16話 ブラック企業からの脱却
魔王城本庁・会議室。朝9時。
――「労働環境改善検討委員会」初回会合が開かれていた。
議題はひとつ。
《魔王軍のブラック労働体質からの脱却》である。
会議室には、魔王直属の参謀部、人事管理部、補給部、建築局などの実務責任者が並ぶ。
皆がピリついた表情で、主人公・一条悠真の言葉を待っていた。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。
この場では“怒られずに済ませる会議”ではなく、“変えるための会議”をしましょう」
冒頭、悠真はそう切り出した。
まず彼が提示したのは、魔王軍内の勤務実態レポート。
・月の残業時間:平均96時間
・休日出勤率:52%
・有給取得率:3%未満
・ストレス性疾患の報告件数:年間372件
――言葉を失う重さだった。
「これは、魔王軍全体が“過労死予備軍”と言っても過言ではありません」
悠真の目が鋭く光る。
「かつて、私もこのような職場で命を落としました。……それを繰り返させたくない」
重たい沈黙が落ちる。
その空気を破ったのは、補給部長のオーグだった。
筋骨隆々のオーク族だが、根は優しい。
「だがよ、現場が人手不足でなァ……戦争続きの時代から、改善なんて夢みてぇなもんだった」
「それは分かっています。ですが今の魔王軍は、戦時から平時へ――“守る軍”へと移行しているはずです」
悠真は、“戦時型組織”から“民政兼任型組織”へという概念図を提示した。
軍事一辺倒の体制から、医療・教育・建築・商業管理などを持つ“官僚制型”に進化させる。
そのためには、持続可能な人材環境の整備が必須なのだ。
会議の後半、悠真は現代日本から持ち込んだ“改善案”を次々と提示する。
* 業務フローの明確化と分業化:
→1人が5つの役職を兼ねる現状を見直し、専門性で割り振る
* 定時退庁制(試験導入):
→一定部署において18時完全退庁ルールを設定
* 休息インセンティブ制度:
→休暇を取得した者に、魔王より“回復薬”もしくは“金貨報酬”を支給
* 匿名ストレス相談箱の設置:
→“悩みを言える場所”の構築
「この制度群は、戦いでなく“働き方”で勝つための改革です。
魔王軍が目指すのは、恐れられる組織ではなく、“尊敬される組織”です」
そう語る悠真の姿に、最初は懐疑的だった幹部たちも徐々に目を見張り始めていた。
数日後――。
魔王アーク=ヴァルツの執務室。
悠真は一連の改革案とその実施スケジュールを提出していた。
「ほう、ストレスという名の“精神毒”を、働き方で解除するか……。お前、魔術師か?」
魔王が興味深げに書類をめくる。
「いえ、前の世界の“会社員”です。ですが――命を削って働くことを、働くとは呼びません」
アーク=ヴァルツは一瞬、真顔になり、静かにうなずいた。
「我もかつて……数多の兵を過労で失った。“斃れし忠義”の名の下に見逃してきた。……それを変えるのが貴様の役か」
「はい、すべての者が笑って出勤し、無事に家へ帰る日を作ります。必ず」
改革の第一歩は小さな火種かもしれない。
だがその火は、確かに今――魔王城という巨大な組織に、確実に灯された。
それは、“命を大切にする魔王軍”という新たな理想への道のりだった。




