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180話 “継ぐ”とは、自ら歩くこと

初夏の薫る朝、王都広場にはいつになく多くの人々が集まっていた。若葉の瑞々しさが風に乗って頬を撫で、木々の影が広がる中、石畳に整然と並ぶ群衆の間には妙な静けさが漂っている。今日は、ルシア・エストレーラが自身の“歩む道”に対して、民の前で最初の言葉を告げる日だった。


遠くから聞こえる軍楽隊の鼓動が、会場内の緊張を少しだけほぐす。王旗は軽やかに揺れ、太陽を映して煌めいていた。子どもたちは両親の肩車で笑顔を見せ、大人たちも胸に期待と祈りを抱えている。胸を張り、公衆の期待を背負ってルシアはゆっくりと壇上へと歩み寄った。


壇の左右には、父アーク=ヴァルツと母ミカ(元秘書・現王妃)が並び、白い秘書服のミカは包み込む視線を落とし、アークは静かな誇らしげな微笑を浮かべている。ルシアは濃紺の王子装束の胸を張り、深呼吸をし、会場を見渡した。


ルシア

「おはようございます。今日は、皆様の前で、私がこれから歩む“私の約束”を宣言する日です――」


声は固かったが、確かな響きを持って広場全体に届いた。周囲の人々は一瞬息を飲む。


ルシア

「私は、父上の背中をそのまま継ぐのではなく、自らの歩幅で歩む道を選びました。父上が築いた強さの遺産は、私の根底にあります。ですが、私は──」


ルシアは言葉を切り、背筋を伸ばす。


ルシア

「──“最強”ではないかもしれません。でも、私は“選ぶ者”として歩きます。皆様の声を拾い、未来を見据えて、一歩一歩、この国の“道”を紡ぎます」


群衆の中から拍手が湧き起こる。驚きと共感が混ざる音は、だんだん高まっていった。子どもたちが歓声を上げ、商人たちも目を潤ませて頷き、兵士たちまでもが帽子を掲げる──。


ミカはそっと微笑み、アークの肩に手を置いた。アークも目を細め、「ありがとう」とだけ、ルシアに感謝と誇りを込めた。


ルシアは胸に手を当て、もう一度深く腰を折る。


ルシア

「私はこれからも、選び続けます。そして――もし迷ったときは、この皆様の帰る場所に、いつでも立ち戻ります。どうか、私の歩みを見守ってください」


再び大きな拍手と囁きが重なり、広場には温かい光が満ちた。旗がなびき、木々が呼吸し、王都そのものが希望に包まれているようだった。


そこでルシアは、家族の顔を交互に見つめた。ミカの頷き、アークの幸せそうな微笑に胸が熱くなる。


ルシア(心の中で)

〈これが、“継ぐ”という名の選択。そして、“自ら歩く”という誓いなのだ〉


その思いを胸に、ルシアは壇を降りた。歩幅はまだ小さいかもしれない。それでも、その一歩には確かな覚悟があった。そしてそれは、まぎれもなく、自ら選んだ“未来への歩み”だった──。


静まった空気の中、壇を降りたルシアの足取りはまっすぐだった。

目の前に並ぶ玉座の列席者席──魔王アークと王妃ミカは彼の歩みに視線を向け続けている。人々の歓声は次第に沈み、ただ、風が王都を通り抜ける音だけが残っていた。


王都中央の演壇。その前にもう一度立ったルシアは、袖を払うように軽く呼吸を整え、マントの裾を揺らしながら、今度は静かに口を開いた。


ルシア

「……私は“最強”ではありません。剣も、魔力も、父上には到底及ばない。ですが――それでも、選びたいんです。誰かに“なれ”と言われるのではなく、私は“選ぶ者”として、この場所に立ちたい」


その声は震えもなければ、威圧もなかった。ただ、真っすぐで、静かだった。


ルシア

「誰かを守る力は、力の強さだけでは決まりません。誰かの悲しみに気づくこと。声を聞くこと。苦しみを見捨てないこと。その小さな選択の積み重ねが、この国をつくっていくのだと、私は信じています」


