159話 父として、向き合う日々
夜明け前、王宮の庭に蒼い光が満ちる。水盤に反射する月影がゆらめき、そこに影を落とす三人の子どもの姿があった。ルシアは静かに剣を振り、アレイドは砂地に符号を描き、アリアは鳥を追いかけて笑う。
忍び足で近づいたアークは、木陰から子どもたちを見守る。父として、そして魔王として――その目に浮かぶものは、誇りでもあり、重責でもあった。
数分後、アークは三人に呼びかける。
「おい、朝はやいな。これは修練か?」
ルシアは振り返り、端正に答える。
「はい、父上。型を崩さない剣捌きが新鮮だったもので。」
「安定してきたな。」
アレイドは黙って頭を下げる。砂地に描いた模様は、夕べ父が語った「地流の理」に基づくものだった。
アリアは飛び跳ねるような口調で告げる。
「父上、わたし、今度は砂場に水撒きたい!」
アークは思わず笑った。
「よかろう。だがその前に、もう少し静かにな?」
アリアは小首をかしげ、笑顔を浮かべる。
修練後、三人はアークに連れられて父子の朝食を取るため食堂へ向かう。庭の清浄な空気を胸に吸い込んだあと、アークは小さく息をついた。
「……お前たち、夜と朝だけでも存在しあえて、幸せか?」
ルシアが静かに頷く。
「父上。僕らはここで、あなたの背中を見て育ちます。だから、幸せです」
アレイドも少し遅れて言い添える。
「僕は……まだ静かに学びたい。でも、あなたとここにいられることだけでいいです」
アリアは元気に笑って答える。
「わたしは……どんどんあなたみたいになりたい! お父さんと同じ背中になりたいの!」
アークは三人を見渡し、胸の奥で何かがひりりと痛んだ。
朝食の席で、ミカが入ってきて子どもたちの皿に温かいスープを注ぐ。家族の穏やかな一幕。しかしアークは心の奥で葛藤を抱えていた。
「――私は“魔王”であり続けねばならぬ。そして、“父”でもある。その在り方にズレはないと思っていたが……、“期待”が子どもたちを圧してはいないだろうか」
ミカはアークの隣に腰を下ろし、小声で囁く。
「あなたが気にするほど、彼らは弱くありません。むしろ、あなたの背中を“守る形”で受け止めています」
アークは静かに頷いた。
「……それでも、私は剣を振るとき、“父”を忘れるのではないかと、自分に問うてしまうんだ」
ミカはアークの手をそっと握り返し、優しく言う。
「剣の先にあるのは“命”です。剣を握るとき、あなたは“魔王”ではなく、“父”になる。――その背中が、彼らの理想なのです」
アークは深い息を吐いた。
数日後、王宮の訓練場でルシアが障害物訓練に取り組んでいた。アークは側で見守り、時折指導もする。
と、その時、小さな声が聞こえた。
「父上、ここをこうすれば、もっと速く――」
ルシアは指摘しながら身をかがめ、次の一歩を踏み出す。見守っていたアレイドも手伝いに来て、協力して調整を続ける。
「良い連携だな」
アークは呟いた。
「彼らだけでも、十分に強い」
夜、子どもたちを寝かしつけた後、アークとミカは庭に出ていた。湿った夜風が吹き、落ち葉が舞う。
ミカが言う。
「それに……私も気づいてしまったんです。あなたが“父として”の言葉をどれほど探しているかを」
アークは黙ってうなずいた。
「言葉だけでは伝わらない。では、どうすれば“伝わるのか”を、まだ私は掴めずにいる」
ミカはアークの腕をそっと抱きしめる。
「背中で伝えたらいいと思います。あなたは背中で、子らに“愛”を語っています。それが一番正しいんです」
アークはその言葉を胸に、庭に目をやった。そこには、三人の子らが月光に照らされて静かに眠っている。
「……父としてだけでなく、魔王としても、私は背中を見せ続けよう。それが、覚悟を示すということだから」
ミカはそっと微笑む。
「ええ。私も、あなたの背中を見ていたい」
書斎に戻ったアークは大切な書類を前に、ふと立ち止まる。そして、子どもたち一人ひとりの顔を思い浮かべ、自らに呟いた。
「ルシア、アレイド、アリア――お前たちの未来のためなら、私は喜んで“父”になる。そして、“魔王”でい続ける」
その言葉は、静かで力強い“誓い”だった。
そして、月光はまた新たな夜を迎える。




