220話 それぞれの初日 ―新しい空の下
政務館の大理石の廊下を、ルシアは真新しい書簡束を胸に抱えて歩いていた。
重厚な扉の前に立つと、護衛官が無言で頷き、扉を開ける。
中には地方代表や議官たちが円卓を囲んでいた。
「ルシア殿下、本日の議案資料でございます」
補佐官が小声で告げ、ルシアは頷く。
初日からの議題は三件――どれも王都周辺の農作物流通や税率調整、そして災害復旧計画。
父や兄たちが口にしていた「机上の戦場」という言葉が、静かに実感として降りてくる。
議官A:「では、先月の洪水被害地区への支援金についてですが――」
議官B:「しかし予算には限度があります。王都の警備予算も減らせません」
ルシアは資料に視線を落としながら、心の中で短く呟く。
(これは……取捨選択の場だ。全員を満足させる案はない)
議官たちの視線が、自分に集まる。
「殿下はどうお考えですか?」
初日からの直球。心臓が少し早く打つ。
ルシアは息を整え、口を開く。
「被害地区の復旧を優先します。ただし……王都警備の予算は、非効率な支出の見直しで補填できるはずです」
会議室の空気がわずかに動く。賛同と反発が入り混じった視線。
(これが俺の選んだ道だ。なら、引くな)
一方その頃、王都の戦術本部。
アレイドは広間の中央で、十数人の戦術士官に囲まれていた。
試験官:「ではアレイド殿下、即応戦術の実演をお願いします」
地図上に赤と青の駒が並べられ、制限時間が告げられる。
「敵軍は北から侵攻、味方は西に布陣――制限時間は十刻、さあ」
アレイドは駒を動かしながら、低く呟く。
「敵の先鋒は囮だな……主力は南へ回す。なら――」
素早く部隊を分け、地形を利用した包囲案を組み立てる。
試験官C:「だが、その策では南の村が――」
「犠牲は出さない」
アレイドは駒をさらに動かし、迂回部隊で村を守る案を示す。
「守るべきは人だ。土地じゃない」
沈黙の後、試験官の一人が口元を緩めた。
「……合格です。殿下、なかなか筋がいい」
アレイドは軽く肩をすくめる。
「筋がいいだけじゃダメだろ。本番でも勝つ」
王都南端の訓練場。アリアは初対面の隊員たちと向き合っていた。
「今日から一緒に治安演習に参加します、アリアです!」
元気よく自己紹介をすると、数人の視線が好奇と緊張で交錯する。
教官:「今日は商業区の巡回と、簡易障害コースの訓練だ。油断するなよ」
巡回中、細い橋を渡る場面で、前を歩く隊員の一人が足を滑らせた。
「うわっ!」
咄嗟にアリアは手を伸ばし、その腕を掴む。
「大丈夫! ほら、ゆっくり……」
救った直後、背中で小さく炎がゆらめいたが、暴走はしなかった。
(……できた。壊さない炎、守る炎)
隊員:「助かったよ、ありがとう」
「いいって。私も前は、こういう時うまくできなかったから」
夕刻、王都の空が茜色に染まりはじめる。
ルシアは政務館の階段を降りながら、腕に抱えた資料の重みよりも、胸の中の疲労感を意識していた。
(意見をぶつけられるのは、嫌じゃない……けど、全部を背負う覚悟が、想像以上に重い)
その足取りは、けれど確かに迷いを減らしていた。
政務館の外で迎えの馬車に乗り込み、窓から王都の灯りを見つめる。
「……悪くない初日だったな」
小さく呟いた声は、自分への励ましでもあった。
アレイドは戦術本部の門を出ると、真っ直ぐ王都の大通りへ向かった。
試験後、数名の士官から声を掛けられたが、彼は笑って短く返すだけだった。
(褒められて浮かれてたら、次で負ける。あくまで、まだ入口だ)
歩く途中、露店の灯が夜風に揺れる。
その光景が、何となく戦場の篝火に重なり、彼はふっと息を吐いた。
「守るって、案外……面倒だな」
だがその口元には、わずかな笑みがあった。
アリアは訓練場からの帰り道、仲間たちと笑いながら歩いていた。
今日救った隊員が、何度も「助かった」と言ってくれるたび、胸の奥が温かくなる。
