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205話 『焔の静寂、そして次の鼓動』

 学園での再演習が終わった夕刻、アリアは、夕陽の中をひとり歩いていた。

炎を振るった日の帰り道は、いつも体の奥に熱が残っている。けれど、今日は違った。

胸の奥にあるのは、熱よりも、静かな灯火だった。


(……守れた。あの子を、ちゃんと守れたんだ)


救助した少女の、涙のあとに浮かんだ笑顔。

それが、アリアの胸にふわりと残っている。


「暴れるだけじゃない……火は、あったかいんだ」

思わず小さくつぶやいた声が、夕風に溶けた。


魔王城に帰り着くと、いつもの静けさが迎えてくれた。

白い石の廊下に、夕焼けが反射して金色の光が帯のように走っている。

足音がこつん、こつんと響く。


「おかえり、アリア」


母・ミカが廊下の角から現れた。

薄青のドレスに、胸元で光る銀のペンダント。

その姿は、アリアにとって“いつか追いつきたい理想”の象徴だった。


「母様……ただいま!」

駆け寄って抱きつくと、ミカは微笑みながら、そっと髪を撫でた。

「今日は、いい顔をしているわね。何か、あったの?」

「……うん。演習でね、小さい子を助けたの。炎で……でも、前みたいに怖がられなかったの」


ミカはゆるやかに瞬きをし、娘を抱き寄せる。

「そう。あなたの炎が、ようやく“灯り”になったのね」

「……うん」


その言葉が、胸の奥の小さな炎に、優しい風を送ってくれたようだった。


その夜。

家族そろっての夕食は、穏やかな笑いに包まれていた。


長男ルシアは、妹の話を真剣に聞いている。

「なるほどな……暴走じゃなく、制御した炎で守ったのか。やっと兄として安心できる日が来た」

「うるさいな、もう暴走しないもん!」

アリアは頬を膨らませるが、ルシアは笑った。


次男アレイドも静かに言葉を添える。

「アリアの魔力の流れ、変わった気がします。演算で見てみたら面白そうだな」

「アレイド、今は分析しないで! せっかくいい気分なんだから」

「はは……了解」


家族の笑い声が広がる食卓。

けれど、アリアの心には、昼間の出来事がもう一つ残っていた。


──ユリアの笑顔。


勝負ではまだ互角で、口では張り合うけれど。

最後に共闘できたときの感覚は、不思議な温かさだった。


(……また、あの子と並んで戦いたいな)


食後、ミカと二人きりで廊下を歩く。

窓の外には、夜の街の灯りが宝石のように瞬いていた。


「アリア、今日のこと、父様にも報告してあげてね」

「うん。でも……母様」

「なぁに?」

「私……もっと強くなりたい。誰かを守れる強さ、母様みたいな……」


ミカは足を止め、夜の光に包まれた廊下で娘を見つめた。

「アリア。あなたが今日、炎を“守るために使えた”こと、それが何よりの強さよ」

「……守る、ための……」

「力だけでは足りないこともあるわ。でも、力をどう使うかを決める心があれば、きっと迷わない」


アリアは小さく頷いた。

胸の奥に、静かに熱がこもる。

(私……やっと、母様みたいになれる入り口に立てたのかも……)


夜も更け、魔王城は静寂に包まれていた。

アリアの部屋は月明かりだけが差し込み、白いカーテンがゆらりと揺れている。


窓辺に座り込み、アリアは頬を両手で支えた。

昼間の熱気はとうに消え、胸の奥に残るのは、妙に落ち着かない鼓動だった。


(……あの子のこと、考えてる)


脳裏に浮かぶのは、ユリアの横顔。

戦場で交わした視線。火花と水飛沫がぶつかり合ったあの瞬間の、全身が震えるような高揚感。

勝負が終わったあと、ちらりと見えた微笑み。


「……あんな顔、するんだ」

無意識に声が漏れ、アリアは自分で驚く。


ライバルとしての感情だけじゃない。

もっと胸の奥をくすぐるような、名前のつけられない感情がじわりと広がる。


(ユリア……あの子は水。私は火。なのに、なんで……あんなに惹かれるんだろう)


窓の外に目をやれば、王都の街灯が点々と続き、遠くで夜警の角笛が低く響いた。

街も眠りにつき、世界に残るのは、アリアの鼓動だけのようだった。


机に置かれた羽根ペンを取り、アリアは日記帳を開く。

まだ子どもらしい丸文字で、ぽつぽつと文字が並ぶ。


「今日は、誰かを守れた。炎で守れた。

母様にほめられた。うれしかった。

ユリアに、また勝ちたい。だけど、もっと……となりに立ちたい。」


最後の一文を書きかけて、アリアはペンを止めた。


(となりに立ちたい……? 何の、となりに?)


胸が少し熱くなる。

頬がわずかに赤らむのを、月明かりがそっと照らす。


そのとき、扉がノックされた。

「アリア、まだ起きているの?」

「母様……」


ミカが入ってきた。夜の廊下の淡い光が背後から差し、髪がきらりと光る。

「顔が赤いわね。風邪じゃない?」

「ち、違うよっ……!」


アリアは慌てて日記帳を閉じたが、母は追及しない。

ただ隣に腰を下ろし、静かに娘の肩を抱いた。


「アリア。あなたの炎は、今日、ようやく人を照らしたわ」

「……うん」

「でも、人を照らす炎は、ときに自分の胸も温めるの。

だからその温かさを、大事にしなさい」


ミカの声は優しくて、心にすっと染みてくる。

その胸に顔をうずめたとき、アリアは初めて自分の中の“温かさ”が何かに気づきかけていた。


(……これが、私の……灯火……?)


夜が更け、アリアはベッドに横たわる。

瞼の裏には、昼間の光景がゆっくりと流れていく。


――燃える炎、舞う水しぶき。

――ぶつかる視線、互いに譲らぬ心。

――そして最後に、救った小さな命の温もり。


胸の奥に、静かで確かな熱が灯っている。

それは、戦うためだけの焔ではない。

誰かを守りたいと願う灯火であり、同時に、まだ名前もない“想い”をくすぶらせる小さな火だった。


「……私、もっと強くなる」

「母様みたいに……でも、私の炎で」


月明かりが窓から差し込み、白いカーテンの影が、まるで翼のように部屋を横切る。

その下で、アリアは小さく笑った。


(明日は、今日よりも……私らしく燃えられますように)

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