群衆の中から、「……そうだ」と小さく頷く声が聞こえた。


ルシア

「父が“最強”の魔王としてこの国を守ったように。母が“知”と“誠意”でこの国を支え続けてくれたように。私は、彼らとは違う形で、国と民を支える者でありたい」


ひと呼吸置く。そして、少しだけ笑った。


ルシア

「私は、“次の魔王”かもしれません。ですが、誰よりもこの国を好きでいたい。誰よりも、他者を思える自分でありたい。それが、私が“選んだ道”です」


ざわめきが再び広がる。誰もが心の中に何かを得ていた。


壇上の両親は静かに見守っていたが、その表情には涙に似た潤みがあった。アークは目を伏せ、ミカは手を口元に当て、息を押し殺していた。


ルシア

「私がこの場に立てるのは、皆さま一人ひとりの命があるからです。どうか、この国を、私と一緒に歩いてください。私ひとりの力ではなく、“共に選び”“共に生きる”この国を――」


強くはない。けれども、その言葉には一切の迷いがなかった。


ふいに、拍手がひとつ、またひとつ、広がっていく。

それは嵐のような熱狂ではなく、しっかりと重みのある尊敬だった。

兵士たちが剣の柄に手を置き、子どもたちが笑いながら手を振り、老人たちは肩を震わせて涙をぬぐった。


壇を下りたルシアに、アークが歩み寄る。


アーク

「……ああ、見事だった。ルシア、私は今日、この国が君のものになることに、初めて“安心”した」


ミカ

「あなたの言葉は、“継承”ではなく“創造”だった。――ありがとう、ルシア」


言葉に詰まった彼は、両親の言葉を静かに受け止め、頭を下げる。


ルシア

「……父上、母上。私、やっと一歩を踏み出せました」


アーク

「いや。お前は、もう自分の道を歩いている。私がどんな道を選ぼうと、お前が選んだその道は、誰にも真似できない」


その言葉に、ルシアは初めて少しだけ涙を浮かべた。


その背後で、民たちの拍手と歓声が再び高まる。

“継ぐ者”ではなく、“選ぶ者”として――王子ルシア・エストレーラの第一歩は、今、確かに踏みしめられたのだった。


式典の終わりを告げる鐘が、王都の空に響いた。


広場を離れ、控えの間へと戻ってきたルシアの顔には疲労と、わずかな緊張が滲んでいた。

だが、扉を開けた先にいた両親の姿を見た瞬間、その表情が崩れる。


ミカは真っ先に駆け寄り、言葉もなくその身体を抱きしめた。


ミカ

「……ルシア、ありがとう。立派だったわ」


その声はいつもの落ち着いた王妃のものではなかった。母としての声。

震えるような手が、彼の背を優しく撫でる。


ルシアは驚きながらも、小さく笑った。


ルシア

「僕、あんな風に話して……よかったのでしょうか」


ミカ

「ええ。とても、良かった。あなたの言葉は、“理想”じゃなく、“真実”だったもの」


それから一歩後ろに下がり、微笑を浮かべて彼を見つめた。


ミカ

「ずっと心配していたの。あなたが“アークに似ていないこと”を、気にしているんじゃないかって」


ルシア

「……それは、ありました。父上みたいに“強さ”を見せられたら、誰もが安心してくれるのにって、ずっと……」


その言葉に応えるように、後ろで静かに扉が閉まり、重い足音が一歩ずつ近づいてくる。

魔王アーク――父が、黙って彼の前に立った。


彼は一言、こう言った。


アーク

「強くなくても、導ける。それを私は、今日、君に教えてもらった」


ルシアは驚き、顔を上げる。


アーク

「私は確かに“魔王”として、力で民を守ってきた。だが……君の言葉には、“力”にはない“重さ”があった。君の在り方が、時代を進めるのかもしれない」


静かな声だった。それが、逆に胸に響いた。


ルシア

「父上……僕は、父のようにはなれません。でも……」


アーク

「なる必要はない」


言葉をさえぎるように、アークはそう告げた。


アーク

「君は、“君の道”を歩めばいい。私は、魔王であり父だった。だが君は、民と共に歩く“未来の王”だ」


そう言って、彼は初めて、息子の肩に手を置いた。

その手は、戦いで鍛えられ、剣を振るった者の手だった。

けれど今は、ただの父の手だった。


アーク

「……私を超えろ、ルシア。お前なら、きっとできる。私が届かなかったものに、手を伸ばせる」


ルシアの胸に、何かが溢れた。声にならない思いが、涙になって頬を伝った。


ルシア

「……はい。僕、必ず……自分の王道を、見つけます」


ミカが静かに微笑みながら頷き、アークがその肩を軽く叩いた。


その瞬間、ルシアはようやく気づいたのだ――

この場所こそが、自分の“出発点”であると。


ただ魔王の息子としてではなく。

ただ民の王子としてでもなく。

父と母に見守られる、一人の若者として――彼は、未来への第一歩を踏み出したのだった。


――城都の鐘が、静かに午前九つを告げた。


王城の広場から少し離れた、訓練場の隅にある小さな石舞台。その中央に、一人の少年が立っていた。ルシア・エストレーラ――魔王アークと王妃ミカの長男であり、次代を担うとされる“王子”だった。


