157話 覇王の血を継ぐということ
朝の霧が城壁跡を覆う頃、アークは視察服の裾を整えながら、軍門の前に立っていた。砂ぼこりを跳ね返すその装いは、まさしく「覇王」にふさわしかった。彼の背後には、静かに並ぶ幼い3つの影――ルシア、アレイド、アリア――が見守っている。
「父上、今日は何を見るのですか?」
ルシアの質問に、アークは彼の手をそっと包んだ。
「今日はな、砂漠地帯に新たなオアシスを築く作業を確認しに来たのだ。お前たちにも、いつか手伝ってもらうかもしれんぞ」
「はい。僕らが、次の世代の民のために働くのですね!」
ルシアの瞳がキラリと光る。そこには、ただ子どもらしい好奇心だけでなく、どこか「覇王の血」を自覚する者の鋭さがあった。
アレイドは肩越しに微笑を返すが、すぐに目をそらして視察地の遠方へ視線を移した。彼にとって、砂漠や緑の対比は、ただの自然の景色ではなかった。すべての要素が整うことで成り立つ国の姿が、静かに心に刻まれていた。
アリアは小走りに父の隣へ近づき、はしゃぐ。
「父上!オアシスって砂漠に水があるんですよね? すごーい!」
アークは思わず笑い、アリアの頭をなぞる。
「そうだ。砂漠は乾いていても、生きた水は人を支える。そして、お前たちもまた、生きる希望そのものだ」
視察中、配下の技師や農耕師が説明を始める。
「魔王様、この地の地下水脈を解析し――」
「砂層に応じた配水網を調整し――」
アークは頷きながら、時折子どもたちにも簡単な説明をする。
「これは地下の水流図だ。きれいな水を汲むには、水脈を傷つけてはいけない。皆が飲める“共有の泉”を維持するには、力で壊すのではなく、守る設計が必要なんだ」
ルシアは真剣な面持ちでメモを取り、アレイドは地脈の流れに注目し、アリアは好奇心を爆発させた。
その日の夕刻、家族で囲む簡素な食卓。
「……父上、僕だけではなく、弟も妹も含めた“導き方”って、どうすればいいのですか?」
ルシアが口にする。
アークは箸をとめ、小さく息をついた。
「強さだけでは導けぬ。優しさだけでも人はついてこぬ。両方を兼ね備えた“熱”——それを持つ者が、真の指導者だ」
アレイドが微かに顔を上げる。
「僕の“得意”は、導くではなく、調えることかもしれません。砂脈のように、均衡を保つのが……」
アリアが眉をひそめる。
「それだって“力”になるのですか?」
「もちろん。砂脈を安定させてこそ、水は滞らない。――その役目も十分に強い」
アークは食卓を囲む家族の顔を一つひとつ見つめた。
夜、王宮の書斎。アークは「覇王の血」を胸に抱く長男ルシアを呼び寄せた。
「今夜は話がある」
ルシアは静かに頷き、アークの隣に腰を下ろす。
「お前は、よい子だ。いつも民を気づかい、皆の幸せを思っている。だが……王となるということは、“我を通す”瞬間も、避けられぬんだ」
ルシアは視線を下げた。
「父上……はい。でも、その“我”を使わねばならない“時”って……いつ来るのでしょう?」
アークは背もたれにもたれ、目を細める。
「戦争か、飢饉か……あるいは“民が民を忘れる時”か。どこかに弱さがあると、外敵だけでなく内部からも崩れる。そんな時こそ、王の“血”が持つ威を示さねばならぬ」
ルシアは拳を握りしめた。
「僕……耐えられるか、自信がありません」
アークは優しく手を差し出す。
「耐える必要はない。一人で抱える必要もない。民を見れば——お前の背にこそ“力”は宿る。だから、まずは“民を知る心”を持て」
ルシアは、アークの目を見返して小さく頷いた。
その後、眠れない大人二人は窓辺に立って月を見上げた。
ミカの声が、夜の静寂に溶け込む。
「あなたは“血”を重く思う人でしたよね」
アークは黙ってミカを抱き寄せた。
「だが、恐れを背負わなかった。誰かを守ると決めたからだ」
ミカの瞳が光った。
「こぼれ落ちそうな優しさを、どうか彼にも伝えてあげてください」
アークは深く頷く。
「教える。覇王の血とは、“守る責務”でもあると」
その言葉に、ミカはそっと頷いた。
朝の霧が再び降りる頃、アークは城壁で軍とともに視察を行っていた。視線の先には幼い影が走る。
ルシア、アレイド、アリア――三人が並んで魔王の背を見つめている。
振り返ったアークは、そっと微笑むと手を振った。
そしてまた歩き出す。覇王として、父としての歩みを重ねながら。




