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193話 花のような少女

薄曇りの午後。学術調査のため王都近郊の湿地帯へ向かっていたアレイドは、温室のような植物園と学級農園が並ぶ一角に足を止めた。そこに佇んでいたのは、白いワンピースに身を包む、儚げな少女だった。


少女(小声で):「……見ていてくれる人がいると、花も安心するんです」


曇り空の下、少女は柔らかな笑みを浮かべ、静かに語りかけた。彼女の声は穏やかで、けれど魂を震わせる力を秘めていた。


若き王族である彼には珍しく、その瞬間息が止まった。


アレイド:「君は……?」


少女:「私はアイリス。毎週、ここに花の調査に来てるんです。でも、体が弱くて、いつも見守ってくれる先生が来られなくて……」


彼女は背後の花壇を指して続けた。


アイリス:「ここには“希望の花”って名前の蘭があるんです。すごく強い香りがして、でもすぐに弱る。誰かに見守ってもらわなきゃ、枯れちゃうんです」


少女の視線は真っ直ぐで、花より深く、強く、アレイドの胸を揺らした。


アレイド:「そんなに大切なんだね」


アイリス(目を輝かせて):「あの香りがあると、“今日は生きててよかった”って胸が暖かくなるんです。……あなたの声が、私には薬になるんです」


その言葉が、アレイドの中で何かを解かしていった。研究や理論だけでは得られない“心の感覚”が、確かにそこにあった。


アレイド(心中):「“薬”――それは、機能じゃない。心そのものの救いだ」


少女の笑顔を見つめながら、彼は小さく、ほんの少しだけ口角を上げた。


アレイド:「……ありがとう、アイリス。君がそう言ってくれるなら……それだけで、僕はここにいていい気がするよ」


「ありがとう、アイリス。君がそう言ってくれるなら……それだけで、僕はここにいていい気がするよ」


その言葉を口にした直後、アレイドは自分の内側に、これまで感じたことのない“温度”を覚えていた。


それは、決して冷たい数式のような確信ではなかった。あたたかくて、不確かで、けれども胸の奥で静かに息づくもの。


アイリス(小さく笑って):「ねぇ……“王族の人”って、もっと遠い存在だと思ってた。難しい言葉とか、堅い声とか、偉そうにするのかなって。でも、あなたは違う。……やさしい、のね」


アレイドはふっと目を逸らした。やさしさ――それは、彼が最も自覚していない自分の一面だった。


アレイド:「……やさしさって、なんだろうね。僕はただ、君の言葉に救われた気がしただけで……」


アイリス:「それが、やさしさなんだと思うよ。だって、“救われた”って思えることが、やさしさの証だもの」


少女はそう言って、蘭のつぼみの前にしゃがみ込む。アレイドはその様子を見つめながら、静かに隣に腰を下ろした。


沈黙のなか、雲が切れて、淡い光が花壇を照らした。


アレイド:「アイリス……僕はずっと、“できること”ばかりを求められてきた。剣も、術も、論も、戦略も。与えられたものに答えるだけの存在だった。でも、君のような人と話していると、初めて“選びたい”って思う」


アイリス(少し首を傾げて):「選ぶって……なにを?」


アレイド:「誰かのために、自分の力を使うこと。その“誰か”を、自分の意志で選ぶってこと」


アイリスは頬に風を受けながら、目を伏せた。


アイリス:「じゃあ……私は、あなたに選んでもらえるような人になれるかな?」


その言葉に、アレイドはふいに動悸が早まった。誰かに“選ばれたい”と思われること。存在が必要とされること。それは、あまりにも未知で、けれど甘美な響きだった。


アレイド:「君は、もう選ばれてるよ。僕の中で、もう……誰よりも大きな存在になってる」


アイリスの頬が赤く染まる。風が二人の間を優しく通り過ぎた。


アイリス(ささやくように):「……ねえ、また来てくれる?」


アレイド:「うん。君が望むなら、何度でも」


それは約束ではなかった。ただ、自然に出た言葉。けれど、アイリスの顔に浮かんだ安心した笑顔を見て、アレイドはその重みを知った。


「君が望むなら」――それは、自分の力が“誰か”にとって意味を持つ瞬間だった。


彼は空を仰いだ。先ほどより少しだけ青が覗いている。


アレイド(心中):「僕は、もう“機能”じゃない。“選ばれる”だけじゃない。自分で、“誰かを選び”、自分の意志で使いたいと思える」


少女の隣で、静かに芽生えた想い。それはまだ名前もつかない感情だったが、確かに彼の中に根を張っていた。


やがて時間が訪れ、アレイドはそっと立ち上がる。


アレイド:「また来るよ、アイリス。僕が“自分の足”で選んで、ここへ来る」


アイリス(柔らかく):「うん。……待ってるね」


そのやり取りのあと、アレイドは振り返らずに歩き出した。けれど、彼の背中はもう、孤独な天才のそれではなかった。


心に宿った少女の声が、彼を支え、導く。


ほんの一瞬、歩みの途中で彼は呟いた。


アレイド:「……守りたいって、こんな気持ちなのか」


それはきっと、彼が“人間”として初めて自覚した、切実な願いだった。

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