154話 第二子誕生 ―静かな万能
ミカが再び身ごもったと告げたのは、初夏の午後、涼やかな風が魔王城の庭を吹き抜ける日だった。
第一子ルシアの誕生から2年。彼は穏やかに育ち、笑顔を絶やさずに兄としての風格を少しずつ見せ始めていた。
だが、その喜びに続くかのような、もうひとつの命の兆し――それは、また異なる色を宿していた。
「……アーク、聞いていただけますか」
執務を終えたミカは、庭へと出ていた魔王の背に声をかける。振り返ったアークは、その表情を一瞬で柔らかなものに変える。
「君の声なら、いつでも喜んで」
微笑みながらも、ミカの様子に気づいたのだろう。彼はすぐに歩み寄り、そっとその手を取った。
「また……?」
問いかけは慎ましく、だが希望を湛えていた。ミカは小さく頷く。
「ええ、確かです。……もう一人、私たちのところへ来てくれたのです」
アークの瞳が揺れ、次の瞬間、彼はミカをそっと抱き寄せた。
「ありがとう……ミカ。本当に、ありがとう」
この子は不思議な存在だった。
胎動が早く、感情の動きに敏感で、ミカの心が少しでも波立てば、腹の中から意思を伝えるかのように反応した。
「ルシアの時より……静かで、でも……すごく“わかってる”感じがするのです」
ミカが笑って語ると、侍女たちもその穏やかな様子に微笑を返した。
しかしアークは内心で、何か“ただならぬ気配”を感じていた。
この子は、生まれながらにして“理解している”。
言葉や理屈を超えて、空気や場の流れを受け止めている。
それは生まれる前から明確に、“王の感覚”に訴えていた。
出産の日、ミカは静かだった。痛みに呻きながらも、決して叫ぶことはなかった。
「この子はね、ちゃんと見ているの。私の姿を……心を」
痛みに耐える合間に、ミカはアークの手を握りしめて言った。
「だから私も、ちゃんとこの子に応えたいの。強く、静かに、包むように」
アークは深く頷いた。
「君は十分に強い。そしてこの子は……その強さを、すでに受け継いでいる」
やがて、その瞬間が訪れた。
真夜中、霧雨が静かに降るころ。
部屋に響く、短く、くぐもった産声。
静かで、澄んでいて、まるで“呼吸”のような声だった。
そして彼は、初めて目を開いた――深い翡翠色の瞳が、すでに“見るべきもの”を見ているようだった。
「……この子は、すごい子になる」
助産士がぽつりと漏らしたその言葉に、誰もが頷いた。
「アーク、名前を……」
ミカが微笑んで子を抱いたまま差し出すと、アークは静かに頷く。
「――アレイド。静かなる知恵と、明日を見通す者。そういう意味を持つ古い名だ」
ミカはその名を口にし、赤子の頬をそっと撫でた。
「アレイド……素敵。まるで、風の中の光のよう」
アレイドは黙って微笑むように、ミカの指を握った。
その指は、信じられないほどにしっかりとしていた。
成長するにつれ、アレイドの“静かさ”は際立っていった。
泣かず、騒がず、常に周囲を観察して、必要があれば最小限の言葉で指示すら出す。
侍女たちが困っている時はそっと手を差し伸べ、兄のルシアが無茶をすれば無言で手を引いて止める。
まだ3歳に満たないにもかかわらず、言葉の選び方も大人びていた。
「お兄ちゃん、それでは危ないよ。ママが困ってしまう」
ルシアはすぐに苦笑して頭を掻いた。
「やれやれ、弟にたしなめられるなんて……でも、ありがとな、アレイド」
魔王アークは、ある日ミカとふたりで静かに語り合っていた。
「ルシアは“慈しむ力”を受け継いだ。そしてこの子は――」
「すべてのバランスを受け継いだ子……ですね」
ミカが目を細めた。
「大きな争いも、極端な力も好まない。でも、そのすべてを理解して、受け止められる子。そんな気がします」
アークは深く頷いた。
「この子は……いつかきっと、誰よりも冷静に“決断”を下すだろう。そこに、どれほどの想いが渦巻いていても、静かに」
ミカはアレイドを抱きながら、ゆっくりと語る。
「きっと、その時は――この子の横には、きっと兄も妹もいてくれますね」
「それは約束しよう。私たちの子は、ひとりではない」
アレイド・エストレーラ。
その名はやがて、国家の安定を支える“静かな賢王”として知られるようになるが、
この日――
彼はまだ、ミカの腕の中で穏やかに眠っていた。
けれど、まるで彼だけが知っているような夢を見ていた。
それは、まだ誰にも語られない未来の形。
──静かなる万能の器。
第二子、アレイド、誕生。




