204話 『再演習と小さな救出劇』
数日後、学園の校庭には再び魔法障壁が張られていた。
前回の模擬戦でアリアが炎を暴走させたことを受け、教師陣は安全性の強化を決定し、特別再演習を組んだのだ。
「……ふぅ」
アリアは深呼吸し、両の手を胸の前で握る。
前回の失敗が頭をよぎるたび、指先が熱くなる気がした。
(今度は……絶対に暴走しない。炎は、私の心と同じだから……)
準備を終えた教師たちの号令が響く。
「それでは、特別再演習を開始する!」
校庭の魔導人形たちが動き始める。今回は、障害物が増え、複雑なルートを選ばなければならない。
さらに、教師の指示で模擬的に「負傷者役」の生徒を配置し、救助行動の評価も課題に追加された。
「アリア、無理しないで」
同級生のカイルが心配そうに声をかける。
「うん……でも、今回はやるよ」
アリアは小さく笑い、校庭へ踏み出した。
彼女は深呼吸を繰り返しながら、魔力を掌に集める。
ぱっと炎が灯るが、以前のように荒々しくはない。
小さな焔は、心臓の鼓動に合わせて静かに脈打っている。
(落ち着いて……炎は、友達みたいに……)
アリアは最初の人形をゆっくり狙い、低めの火球で撃破する。
ドゴン、と爆ぜる音とともに、観客席から小さな拍手が上がった。
以前の暴走が嘘のように、炎は穏やかで正確だった。
「アリア、すごい……!」
「今度は落ち着いてるな」
友人たちの声が、心の奥に暖かく届く。
彼女は魔力の流れを意識しながら、次々と障害物を突破していく。
演習が中盤に差し掛かったころ、突然、後方から悲鳴が聞こえた。
「きゃあっ!!」
振り向くと、負傷者役を演じていた低学年の少女が、障害物の陰で転んでいた。
予定外に倒れたのか、足首を押さえて泣きそうな顔をしている。
近くの生徒は対応に迷って足を止めた。
「誰か――助けてあげて!」
教師の声が飛ぶ。
瞬間、アリアの足が勝手に動いた。
炎を纏ったまま走る彼女を、周囲が息を呑んで見つめる。
(大丈夫……大丈夫。私は、守れる……!)
アリアは少女の前にしゃがみ込み、優しく手を差し伸べる。
「大丈夫、怖くないよ。私が守るから」
泣きそうだった少女が小さく頷く。
次の瞬間、横合いから魔導人形が迫った。
アリアは反射的に掌をかざす。
「――っ!」
炎が迸り、だが暴走せずに人形だけを包み込んだ。
しゅうう、と音を立てて人形が黒煙を上げて倒れる。
少女の目が丸くなった。
「すごい……」
「ほら、行こう。安全な場所まで運ぶよ」
アリアは少女を背負い、ゆっくりと安全圏まで運んだ。
その間も、炎は彼女の周囲で小さく灯り続け、まるで暖炉の火のように優しく揺れていた。
少女を安全地帯まで運んだ瞬間、アリアは胸いっぱいに息を吐いた。
小さな背中に感じた鼓動は、先ほどまでの自分のそれと重なるようで、震えていた。
「……怖かったね。でも、もう大丈夫」
少女は涙をぬぐいながら、小さく頷いた。
「お姉ちゃん、あったかい……」
その言葉に、アリアははっとする。
(あったかい……私の炎が、誰かを怖がらせるんじゃなくて、守るための……)
そのとき、校庭の向こうから鋭い声が飛んだ。
「アリア! まだ演習は続いているぞ!」
教師が指さす先には、残りの魔導人形が三体。
しかも、仲間たちは救助の混乱で足を止めており、形勢は不利だ。
「……行かなくちゃ」
アリアは再び立ち上がり、少女を仲間の手に託す。
「お願いします、ここからは大丈夫だから」
少女を受け取った低学年の生徒が元気よく答える。
「うん! ありがとう、お姉ちゃん!」
その声に背中を押されるように、アリアは駆け出した。
魔導人形たちが連携して進路を塞ぐ。
炎をただぶつけるだけでは突破できない――それを、前回の失敗で思い知っている。
(暴れる炎じゃなくて……導く炎にするんだ)
アリアは一度、魔力の流れを胸の奥で整える。
炎は彼女の周囲で小さく灯り、まるで意思を持つかのように揺れた。
「……お願い。みんなを守って」
次の瞬間、炎が扇状に広がり、人形の進行方向を塞ぐ。
驚いた魔導人形が一瞬足を止めた、その隙にアリアは側面に回り込む。
「いまだっ!」
背後からユリアの声が響いた。
水の魔力が流れ込み、炎とぶつかることなく霧のように広がる。
熱気と水蒸気の壁が立ち上がり、人形たちの視界を奪った。
「ナイス、ユリア!」
「……あんたが突っ走るのは読めてたわ」
二人は息を合わせ、最後の一体に狙いを定める。
アリアが炎で脚部を焼き、ユリアが水で頭部の魔力核を冷却する。
ガシャン、と音を立てて人形が倒れた。
演習場に、静かな余韻が訪れる。
「……終了!」
教師の声が響いた瞬間、校庭に拍手が広がった。
仲間たちが駆け寄る。
「アリア、すごかったよ!」
「前よりずっと落ち着いてたな」
「最後の動き、かっこよかった!」
アリアは肩で息をしながらも、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。
(……炎が、怖がられなかった。ちゃんと、役に立てたんだ)
少し離れたところで、教師が頷きながらメモを取っている。
「救助行動、演習課題ともに合格だ。特に、炎の制御が格段に向上している。よく頑張ったな、アリア」
「……はい!」
声が震えたのは、きっと疲れのせいだけじゃない。
胸に溢れる誇りと安堵が、涙に変わりそうだった。
放課後、夕陽に照らされた廊下を歩きながら、ユリアが横に並んだ。
「……今日のあんた、悪くなかったわ」
わざとぶっきらぼうに言うその声に、アリアは笑う。
「ふふっ……ありがと」
「でも、まだまだ勝負は終わってないからね」
「うん。次は、もっとちゃんと勝つよ」
炎と水。
対照的な二人は、気づけば並んで夕焼けを背に歩いていた。
(暴れるだけの火じゃない。人を守るための火……これが、私の炎)
アリアは夕空を見上げながら、小さく呟いた。
「……いつか、母様みたいになれるかな」
その焔は、かつての暴走とは違い、静かに灯りながら心の奥に宿り続けていた。




