153話 第一子誕生 ―優しき調和の器
魔王城の空は、凛と張り詰めていた。初夏の風が中庭の花々を揺らし、穏やかな陽の光が差し込むその日、王宮の奥深く、ひときわ静寂に包まれた一室があった。
ミカは、その部屋の中央、緩やかな産褥の台に身を横たえていた。
額にはうっすらと汗が滲み、指先は白くなるほど布を握りしめている。
アークは、その手を取って離さなかった。
「大丈夫だ、ミカ……。私は、ずっとここにいる」
彼の声は、魔王としての重厚さではなく、ただひとりの男として、愛する者を支えようとする切実な想いに満ちていた。
長時間の陣痛に耐えながら、ミカは時折、彼の瞳を見上げる。
その視線には、言葉にならない信頼と、不安の奥にある確かな愛があった。
「……アーク様。私……あなたの子を、必ずこの手に抱きます」
その言葉に、アークの喉が詰まり、彼は強く頷いた。
「君なら、きっとやり遂げる……。この国の光を……産み出してくれる」
侍医と助産師が静かに合図を交わし、時は満ちた。
やがて響く、産声。
それはまるで、この世界のどこよりも澄んだ風が、城の石壁に優しく触れたような――静かで、それでいて確かな命の音だった。
ミカは涙を流しながら、その声に応えるように微笑んだ。
「……産まれました……。私たちの……子です」
侍医がミカの胸元に、小さな命をそっと預ける。
淡い銀の髪と、薄紅色の瞳。
その小さな命は、まるでミカとアークの“光”だけを集めたようだった。
「……なんて、穏やかな顔……」
ミカが小さく囁く。
アークは跪き、その子の額に優しく口づけた。
「この子は、きっと“調和”をもたらす存在になる」
その言葉に、ミカは頷きながら、静かに名を口にした。
「ルシア。……陽だまりのような、優しき器」
それは、調和の名。
他者を慈しみ、すべての違いを受け入れる強さを持った名。
その瞬間、魔力の風が微かに部屋を撫でる。
ルシアの小さな身体から、ほんのりと輝きが生まれた。
それは力強い魔力の奔流ではなく、まるで大地の奥から湧き出す泉のように、ゆるやかで温かな気配だった。
侍医が息を呑み、小声で呟く。
「この子は……魔力と精神力が、すでに調和しています。まだ赤子だというのに……」
アークは目を細め、ミカとルシアを交互に見つめた。
「君の心が、この子を育んだのだな。優しさと、静けさと、そして揺るがぬ芯……そのすべてを、受け継いでいる」
ミカは微笑みながら、そっとルシアの小さな手を包む。
「私たちの子は……この国に“優しさ”という光を灯せるでしょうか」
「灯せるとも。……いや、きっと、その光が未来を導く」
それは、ただの親の希望ではなかった。
魔王としての確信、そして一人の父としての祈り。
その夜。
王宮の空には、ふたつの月が重なり、希に見る“双月の夜”が訪れていた。
その下で、小さな命が眠っていた。
その寝顔は、まるで世界のすべてを穏やかに包み込むような、慈しみに満ちていた。
ミカとアークは寄り添い、その寝息に耳を澄ませながら、ひとつの未来を思い描いていた。
「……この子が歩む道に、戦ではなく、言葉と理解が満ちていればいい」
アークのその願いに、ミカはそっと応えた。
「きっと……この子が、それを“形”にしてくれます。あなたと、私の願いを」
第一子、ルシア。
彼の誕生は、“魔王の子”である前に、“この世界に必要な優しさ”を形にした瞬間だった。
調和の器――その命は、静かに、力強く、未来への第一歩を刻み始めていた。