(あの時、深呼吸した……ちゃんとできた)
ふと空を見上げると、夕焼けが深い群青に溶けていく。
その色の変化に、彼女は小さく呟いた。
「私の炎も、少しは色を変えられたかな」
夜、王宮のあちこちで灯りがともる。
ルシアは書き物机で資料を整理していた。
扉をノックする音。
「兄上、もう休まれますか?」
アリアの声だ。
「いや、あと少し。……初日、どうだった?」
「緊張したけど、楽しかった!」
その即答に、ルシアは思わず笑みをこぼした。
「なら、いい初日だな」
アレイドは自室の窓辺に腰掛け、磨き上げた剣を膝に置いていた。
遠くから、巡回隊の笑い声が風に乗って届く。
(あれ、アリアの声か……ずいぶん楽しそうだ)
彼は剣を鞘に収め、天井を見上げる。
「俺も、負けてられねぇな」
アリアは自室の窓を開け、夜の匂いを吸い込む。
今日の出来事が何度も頭の中で再生される。
そして、自分の胸にそっと手を当てた。
「……やっぱり、私の炎は守るためにある」
その呟きは、星明かりの下で小さな誓いとなった。
翌朝、それぞれが別々の場所で新しい一日を迎える。
ルシアは政務館の会議室で、新たな議案資料を手に取り、
アレイドは戦術本部の演習場で、隊員たちと地図を囲み、
アリアは治安部隊の巡回路を歩く。
その背中はもう、昨日より少しだけ迷いがなくなっていた。
それぞれの道は違う。
けれど、歩く先にある空は――同じ色だった。
『転生したら魔王の秘書でした』
第5部:継がれし焔、継がれし志 ―子供たちの成長譚――ミカとアーク、運命を超えて―
~完~
221話から『転生したら魔王の秘書でした』第6部:王位継承編が始まります。
■アーク・ヴァルツ(魔王・父)
王としての威厳と、家族を想う父としての優しさを両立。
政務と愛情、責務と個人の間で静かにバランスを取り続ける。
子供たちには「強さとは孤独ではなく、支え合うこと」を教えている。
ルシアにとっては“目標であり師”、アレイドにとっては“理性的な理解者”。
■ミカ・エストレーラ(王妃兼秘書・母)
「秘書・王妃・母」という三重の顔を持つ。
高い知性と記憶力、調整力を武器に政務をこなす。
子供たちへの愛情深く、特に心理的な支えとして家族をまとめる。
自身も努力型で、家族に「完璧じゃなくていい、支え合えばいい」と諭す姿が印象的。
■ルシア・エストレーラ(長男・第一子)
名前:ルシア(Lucia Estrella)
地位:第一王子。
正義感が強く、幼少期から「守る責任」を意識している。
責任感が強すぎて、自分を追い込む傾向がある。
幼少期のアリア脱走事件で、兄としての責任感と葛藤を経験。
将来的に前線指揮官や王の後継者の資質があるが、精神的にはまだ柔らかい面も残る。
親から魅力、責任感、優しさを受け継ぎ「守る責任」を意識する存在。(心)
■アレイド・エストレーラ(次男・第二子)
名前:アレイド・エストレーラ(Alaid Estrella)
地位:第二王子。演算魔術と戦略の天才。
冷静で論理的。観察と分析、そして「誰かを支えること」に特化した性格。
魔術演算や戦況解析の才能があり、王族の中でも特殊な立ち位置。
「自分は王にはなれないが、王を支える翼になれる」と自覚するまでに成長。
家族への思いは深いが、前に出るよりも後方支援型。
アレイドは全能力は最高水準も「知恵」を得意とする。(知)
■アリア・エストレーラ(長女・第三子)
名前:アリア・エストレーラ(Aria Estrella)
地位:後方支援的
純粋で自由な心を持つ。家族への愛情が行動の原動力。
幼少期は「母に花冠を贈りたい」という気持ちで城を脱走するなど、行動力もあり。
周囲を自然と笑顔にさせる存在であり、家族にとって“癒し”の象徴。
天真爛漫さと自由さが物語の中心軸になる予感。
魔力は父親の魔王を凌駕し、全魔法を使えるが火(炎)を最も得意とする。(力)




