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219話 兄妹それぞれの夜明け

 東の空がまだ群青色を残す時刻。

王宮の塔の一角、ルシアは書斎の窓辺に立っていた。

窓の外、遠くの城壁が夜明けの淡い光を受けて、その輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。


机の上には昨夜まで読み込んでいた統治学の書物と、政務に必要な報告書が山のように積まれていた。

ルシアは深く息を吸い込み、吐き出す。

その吐息には、眠気よりも覚悟の色が濃く滲んでいた。


「今日から……実地訓練か」

彼は窓に映る自分の顔を見つめ、小さく呟く。


その時、背後から控えめなノックが響いた。

「ルシア様、朝食の支度が整っております」

侍従の声に、ルシアは軽く振り返り、「すぐ行く」と返す。


扉が閉まると、彼はもう一度窓の外を見やり、低く言葉を漏らした。

「父上や母上が背中を押してくれるのなら……俺は、もう迷わない」


一方、同じ頃。

王宮の訓練場近くにある詰所の一室で、アレイドは剣の手入れをしていた。

金属の刃が朝の薄明かりを反射し、淡く光る。

磨きながら、彼は小さく鼻で笑った。


「王都の戦術本部か……面倒だが、悪くない」


部屋の隅には、魔術機関から送られてきた封筒が置かれている。

“正式な招集”を知らせるそれは、昨夜開封して中身を確認したきり放置してあった。


ふと、アレイドは動きを止め、天井を仰ぐ。

その目は、剣を通してしか自分を表現できなかった少年時代を振り返っていた。

「俺のやり方を、あの場所でも通せるか……試してみるか」


そして彼は剣を鞘に収め、立ち上がる。

その動作に、もう迷いはなかった。


さらに王宮の別棟、アリアの部屋。

まだ寝台の上で毛布にくるまっていた彼女は、カーテン越しに差し込む朝日でようやく目を覚ました。


「……もう朝?」

まぶたを擦りながら上半身を起こすと、昨夜の夢の感触がかすかに胸に残っていた。

夢の中で、彼女は見知らぬ街で、見知らぬ子どもを炎で守っていた。

それは現実に起こった出来事ではないのに、妙に温かく、確かな手応えがあった。


ベッドから降り、窓を開け放つと、冷たい朝の空気が頬を撫でた。

「今日から治安演習……」

自分に言い聞かせるように呟き、拳を握る。


廊下の向こうからルシアやアレイドの足音が微かに響き、アリアはふと微笑んだ。

「……別々の道でも、きっと同じ空の下にいる」


三人は、ほぼ同じ時刻にそれぞれの部屋を出た。

廊下ですれ違うと、ルシアが軽く頷く。

「今日から本格的に始まるな」


アレイドが肩をすくめ、わざと軽口を返す。

「お前は書類と睨めっこだろ? 俺は現場。差がつくな」


「現場ばかりじゃ戦は終わらん」

ルシアが少し鋭く言い返すと、アレイドは口の端を上げた。


そのやり取りを聞いていたアリアが、半分あきれたように笑った。

「二人とも、朝から張り合わないの。ほら、遅れるよ」


その一言で二人は言葉を切り、三人そろって食堂へ向かう。

足取りは違っても、同じ方向へ進む――そんな一瞬だった。


朝食を終えた三人は、玄関前の石畳で自然と足を止めた。

そこから先は、もうそれぞれの道だ。


ルシアが背筋を伸ばし、二人へ視線を向ける。

「……じゃあ、行く。政務の現場は甘くないって、父上も言ってた」


アリアは小さく頷き、笑顔を添える。

「大丈夫。ルシアならきっとできるよ。だって――誰よりも真面目だもん」


その言葉に、ルシアの表情がわずかに緩む。

「……ありがとう。アリアも、気をつけろ」


アレイドは少し離れた場所で剣を肩にかけ、軽く手を振った。

「俺は王都の本部に顔出してくる。堅物ばっかりだろうが……まあ、やってみるさ」


ルシアが皮肉を返す。

「問題を起こすなよ。王宮の名を背負ってるんだ」


「お前は本当に小言が多いな」

アレイドは鼻で笑い、しかしその視線は真剣だった。

「……ま、そっちも倒れるなよ。戦場は机の上にもある」


一瞬だけ、兄弟の間に静かな理解の光が走る。


アリアは二人のやり取りを見て、少し背伸びをして声を出した。

「じゃあ、私も行くね。治安演習、初日からこけたくないし」


アレイドが顎をしゃくり、半分冗談めかして言う。

「燃やしすぎるなよ」


「もう燃やさないよ。守るんだもん」

その答えは、以前のアリアなら絶対に口にしなかっただろう。

ルシアとアレイドが同時に眉を上げ、そしてわずかに笑う。


それぞれが別の方向に歩き出す。

朝の空気は冷たく、吐く息は白い。

足音が石畳から離れていくたび、胸の奥に少しずつ緊張が積もっていく。


ルシアは政務館の正門前で足を止め、深呼吸をひとつ。

(ここでの判断ひとつが、人々の暮らしを左右する……覚えておけ、俺)


アレイドは馬車の荷台に飛び乗り、王都の街並みを見下ろす。

(剣だけじゃない。戦術も、状況も……全部飲み込んでやる)


アリアは若手部隊の集合地点に駆け込み、見知らぬ隊員たちの中で背筋を伸ばす。

(大丈夫。炎はもう、私の味方だ)


その日の王宮は、三人がいない時間を静かに受け止めていた。

廊下を渡る風も、中庭を照らす陽光も、どこか新しい空気を孕んでいる。


そして――同じ空の下、それぞれの夜明けが始まった。

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