183話 痛みの向こうに
夕餉の終わり、王都を一行が離れ、中立都市セフェリアを後にして着いた次の訪問地──それはかつて徴兵され、戦火に晒された小国「タリミア」の村だった。
古びた城壁、瓦礫と化した家々。
だが、その瓦礫の隙間から咲く野花が、淡く揺れている──希望が、そこに還ろうとしていた。
ルシアは一歩、一歩、石床に残る傷痕を踏みながら歩いた。
ここはまだ“会談の優雅さ”とは無縁の場所。
民の暮らしが、息づき、なおも痛みを抱えている──そんな現実が、目の前にある。
失われた声
村長の小屋で、濁った井戸水を一杯、ルシアに差し出した老婆が言った。
老婆:「これは……魔王国の王子様かい?」
ルシアは静かに頭を下げた。
ルシア:「はい、王子ルシアです。訪問に、心から感謝します」
彼女はゆっくり頷いた後、ゆらりと歩き出す。
老婆:「昔はな……この井戸の水で、子どもらの喉を潤しとったものじゃ。だが戦は、水も住まいも奪う。人もまた、多くを失った」
ルシアは聞きながら、じっと彼女の顔を見つめた。
まるで、失われた声がそこにあるかのように。
だが、村人の声は、私語と笑いではなく、ねじれた痛みと焦燥だった。
壊れた家屋と、家族の痛み
村の通り。瓦礫を取り除こうと汗を流す人々の顔は、くたびれていた。
だがその横で、小さな子どもが瓦礫に腰を下ろし、石を握りしめている。
ルシアはそっと近づいた。
ルシア:「大丈夫かい?」
子ども(小さな声で):「うん……でも、ぼくのおうちは……なくなっちゃったの」
ルシアは強く頷いた。
ルシア:「大丈夫、僕たちが……皆で、また作ろう」
子どもの目に、わずかな希望の色が揺れた。
痛みを知るということ
さらに進むと、壊れた小屋の前で、一人の女が膝を抱えて座っていた。
膝に寄り添うのは、幼い姉弟。
彼女の目には赤い涙が伝っている。
ルシアは声をかけた。
ルシア:「お姉さん……」
彼女は顔を上げ、小声で言った。
姉:「弟の顔が見えないの……瓦礫に埋まってて……助けてあげたいのに……助けられない……」
ルシアはよりそって、ゆっくりと肩に手を置いた。
ルシア:「今はまだ無理かもしれない……でも、必ず助けよう。人は……希望を諦めなければ、道は見つかるものだから」
姉が小さく頷いた。その視線が、わずかに見つめ返してきた。
痛みの奥にある“繋がり”
その夜、臨時の集会が開かれていた。
村人、そしてセフェリアと魔王国の援助団。
ここでは瓦礫の撤去計画や、水源復興支援が検討されていた。
ミカとアークが並び、進行役を務める。
ミカ:「ルシアも、この村の声を聴いてください」
ルシアは立ち上がった。
ルシア:「お姉さんや、子どもたちを見ていて思いました。痛みがあるからこそ、人は繋がりたがる。僕は……室の中で“合理性”を語るだけじゃ足りない」
彼の声には、先ほどの瓦礫の匂いと、蝶が土埃に舞った景色が含まれていた。
アーク:「王子よ……それでいい。その痛みに触れることこそが、“次世代の王族”の責任だ」
村長が声を上げた。
村長:「その言葉……胸に刺さった。私は、息子を戦火で失った。けれど、ここに立つことで、私はまた、未来を信じていけるような気がした」
村人たちの視線が、ルシアに集まってくる。
その瞳には、痛みがある。それでも、彼への期待と信頼が確かに込もっていた。
心の痛みを、知る責任
村を離れる夜。馬車に揺られながら、ルシアは窓に映る自分の顔を見ていた。
彼の表情には疲れがあり、同時に覚悟が宿っている。
ルシア(独白):「痛みを知ることは、責任を知ることだ。そして、それを背負うのは恐ろしいことだけれど、誰かがやらなければならない」
夜風が馬車を吹き抜け、ルシアの髪を揺らす。
王宮へ届く風は、もう以前のものではない。
再び帰還の馬車門が開かれる。
ミカとアークが待ち構え、遠く灯りが揺れる中でルシアは降り立つ。
彼の背中は、痛みを知った者の背中に変わっていた。
次の朝、その背中は、王族としてだけでなく、人として“風に立つ”覚悟を纏っていた。