その足元には、父と母が並ぶことなく立っている。彼らはただ、少し離れた日陰からその背中を見守っていた。今日は「王太子」としての正式な就任式ではない。だが、この日はルシアが“自ら選んで”立つことを宣言する、未来への第一歩だった。


王族の血を継ぐ者が、自らの意志で“歩む”ことを示す――その瞬間が、今ここにある。


石舞台の上、ルシアの髪が初夏の風にそよいだ。彼は深く息を吸い、そして父の剣を模した杖を手に、まっすぐ前を向いた。


「……私、ルシア・エストレーラは、本日をもって“選ばれる者”ではなく、“選ぶ者”として――この国と、そして民に、誓いを立てます」


静寂が場を包んだ。鳥のさえずりすら遠く聞こえるほど、誰もが彼の声に耳を傾けていた。


「私は、父ほどの強さを持ちません。母ほどの聡明さもありません。ですが、私は、私に与えられたこの血を、ただの誇りとして掲げるのではなく――責任として、生きていきたいのです」


その言葉に、アークの表情がわずかに揺れた。ミカもまた、胸元にそっと手を置き、瞳を細める。


「私は……“王”になりたいのではありません。ただ、“この国を背負う”ということの意味を知りたいのです」


彼の声が震えた。


「この国には、父が築いた秩序がある。母が支えた日々がある。そして、弟が信じ、妹が夢見る未来があります。私はそのどれ一つも、無視したくない。否定したくない。私は――この国のすべてを、知りたい。触れたい。苦しみも、喜びも、その全部を」


一呼吸。


「だから、私は今日ここに立ちます。『選ばれたから』ではない。『継ぐから』でもない。『私が、そうしたいから』です」


群衆の間から、小さな拍手が生まれた。静かで、ためらいがちなその拍手は、徐々に広がり、やがて広場全体を包みこんでいく。


その中、アークが静かに口を開いた。


「……立派だったな、ルシア」


彼の声は、しかし広場には届かない。隣に立つミカだけに聞かせた、小さな囁きだった。


「ええ……でも、それでもきっと彼は、まだ迷うでしょう。これから先も、何度も」


「そうだな。でも、“歩く覚悟”を持った者の足は、迷っても、止まらない」


ミカはそっと頷く。


「私たちも……そうでしたものね」


アークは微かに微笑むと、静かにルシアの方へと歩み寄った。そして舞台の下で、彼を見上げる。


「……ルシア」


その声に、ルシアの瞳が揺れる。


「父上……」


「君は、“王”にならなくていい。“君”のまま、この国を見てくれ。誰よりも真っ直ぐに、誰よりも正しく。そして、誰よりも優しく」


ルシアはしばし唇を噛み、そして涙をこらえながら、深く頭を下げた。


「……はい。誓います。私は、父上と母上に見せていただいた背中を、今度は……私自身の足で、越えていきます」


アークは、彼のその言葉に――はじめて王としてではなく、“父”として――力強く、微笑んだ。


「それでこそ、我が子だ」


舞台の上で、ルシアは振り返る。広場に集う人々の顔を、ゆっくりと一人ずつ、見るように。そして、もう一度、胸に手を当てる。


「これから、至らぬことも多くあるでしょう。時には、父に叱られ、母に支えられ、弟妹に笑われるかもしれない。でも、それでも私は、自分を裏切らないと、今日ここに誓います」


