛けたルシアは、匙を口に運びながら視線を遠くにやった。
窓越しに見えるのは、訓練場へと続く石畳の道。そこを歩く兵士や使用人の足取りに、彼女はある変化を感じ取っていた。
「……なんだか、みんな急ぎ足ね」
「気のせいじゃないと思う」
向かいに座ったアレイドが、パンをかじりながら短く答える。
「父上も、このところ外部との会談が増えている。政務の空気が、少し……前と違う」
「アレイドまでそう感じているなら、やっぱりそうなのね」
二人の間に一瞬の沈黙が落ちた。
そこへ、湯気を纏ったままアリアがやって来る。
「何の話?」
「王宮の空気が少し変わってきた、って話」
「ふーん……私はよく分かんないけど。でも、最近訓練で“実戦想定”が増えてきたかな」
「実戦想定……」
ルシアが呟いたその言葉は、食堂の温かさとは別の冷たい余韻を三人の間に残した。
午後、三人はそれぞれの予定へと散った。
ルシアは執務室で地方領主との書簡に目を通し、アレイドは戦術資料の閲覧室にこもり、アリアは魔術演習場で炎の流し方を繰り返し練習する。
それぞれの背後には、見えない形で新たな動きが始まっていた。
ルシアの机上には、いつもよりも多い外交案件が積まれていた。
アレイドの資料には、北方防衛線の再編案が密かに挟まれていた。
アリアの訓練場では、王都以外の若手魔術師が見学に来ていた。
夕暮れ時、三人は偶然、城壁沿いの遊歩道で再び顔を合わせた。
沈みかけた陽が西の空を黄金色に染め、影を長く伸ばす。
アレイドがふと笑って肩をすくめた。
「やれやれ……アリア、また熱くなってるな。少しは肩の力を抜けよ」
「……うるさいな、アレイドこそ、いつも余裕ぶって」
「余裕じゃないさ。必要だからそうしてるだけだ。君はまだ、自分の炎の“持ち方”を試してる段階なんだろ?」
「……っ!」
その言葉にアリアはむっと顔を背けた。けれど、否定はできない。
ルシアがそのやり取りを横で聞き、やんわりと笑う。
「お前たち、相変わらずだな。まぁ、どちらもいい刺激になってるようで、兄としては安心だ」
「兄さんはいつもそうやって見てるだけで……」アリアが口を尖らせると、ルシアは苦笑しながら、
「見てるだけじゃないさ。必要な時はちゃんと動く。お前たち二人は、そう簡単には見捨てられないからな」
そう言って、軽く二人の頭に手を置いた。
アリアは一瞬だけ兄の手の温もりに驚き、そのまま目を伏せた。
アレイドは、そんな二人をちらりと見て、小さくため息をついた。
「……まったく。こういう時だけ兄さんらしい顔をするんだからな」
「お前もいずれ、そうなる日が来るかもな」
ルシアのその返しに、アレイドはほんのわずか口元を緩めた。
彼らの後ろで、紅葉が風に揺れ、はらはらと落ちていく。
まるで、色鮮やかな葉が舞い落ちたあとに、新しい芽吹きが訪れることを予告するかのように。
その夜、王宮全体に柔らかな静けさが満ちた。
けれど、その静けさの中で、確かに何かが動き始めていた。
遠く、城門を抜ける馬車の音。
見張り台で交わされる短い合図。
廊下の隅に置かれた、まだ開封されていない封書。
――秋の王宮は、美しく、そして少しだけざわめいていた。
それは兄妹三人の未来へ続く道の、最初のきっかけとなる小さな風だった。




