2話 魔王とのコミュニケーションの秘訣
「おい、これなんて読むんだ?」
魔王陛下――アルグレイド=ヴァルファングは、執務室の重厚な椅子にもたれながら、
分厚い文書を指でトントンと叩いた。
俺が近づいて覗き込むと、そこには古代語で書かれた予算案の覚書があった。
「『予備兵装支出削減案』です。
読み方はヨ・ビ・ヘ・イ・ソ・ウ・シ・シュ・ツ・サ・ク・ゲ・ン・ア・ン、ですね」
「長い。却下」
「読み方で判断しないでください」
魔王との会話は、常に綱渡りだ。
なにせ、彼は“世界を滅ぼす力”を持ちながら、“会話力”においては小学生以下のワガママさを誇る。
しかし、俺は知っている。
この魔王は、本気で国を良くしようとしているのだ。
アルグレイド陛下は、魔族として圧倒的な魔力と統率力を持つ存在だが、性格は“とても人間らしい”。
自由奔放、気分屋、少々甘えん坊。
部下には尊大な態度を取る一方、たまに“誰かに頼りたい”という顔を見せる。
最初のうちは、正直なところ腹も立った。
だが、彼の本質を知るにつれ、考えが変わっていった。
ある日のことだ。深夜、俺が書類整理をしていると、執務室の扉がノックもなく開いた。
「……まだ仕事してるのか?」
「魔王陛下。……お休みになったのでは?」
「なんか……眠れなくてな」
彼はいつになく気まずそうに目をそらしながら、静かに俺の机の前に座った。
「なあ、お前、前の世界でどんな仕事してたんだ?」
「ブラック企業で営業と庶務と資料作成と雑用全般です。
週7日勤務で残業月180時間。死因は過労死です」
「……そ、それは……すまん」
珍しく陛下がたじろぐのを見て、少しだけ意地悪な笑みがこぼれた。
「けど、こっちはこっちで……悪くないです」
「お前、本当に変わってるな」
その言葉に、俺は否定しなかった。
その日以来、魔王との距離は少しずつ縮まっていった。
あるときは、好きな食べ物について語り合った。
「塩キャベツ? 何それ、うまそうだな。作れ」
というので、厨房に頼んでそれっぽいものを出してもらったら、陛下はご機嫌になった。
またあるときは、ペーパーワークに煮詰まった陛下が
「全部燃やしたい」
と本気で言い出したので、俺は代わりに“燃やしても支障のない古文書(写本)”を一冊燃やさせてあげた。
「スッキリした」
なんて顔をして笑うから、俺も思わず笑った。
ここで俺が学んだのは、「魔王との距離感の取り方」だ。
上司と部下。主従関係。そんな関係性は当然大事だ。
けれど、魔王という存在は孤独だ。
何百年と生きている彼に、真にフラットに話せる存在は、きっとほとんどいない。
俺の役割は、秘書であり、相談役であり、ときにツッコミ担当である。
「魔王陛下、昨日“ダイエット始める”って言ってましたよね。
朝の3杯目のクリーム入りブラッドミルクはどう説明されますか?」
「……記憶にございません」
「ええ、“記憶にございません”が通るのは国会くらいです」
ときには叱り、笑わせ、軌道修正する。
秘書とは、単なる“雑務担当”ではない。
上司が“本来の力”を発揮できるようサポートする、縁の下の戦略職なのだ。
それに、魔王は思った以上に“気を遣う”タイプだ。
「……お前、俺のせいで働きすぎてないか?」
深夜、執務室を訪れるたび、彼はそう聞くようになった。
「俺は、お前の人生を奪ったんじゃないかって……たまに思うんだ」
その言葉に、俺は静かに首を横に振った。
「陛下。俺の前の人生は“壊れてた”。ここに来て、ちゃんと“必要とされてる”って思える。
だから俺は、この職場を変えていきたいんです。陛下と一緒に」
魔王陛下は、黙って頷いた。
その目には、どこか――優しさが滲んでいた。
以後、魔王とのやり取りはより円滑になり、俺の提案に彼が耳を傾ける頻度も増えていった。
スケジュール調整にも協力的になり、朝の会議も遅刻が減った(たまに寝坊はするが)。
そして俺は、ひとつの真理にたどり着いた。
――魔王との円滑なコミュニケーションに必要なのは、
「恐れ」でも「従順」でもない。
“理解”と“ツッコミ力”だ。