どこからともなく吹き抜けた風が、ルシアのマントをはためかせる。遠く、王都の塔が陽光を反射してきらめき、その光が彼の姿を一瞬照らした。


王族の子としてではなく――この国を歩む一人の人間として。


その一歩が、ようやく始まった。


東の空が、かすかに橙に染まりはじめたころ。

城都の一日は、まだ静寂の中にあった。


王城の最上階、窓の多い居室にて。

ルシアは、まだ硬さの残る新しい制服を纏い、ひとつ深い呼吸をした。

昨日の演説の余韻はすでに過去。新たな朝が、彼の肩に“責任”という重さを乗せていた。


だが彼は、それを拒むことなく、受け止めようとしていた。


扉の向こうから、軽い足音が近づいてくる。


「……おはよう、ルシア兄さま」


開け放たれた扉の隙間から、最も小さな家族――アリアが、少しだけ背伸びをしながら顔を覗かせていた。


「アリア、おはよう。もう起きたのかい?」


ルシアが微笑むと、彼女はぷいっと横を向く。


「だって、兄さまが“新しい一日を始める”って言ってたから……先に起きてないと、損した気がして」


「ふふ、ありがとう。……アリアは、こういうときだけ本当にしっかりしてるな」


「ひどい! いつもちゃんとしてるもん」


拗ねるアリアの髪を優しく撫でながら、ルシアはふと窓の外へ目をやった。王都の屋根が、朝の陽に照らされ、遠くに霞む山並みが白く光っている。


「……兄さま、今日は何をするの?」


「父上と一緒に執政会議に出る予定だよ。午後は、母上の付き添いで学問院へ挨拶も」


「なんだか忙しそう」


「うん。でも、自分で望んだことだからね。今は……ちょっと緊張してるけど、それでも心地いいよ」


アリアはしばらく黙っていたが、ふと真面目な顔で口を開いた。


「ねえ、兄さま。……王族って、そんなに難しいの?」


ルシアは少しだけ考え込むように目を伏せ、そしてゆっくり答えた。


「難しいかもしれない。でも……“誰かのために歩く”ってことは、どんな立場でもきっと同じなんだと思う」


「誰かのために……」


「父上も、母上も、アレイドも、君も。誰かを想って動いてる。だったら僕も、その中の一人でありたい。そう思っただけだよ」


「……じゃあ、アリアも誰かのために、動けるようになるかな」


「もう動いてるさ。君は、僕たち家族に、たくさん笑顔をくれてる。昨日の夜、母上が言ってたんだよ。“アリアの存在は、家族の太陽だ”って」


「……う、嬉しいけど、照れる……」


アリアがそっとスカートの裾を握りしめた瞬間、背後から重く、それでいて安心感のある声が響いた。


「ほう、朝から兄妹で語らっているとは、微笑ましいな」


扉の向こうに現れたのは、魔王アークその人だった。王の威厳と父としての穏やかさを併せ持つ彼は、いつもの黒装束ではなく、今日はルシアと同じ王族式の礼装に身を包んでいた。


「父上……!」


「おはよう、ルシア。新たな一日を迎えるに相応しい顔だ」


アークはそう言って、ルシアの肩に手を置いた。


「昨日の君の言葉……あれは、私の想像を遥かに超えていた。“継がせるべきか”と何度も悩んだが、今はもう、迷いはない」


「……僕も、ずっと迷っていました。でも……父上と母上がくれた背中を見て、ようやく決心できました」


「その背中を越えよ、ルシア。――王とは、ただの玉座ではない。“導く者”であれ。“見守る者”であれ。“歩く者”であれ。君には、それができる」


ルシアは深く頭を下げた。


「ありがとうございます、父上……。僕は、必ず、誓いを果たしてみせます」


その言葉に、アークはうなずき、そっとアリアの頭にも手を置いた。


「そしてアリア。君の笑顔は、国にとっての光だ。そのまま、皆を照らしてくれ」


「うん……! アリア、もっともっと明るくなる!」


そこに、淡く香る花の香りとともに、王妃ミカが姿を現した。


「ふふ……素敵な朝のはじまりね。おはよう、みんな」


「母上!」


「ミカ!」


ミカはゆるやかに微笑み、ルシアとアリアに視線をやった。


「新たな一日は、誰にとっても“選ぶこと”から始まるの。顔を洗うか、笑うか、前を向くか。全部、自分で選んでいくのよ」


「……はい」


「今日のあなたは、昨日より少しだけ勇気があっていい。明日のあなたは、今日より少しだけ優しくなっていればいい。――そうやって、“歩く”のよ、ルシア」


ルシアは目を閉じ、静かに胸に手を当てた。


「……今日も、歩いてみせます。僕自身の、未来へ」


そして、家族4人――いや、王国の“未来”を背負う者たちは、それぞれの役割へと向かうために歩き出した。


新たな朝が始まる。

誰かの背を追っていた少年は、今日、自らの背を見せる者となる。


それは、かつて魔王が歩き出した道。

かつて秘書が名を与えられた場所。


いま、その二人の子が――光と影を受け継ぎ、ひとつの未来を、選びはじめていた。

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