表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
200/238

200話 静謐なる翼

戦術演習からの帰還は、思いのほか静かなものだった。


勝利も、名誉も、歓声もあった。 だが、それらはすべて演習地に置いてきたように感じられた。


それはアレイドにとって、ごく自然なことだった。


「……お帰りなさいませ、アレイド様」


執務棟の一角、戦術研究室の扉を開けると、研究補佐のエリナが軽く頭を下げる。彼女の手には整理された報告書の束。


「提出物はすでに整理済みです。報告はすべて中央戦術本部と各国代表団へ提出済み」


「ありがとう。君の迅速な対応に、いつも助けられてる」


アレイドは小さく笑い、書類を受け取る。その手元に、演習の詳細な行動記録が綴られていた。


ルシアの戦術判断と統率力。各部隊の連携、異常事態への即応。そして——それを支えた、名もなき支援者の演算補助と経路解析。


(名もなき、か)


自嘲のように口元が歪む。


だがすぐに、アレイドはその書類を静かに机に置いた。


彼の名は、最終報告に小さく記されていた。中央評議会が提示した、今後の推薦リスト。


“アレイド・エストレーラ:戦術補佐官候補”


それは“表舞台”への入り口を意味していた。


しかし、アレイドの足取りはいつもどおり静かで、彼自身の内心にも、昂るような感情はなかった。


けれど——確かな変化は、あった。


机に座り、魔導端末を起動しながら、アレイドはふと胸元を見下ろす。


そこには、小さなバッジが留められていた。


兄・ルシアが演習最終日、無言で手渡してくれたものだった。


王族の象徴たる金糸の双翼。


本来は将軍級の紋章だ。


「俺が前を行く。お前が背を守れ。それで、俺たちは“完全”だ」


ルシアの言葉は、短く、力強かった。


あの時、アレイドは初めて、兄と正面から視線を交わした。


血縁だけではない。思想でも、才能でも違う二人。


だが、同じ王族として、異なる道を選びながらも並び立つということ。


(僕には……彼のような光はない)


だが。


(その光が翳らぬよう、風になれる)


その日から、アレイドは自分の魔術演算に、ひとつの新しい呼称を添えるようになった。


“静謐なるセレーネ・ウィング


それは、彼自身を示す象徴だった。


喧騒から離れた研究室。 だが、そこから生まれる情報、判断、支援の数々は、戦場や政治の舞台へと広がっていく。


誰かの指揮の裏で、確実に未来を動かす力。


(影じゃない。もう、隠れてはいない)


アレイドは立ち上がり、窓の外を見つめた。


王都の空に、陽は沈みかけていた。


遠く、演習から帰還した部隊の行進音が聞こえる。


その先頭には、兄ルシア。


その後方には、彼らの母であり、魔王の秘書──ミカの姿もあった。


凛とした黒髪を風に揺らし、的確な視線で整列を見守るミカ。 そして、堂々と行進する兄の背中。


アレイドはそっと微笑む。


「たとえ表舞台に立たずとも、この翼は、彼らを未来へ運ぶ風になれる——そう信じている」


自らの役割に、もはや迷いはなかった。


王の血を継ぎながらも、王ではなく。 戦場に立ちながらも、指揮官ではない。


だがそれこそが、アレイド・エストレーラという存在の、本質だった。


“静謐なる翼”


それは、誰かの声を遠くまで届ける風。 光を陰りなく導く、空の流れ。


その名もなき力が、やがて世界を動かす力へと繋がることを、まだ彼自身は知らない。


──だが、それは確かに始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